外伝 文明能染疫(よせき)属

ラジオ・K

第1部:碧き血の吸血鬼

第1話_プロローグ・下①

 追放に抗う少女は派手に転んだ。

 前後左右上。それよりもまずは下を警戒するべきであった。


「……あぐっ、ッッッ……」


 砂利と屑鉄交じりの汚沼からなんとか上体を起こすと、左ふくらはぎに強烈な痛みが走る。次いでぼんやりと灼熱が内より広がっていく。


「くっ、そ、おぉ!」


 規格がわからないほどに融けて、なおも鋭さを手放さない廃材。それを勢いよく引っこ抜く。

 びゅっ、びちゃっ、と悍ましさすら覚えるほどの色彩が飛び散る。

 手の中を見ると、廃材には黄色っぽい脂肪がへばりついていた。少女にとって何よりも重要な部位のひとつ。ついでに何かしらのすじが彩りにはなを添える。

 慌てて投げ捨てる。汚泥が震える。拡散する円。


「あ……! しまった、あれじゃすぐアイツらに」

「もっとおくに沈めないと」


 急いで、かつ慎重に捨てた廃材の元に行き、手に刺さらないよう気を付けながら汚沼のおくに仕舞う。

 色彩の浮上はなさそうだ。


「はぁ、はぁ。はぁ……」


 辺りをさっと見渡す。

 融け錆びた廃墟。

 太震々禍(だいじんか)によってこの列島はきずだらけになり、未だにそのかさぶたは剥がれていない。

 そのような世紀末である。道はたくさんあれども。か弱き少女一人で進むとなれば。大通りしかなかった。


「へ、へへ……大丈夫だいじょーぶ……足の持続力には自信、あるし」



 左ふくらはぎの傷はもうふさがっていた。





 この世すべて濁るとき、清めるは己れだけ、人々みな酔えるとき、正気なのは己れひとりだけ、されば追放の身となった。

 ――屈原


 陶片追放は、政争がポリスに与えるダメージを最小限に抑え、市民団の統合と安定に寄与したと言うべきであろう。

 ――橋場弦『古代ギリシアの民主政』





            西暦2041年8月8日、東方足柄日国とうほうあがちこく 統治領域外区……神戸

                             ……午後15時42分


 下ばかりに気を取られていたから、である。


「ぎゃああああっっっ!」


 聞くに絶えない悲鳴。

 少女はアスファルトに縫い付けられていた。


ガスン!


 少女の右頬を鉄矢が掠める。地面に深々と刺さったそれは、まるで標識の様。

 標識は少女の右肩、胴、右腿を貫通していた。

 重量と痛覚が脱出を阻む。

 どくどくと流れる悍ましき色彩がため池を作ろうとしていた。


「あ、兄貴見てくだせぇよあの色!」「なんだよあ、ありゃあ」「青、青、!」「エイリアンだ! そうに違いないぜ!」「いや宇宙人だろう」「いーやあれはレプタリアンだね僕は詳しいんだ」「噂は本当だったのね」「キモ」「そうだそうだ」「化け物め」

「こ の さ い な ん だ っ て い い わ い !」


 一際大きい、舌足らずな声。

 このどうしようもない幼さを持つ者ども、群隷(ぐれ)を仕切っている男、韋坊いぼのものだ。

 その身には五菱いつびし社製の拡張鎧骨を纏っており、今やその肉体は知能に反比例するものとなっている。鉄矢の投擲はこれの産物おかげだ。

 ぬん、と鼻息荒く少女をねめつける。


「なんでぇ……ちゃんとぉ、出ていったじゃん……」

「う そ を つ く な ぁ!」


 少女の涙がらの訴えは大喝によって消し飛ばされた。


「ひっ」

「オ メ ー 来 て か ら 、 天 気 寒 く な っ た !」

「いや、それはぁ」

「し の……ギ も 低 く な っ た!」

「それウチに関係な」

「ポッチ太 死 ん だ !」

「ぅげ」

「ぜんぶお前のせいだ! 殺す、殺す、殺せぇ!」

「っ」


 少女は囲まれた。

 10人ほどの群隷ぐれ共の手には様々な重量物を括り付けた槍や適当なコンクリートブロックが握られていた。戦国時代の死因1位と2位である。

 。無理をすればこの鉄矢どもを退けることはできるだろう。しかし、どのみちその後はもう、袋叩きで。


           これが命の納め時であった。


「いやだ」「いやだ」「なんでこんな理不尽な」「ちょっとだけ」「そうだよ、ほんのちょっとだけ……


……血の色が違うだけだろうがぁっ!!」


 少女はしゃあ、とぎらつく牙を向き出しにして吠えた。


「来るなら来いよォ……噛み殺してその真っ赤な血ィ啜り尽くしてやる!」

「うちは今腹減ってるんだ、本気だぞこのゴミどもめがァ!」


 その台詞一瞬怯む群隷ぐれ共。

 だが。

 


「兄貴見てくだせぇよあの牙大きさ!」「なんだよ、あ、ありゃあ」「白、白、真っ白!」「エイリアンだ! そうに違いないぜ!」「いや宇宙人だろう」「いーやあれはレプタリアンだね僕は詳しいんだ」「噂は本当だったのね」「キモ」「そうだそうだ」「化けmえッ」


 無知は蛮勇の元。

 一斉に暴力が押し寄せようとして。





「あら……醜い生物いきものなことねぇ」


 影。

 ばさりとはためかせ、場に舞う。


「おかしいわよねぇ……こーんなに不味そうな見た目なのに。知ってた? それでも。少しでも。美味しく食べるコツは、啜ることなのよ。こーやってね」


 じゅるる、とそのはこと切れた男の、つい数秒前まで少女を囲んでいたひとりの、頸をちぎり、吹き出る源へと口を落とし、じゅるるる、と啜った。

 とてもうまそうに。

 ぷは、と口を離して、げっぷを漏らす。

 そうして、その翼の生えた生物は地へと降り立ったのだ。


 彼女の口には鈍く光る雄々しき牙があった。

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