第31話 輔弼近衛は王子女を知る(アーガスト視点) ~秩序は静寂を求む~
厚い扉が静かに開いた瞬間、張りつめていた空気がわずかに震えた。
ここからは儀の場ではない。揺揺れが始まる――そう告げたい衝動を、幾度も抑え込む。
最初に走り込んできたのは、背の高い青年だった。堂々とした歩幅で進み出ると、その声は広間を揺らす。
「陛下!工房で特級の剣が打てました!炉を新調すれば、希少級も夢ではありません!」
アレンの肩が一瞬強張ったのを、私は見逃さない。――そうか、顔も名も知らぬのだな。
場の目が彼へ向いた隙をついて、私は静かにアレンの傍へ歩み寄った。顔を前に向けたまま、唇だけを微かに動かす。
「――第一王子、レオン殿下」
続いて響くのは、扇の音とともに現れた麗しい声だ。
「ごきげんよう、お父さま。昨日の晩餐、あれを“王家の食卓”と呼ぶのは……ねぇ?」
「――第一王女、セレナ殿下」
「剣でも税でもない、言葉です!詩は意を運び、人を動かし、国を変えるんです!」
「――第二王子、フェリクス殿下」
「陛下ー!新作の『三層焦がし蜂蜜パイ』が完成したよ!一緒に食べよう!」
「――第三王子、エリアス殿下」
「お父さま、お城はピンクがかわいいの!」
「――第二王女、アリシア殿下」
五つの声が一斉に玉座の間へ流れ込み、秩序は意図的にほどかれる。私は半歩下がってアレンの横に立ち、声は使わず、呼吸の深さだけを合わせる。肩が浮きすぎない角度に自らを調整し、「そばに在る」という形で支える。
やがて王妃――オーレリアが扇をひと打ちし、場の空気を整える。
「皆さま。ここは陛下の御前です。順をお守りなさい」
拍が揃い、流れは一段落する。
王が立ち上がる。声は厳かで、同時に温かさを帯びていた。
「よいか、皆の者。お前たちがさらに遠くを目指すために、影もまた要る。――ゆえに、余は輔弼近衛を置いた」
「この若者、アラン・アルフォードを、その任に就ける。王子女の影となり、耳となり、目となれ。理を量り、過ちを諫め、未来を導け」
膝をついたままのアレンの肩が、少しだけ下がる。視線は泳がず、床に落ちない高さで留まる。よい。膝は折れても、背は曲げるな――それが臣下の型だ。
私は声を使わず、呼吸のリズムだけで「倒れるな、座して受けろ」と伝える。騒ぎの中でも届くのは、そうした“目に見えぬ誘導”だ。
◇
宰相閣下が定石どおりの異議を唱え、王が「前例なき人材」と結ぶ。儀は形式を終え、場は現実へと移ろうとしている。書記が筆を構え、宣名官の杖が静まる。王妃の扇は角度を収めた。
私はなおアレンの傍らに立ち続ける。言葉は要らない。存在そのものが支えになるときがある。若者の視界の端に、崩れぬ輪郭が映っている。それでよい、今は。
――この先、彼は揺れの中に立たねばならない。
熱は炉に収めて剣となし、
艶は規律に整えて礼となし、
言葉は型に刻んで力となし、
甘やかさは量って癒やしとなし、
夢は編み込んで風となす。
――それらを、揺れたまま釣り合わせる。
それが、秤というものだ。
私は胸の奥で短く誓い直す。
折れる音など、決して聞かせはしない。砕ける前に、支える目と手で受ける。
朝の光が一段と強まり、若者の影が私の影と静かに重なった――それは、秤が初めてこの場に据えられたことを示す光景だった。
それでいい。言葉などいらぬ。ただこの瞬間から、この秤は揺れのただ中で試され続けてゆくのだ。
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