二位の子供にジュースを奢る女

ハクション中西

二位の子供にジュースを奢る女


これは、僕が中学生のころの話です。
当時の同級生のお母さんが市民ランナーとして時々、マラソンを走っていました。


マラソンにそんなに興味はなかった僕ですが、その同級生と仲が良かったこともあり、ひょんなことから、ゴール付近で応援することになりました。



そのお母さんの速さは、すさまじく、僕が観に行った時は、ぶっちぎりの一位でゴールをしました。

そして、ゴールした後、まだ走っている二位の選手の子供にジュースを買ってあげたりしていました。



そして、二位の選手の子供がジュースを飲んでいる横で、そのお母さんは二位の選手がゴールするのを待つのです。

それぐらい、二位の選手とのタイムの差もありました。


そうなのです。

この同級生のお母さんは、どの大会に出ても、ぶっちぎりでゴールをして、二位の選手の子供にジュースを買うのです。



僕が中一の時に初めて見た時も、二位の選手の子供にジュースを買ってあげていましたし、中二の時に見た大会でも、二位の選手の子供にジュースを買ってあげていました。



中三の時に見た大会では、ゴールしてから、二位の選手の子供に手品を見せた後、種明かしをして、その手品をその子ができるようになってから、ジュースを買っていました。


そして、そのジュースを飲んでいる最中に、二位の選手がゴールしました。

それぐらい、同級生のお母さんは圧倒的に走るのが速かったのです。



僕は高校生になりました。
僕とその同級生は別々の高校に進み、いっしょに遊ぶことは少なくなりました。

それで自然と、同級生のお母さんがマラソンを走っているところの応援に行くということがなくなってしまいました。



誘われなくなったのです。

高校一年生になってから、僕は同級生のお母さんのことで頭がいっぱいでした。



誘われてもないのに、同級生を介さず、お母さんのマラソンを観に行くのは変だと思っていたので、行けなくなったのです。


また、あのお母さんが、二位の選手の子供にジュースを買っているところを見たい。

あまりにも見たい。

自動販売機の前で「どれがいい?」と言っている時の、あの悪魔みたいな顔が見たいのです。



いつの間にか、僕はあの悪魔みたいな顔にすっかり魅了されていました。
この世であんなに美しい表情はないと、なぜかゾクゾクするものを感じていたのです。



当時あのお母さんは35歳ぐらいだったと記憶していますが、とにもかくにも、あのすさまじい速さは有名でした。


風の噂で、僕が見に行っていないマラソン大会で優勝し、二位の選手の子供に何か買ってあげていた、と聞きました。


見に行きたかった。。。

僕は、友だちが一人もできないまま、高校二年生になりました。

僕は相変わらず、あの同級生のお母さんのことばかり考えていました。この世のものとは思えない、悪魔的な走力と、悪魔的な美しさ。



「どれがいい?」と自動販売機の前で聞いている時の横顔、二位の選手に子供がいないとわかった時のがっかりした表情、代わりに二位の選手の旦那を探す時の後ろ姿。



全てが僕の青春だったのです。

二位の選手の旦那に無理やりジュースを奢る時のあの顔の表情は、なんとも言えない妖艶さを醸しだしていたのでした。



あまりのしつこさに「いらん言うてるやろ!いらん!ジュースなんか、いらん!」と怒っていたあのおじさんのことを思い出すと、僕は授業中、いつも笑いが止まらなくなるのでした。



結局、無理やりジュースを買い、手をぎゅっと握り、ジュースを持たせ、「こんなとこ、奥さんに見られたら変な感じに思われるわよ!オッパイを触られた、と騒ぐわよ!!あなたは、ただ、このジュースを飲めばいいの!!」

