第2話_プロローグ・下②

「兄貴見てくだせぇよで、出た出た」「なんだよ、あ、ありゃあ」「黒、黒、黒づくめ!」「エイリアンだ」「宇宙人だ」「レプタリアンだ僕は詳しいんだぞ」「ひょっとして噂のなんじゃ」「キモ」「そうだそうだ」


「本っ当に。醜いわ」


 ばさり、と翼が羽ばたきぐぐ、と小さくなっていく。

 蝙蝠を思わせるが、体毛の下は、鱗。異形である。

 手元の食料おとこの腕をねじ切り、今度は直接口に運んだ。

 嚙み千切る。


「まっず」


 何度か咀嚼の後、遠慮なく吐き捨てる。

 隠し切れない侮蔑の色が浮かんでいた。


「頭が悪いと肉質が落ちるのは本当なのね。それに穴だらけ。粗悪品ってところかしら。最後の言葉だって……『化けmえッ』、だって、ふふ、おっかしいわ」

「兄貴見てくだせぇ、食った食べた」「なんだよ、あ、ありゃあ」「赤、赤、赤真っ赤だぞ!」「エイリアンだ」「宇宙人だ」「レプタリアンに違いない僕は詳しいんだぞ」「人を食べるなんて、噂通りだわ」「キモ」「そうだそうだ」

「……はぁ。こーんなのが多数派って、世も末よねぇ、って今更ね」

「な っ な に が 目 的 だ ぁ ! ぶ ち 殺 す ぞ !」


 韋坊いぼが腕を振りかざす。そして真っ直ぐに突き出した。


 ――ビュッッ


 いつの間にか握られていた鉄矢。

 少女を磔にしているものと同一。

 それがの頭蓋に激突して、


       ひしゃげる音が響いた。


「え、っ」

「あなた。相当頭悪いのね」


 彼女の頭ではない。鉄柱が音の主語だ。

 ごろり、とひしゃげた主語が転がる。


「ま、アタシはやさしいの。特に今際の人にはね。答えてあげるわ。そこの子犬ちゃんを助けに来たのよ」

「あン……

「ちょっと! 誰が子犬よっ」


 少女、髪を逆立て、吠える。

 擬音に「バウッ」というのが様になっていそうな光景だ。


「あら。あらら? ふぅん……ゆーちゃんは特に何もしてないのね」


 視線をわずかに下に向け、独白。


「え?」

「ふふ。助けに来た――はもう必要ないみたいね?」

「はぁ? どこに目ついているのよそんなわけ」

「よく、まわりをご覧なさいな」

「……」


 いつの間にか外野は静まり返っていた。

 韋坊いぼは喉を搔きむしっている。目はふくらみ充血し、腕は膨大な量の水疱に覆われ、ついにはパチンと表皮が爆ぜた。黄色い汁が飛び散る。べちゃあ、という汚い音は尻の間からで、ほとんどの赤に茶が少しだけ混じる。

 いくら寒い8月とはいえ、これから臭くなるだろう。取り巻きの容態も同じようなものだ。


「なによあれ」

「貴女がやったんじゃなくて?」

「知らな」

「嘘なんて使わなくていいのよ」


 にこにこと微笑みながら少女の傍まで近づき、あっという間に難なく鉄矢を引っこ抜いた。そして両脇に手を入れ、立たせる。


「思った通り治っているわね……この速さ、さぞ、


 最後のセリフには涙がにじんでいた。 


「……ありがと。えっと」

「Noirよ。ノアルと呼んで頂戴。子犬ちゃんは?」

「子犬じゃないし。戌弓(いゆみ)だし」

「イユミちゃんね。うん、やっぱり子犬ちゃんがいいわ。同じ文字数だし」

「ちょっと!」

「それはさておき」

「よくないでしょ!」


 抗議を受け流し、目線が現実と接続される。


「あの醜いの、どうする?」


 ふたりは同じタイミングであたりを見渡す。小さな屍山血河が広がっていた。そして河はまだ生きていた。ただし、枯れるのは時間の問題――ひと目でわかるほどに。


「ほっておけばいいんじゃない。どうせもう、でしょ」

「ふふふ」


 ふん、と戌弓いゆみの鼻息は荒い。


「それは本音かしら」

「……」

「違うようね」


 ノアルの態度に咎める色はなく、むしろ……


「いゆみちゃんのやりたいようにすればいいのよ」

「でも……どうやって」

「おいで」


 とって食べたりはしないわ、と言いながら両腕を広げるノアル。少し逡巡まよい、戌弓いゆみは飛び込んだ。


「なんか、少し硬くない?」

「ふふっ。でもすることに問題はないわ。さぁほら、聞いて」

「なに……ぇ!」

「わかる?」


 戌弓いゆみはノアルの象徴の狭間の中でこくりと頷いた。


 ドドドドン……ドドドドン……ドドドドン……ドドドドン……ドドドドン……


「とっくに気づいているんでしょう。人間とは違うものになってしまっていること、翅化(うか)していることに。この音はね、私たちの心臓の音――(よせき)には必ず心臓がふたつあるの」

能染疫よせき?」

「一般には吸血鬼と呼ばれているわね。この鼓動、貴女の中にも感じるはずよ」


 さぁ、とノアルは戌弓いゆみを解放する。


「自分の胸に手を当ててみて。その鼓動を、激情を、烈しい怒りを……感じるの。そうすれば自然と――行使できるようになるわ。授かった基力(きから)を」

 

 戌弓いゆみは言われる通りに自分のふくらみの上に手をやる。

 目を閉じる。

 耳を内に集中させる。

 周囲の音は聞こえない。

 頭の中で罵声が弾ける。


「なによこの子、血の色が■だわ!」「気持ち悪い!」「きっと化け物なんだわ!」「ぎゃあああああああ――!」「お、お医者様が、死んだ?」「ひ、人殺し!」「ひとでなし!」「monster!」「こっちみるんじゃねぇ!」「来るな!殺すぞ!」「畜生が人の皮被りやがって」「着てるものいつぞやの盗品じゃねぇか」「盗人!犯罪者めが!」「ぶちのめせ!」「うわ、手を上げやがった軍人さんこいつですよ例の化け物ってのは!」「手配書のと全く変わらないとは、やはり物の怪の類か」「死ね!」「死ね!」「死ね!」「死ね!」「死ね!」「死ね!」「死ね」「死ね」「死ね」「死ね」「死ね」「死ね」「死ね」「死ね」「死ね」「死ね」「死ね」「死ね」「死ね」「死ね」「死ね」「死ね」「死ね」「死ね」「死ね」「死ね」「死ね」「死ね」「死ね」「死ね」「死ね」「死ね」「死ね」「死ね」「死ね」「死ね」「……うるさい」


 目を開く。

 赫赫たる、憤怒、口から放たれて――右腕から迸る体液――血だ。血液だ。穢れの元だ。しかし、少女のそれは、それは――


 驚くほどの美しい、

 碧い、血液。

 それがぎゅるりと音を立てて固まり――戦斧となった。


「なんて綺麗なの……素晴らしいわ!」


 ノアルは感動のあまり手を叩く。


「……」


 今の少女には、戌弓いゆみには、そんなことは目に、耳に、入らない。


 こ れ で よ う や く し た い こ と が で き る ん だ 。


 ぎゅ、と戦斧を柄を握りしめ。





 悲鳴も嬌声もなく、ただただ、肉と脂と繊維と骨を断ち切る音が、響いた。

 

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