と言って、同級生のお母さんは、結局、そのおじさんを“服従”させたのでした。



高校二年生の10月、僕はもう辛抱たまらず、同級生のお母さんのマラソン大会を観に行くことにしました。



マラソン大会のスタート地点は、人だかりの山です。

探すのが大変でしたが、目よりも先に耳が見つけてくれました。

同級生のお母さんが何やら叫んでいるのです。



「わたしは、昨日、徹夜でドラクエ3をやった!!!!!睡眠が足りていない!!!今日は自信がない!!!!!今日は、二位の選手の子供に、ジュースを買ってあげられないかもしれない!!!」

そう叫ぶ同級生のお母さんの目は血走っています。



そして、うわーーーん!うわーーーん!とまるで子供のように目を両手で隠して泣き始めたのです。

もうすぐスタートなのに、こんなことで大丈夫なのか?と僕は不安になりました。

係の人が、スターターピストルを構えました。



「よーーーい」

パァン!!!

スタート音が鳴り響いた瞬間、同級生のお母さんは、両手を目から離し、ベロをぶらーーーんと出しました。
悪魔です。


「なああああんてなあああ!!はっはっはー!!!
よーーーーい!ジュース!!!」と叫びながら、悪魔のような表情と、人外の速さで同級生のお母さんは、走り始めました。



「これだ!これだよ!!これが見たかったんだ!!」

僕は夢中になりました。
次に向かうのは30キロ地点です。

どうせぶっちぎりで一位に決まっているのですが、一番しんどさを感じると言われる30キロ地点でのお母さんを見てみたいのです。



僕は原付バイクで先回りをしました。

同級生のお母さんのスピードは、原付バイクでも勝てないような気がして、僕はとにかく急ぎました。

スタートから30キロ地点に先回りをして、僕は同級生のお母さんを待ちました。



お母さんの姿を今か今かと待っていたのですが、先に見つけたのは、目ではなく、またしても耳でした。

「今度は、車のレースに、人として初めて出ましょうかねえ!はっはっはーーーーっ!!」


そう聞こえたかと思うと、同級生のお母さんの姿が見えてきました。

短距離の走り方をしてぐんぐんと近づいてきます。

「これじゃあ、今年も優勝は間違いないな」
「速すぎる」
とギャラリーがざわざわとつぶやきます。



同級生のお母さんの姿が近づいた時、声をかけようかと僕はドギマギしましたが、久しぶりに見た、悪魔的な横顔の美しさに僕は息を飲むばかりでした。

その時です!!!!



小学5年生ぐらいの女の子が飛び出して、同級生のお母さんに飛びつき、しがみついたのです!!

「ぐぬっ!なんだ、このワッパは!!」

お母さんはそう言いましたが、まだ余裕の表情です。



子供は「わたしのお父さんをバカにしやがって!!」と泣き叫んでいます。

驚く暇もないことに、今度は別の男の子が飛び出してきました。

同級生のお母さんの首にしがみつきます。



「ジュースなんかいらないやい!この悪魔め!!」

あれよあれよという間に6人ほどの子供がお母さんにしがみつきます。

みんなかつて、同級生のお母さんがジュースを買った二位の選手の子供たちでした。



「ぐぬう!!ワッパども!!ジュースを買ってもらった恩を仇で返すつもりか!!」

子供とはいえ、6人もしがみついた状態で走っているのには、さすがに驚きました。

それに、少しもスピードが落ちないのです!!



僕はまたしてもゾクゾクしながら、ゴール地点に先回りすることにしました。

ゴールの競技場には、たくさんの観客がおりました。

僕はその中で、ハッキリと確信していました。これは恋なんだ、と。



胸の高鳴りが抑えられません。なんなんだ、あの悪魔的な性格の悪さは。

二位の選手の子供にジュースを買い続けた呪いが彼女のまわりにまとわりついていったあの時の一瞬。

一瞬だけ見せた悲しそうな表情を僕は見逃しませんでした。



次に同級生のお母さんを見たら、僕の胸は張り裂けるだろう。

はあああ。僕は彼女にジュースを奢られたい!!どうして僕のお父さんはマラソン大会にでないんだ!!!

そして二位にならないんだ!!



そんなことを考えているうちに、何やら声援が、増しました。

彼女です!!!

同級生のお母さんが、40人以上の子供たちにしがみつかれながら走っています。

しがみついていた40人ほどの子どもの中に混じって、大人のオッサンもいました。
あの時の二位の選手の旦那さんです。

こんな状況なのに、堂々の一位です!!



しかし、さすがに走るスピードは落ちています。

「ワッパども!!お前たち全員に、あとでジュースをおごってやろう!!はっはっはーっ!!!!あと、オッサンにはオッパイを触らせてあげよう!!イーッヒッヒッヒッ!!」

お母さんはそう叫びながら、結局、一位でゴールをしました。



しがみついていた子供たちと一人のオッサンは、今度はジュースを奢られまい、とお母さんから離れ、逃げ惑います。

僕は今、何を見ているのだろう。



マラソンってこんなに面白かったのか。

同級生のお母さんは悪魔的な速さでジュースを何本か買い、子供たちを追いかけまわしています。

42.195キロを走ったあととは思えません。



捕まえてはジュースを飲ませ、捕まえては、ジュースを飲ませ、捕まえては、オッパイを触らせ、捕まえてはジュースを飲ませていきました。


「おっと、いけないいけない。そろそろ二位の選手の子供にジュースを買わなければ!」

同級生のお母さんはそう叫ぶと鼻をクンクンさせながら「ニオイでわかるねえ!そこだねえええ!!!」



そう大声でわめくと、人外の高さのジャンプをして、ビョーンと飛び跳ね、着地をして、競技場の後ろにいる中一ぐらいの女の子を捕まえました。

そして自動販売機のところまでズルズルと引っ張っていきました。



泣き叫ぶ女の子が同級生のお母さんの腕に噛みつきます。

そんなことを気にも留めない様子で、自動販売機の前にお母さんはやってきました。 

「さあ!!どれがいい?」



気の強い女の子は、ぺえっ!!とツバを同級生のお母さんの顔に吐きつけました。

お母さんは、長ーいベロを時計の針のようにグルリンと動かして、おでこについたツバを舐め、すくいとりました。

化け物です。



「仕方ないねえ、わたしが選んであげよう!これだねえ!!!」

そう叫ぶと化け物はベロでボタンを押し、リンゴジュースを買いました。
それを無理やり、口の中に注ぎ込もうとした瞬間、その手を掴む者が現れました。



「うちの子に、何をするんです?」

二位の選手でした。

その男性はもちろん、化け物ではなく、普通の市民ランナーのようでした。

「お父さん!!」と抱きつく少女。

化け物はそれを見て、なんとも言えない表情をしていました。



そして、その両目から、大粒の涙が流れてきました。

「わたしは、、、二位の選手の子供にジュースを奢ってる姿を、二位の選手に見せつけることだけが生きがいで、頑張ってきた!!!!!
それなのに!初めて!初めて!間に合わなかった!!!!!!!」

そう叫ぶと彼女は競技場をゆっくりと歩きながら、去っていきました。



それ以来、彼女の姿を見たものは誰もいません。

僕は、恋が終わったので、その日からとっても勉強するようになりました。

まだ走っている二位の選手の子供にジュースを買うほどの大差をつけて勝つ。

そんな人生を送る人は、あの同級生のお母さんだけでした。


二塁への盗塁を成功させてから、キャッチャーからボールが返ってくるまでの間、タバコを吸う選手がいる、と風の噂で聞きましたが、それは多分都市伝説でしょう。

そんな余裕があれば三塁もまわるからです。



多くの人は、こんなすごい一位どころか、二位にすらなれないのです。

30歳を過ぎてから、あの同級生とたまたま再会しました。電車の中でした。

僕がお母さんの話をすると「え?お母さんなんて僕にはいないよ?」と彼は答えました。

同級生のお母さん。
あなたは本当にいたのだろうか。

東京は今日は雨が降っています。

おしまい。





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