英雄の魂を燃料にした、従者の時間遡行

プロローグ

──光が世界から失われるとき


 空が砕けていた。

 大地は黒い血を流し、空気そのものが悲鳴を上げている。崩壊寸前の世界の真ん中で、巨大な魔法陣が幾重にも重なり、白金の光と漆黒の影とが千切れ合うように揺らいでいた。


 中心に立つのは二人の男――いや、正確には「一つになる途中の二つの存在」。


 カインは立っているだけで辛そうだった。体はまだ動くが、魂はすでに磨耗している。

 対照的にその隣、甲冑のへこみだらけの男――クロウは、何度倒れ、血を吐き、腕が折れようとも、カインを守るためだけに立っていた盾。強靭で、愚直で、忠実な盾。


 その盾の目の前で、空間がひしゃげる。

 ヴィクターの儀式が最終段階に入り、存在そのものが「時間の外」へ裂け落ちていく。魔法も刃も通らない、絶対的な無敵化。

 敗北は確定していた。


 だから二人は、最後の手段――魂の置換と遡行という禁忌に手をかけた。


「カイン……本当にやるのか。戻れねえぞ」

 クロウの声は震えていた。恐怖ではない。自分の主が、自分の目の前で消えていく現実への拒絶だ。


「お前じゃなきゃ駄目なんだ、クロウ」

 カインの声は静かだった。もう痛みを感じていないような、あまりにも澄んだ響き。

「俺の魂は、過去へ飛ぶための燃料にする。時間を巻き戻すには、“誰かの存在”を代償にしなきゃいけない」


「だったら俺が――」


「お前じゃ足りない。強度が違う」

 カインは笑った。

 この世界を何度も救いかけ、そして救いきれなかった英雄の目をしていた。

「だから頼む。俺の身体、お前の魂で使え。俺が辿り着けなかった過去へ行き、ヴィクターが“時間から剥離”する前に止めろ」


 クロウは歯を噛みしめた。盾である自分は、命を投げ出す側であるはずだった。

 なのに主は、最後まで自分を守ろうとする。


「俺は……そんな価値のある人間じゃ……」


「あるさ。ずっと俺を前へ進ませてくれた。最後も、お前に託したい」


 白い光が強まる。魔法陣が音を立てて軋む。

 カインの肉体の中で、魂が火花のように散り始める。死ではなく、転用。

 世界を巻き戻すための燃料へと還っていく。


 崩壊する天の下、カインは最後に“主”ではなく、“友”として言葉を残した。


「クロウ、これは命令だ。俺の全てを使い、生き残って世界を救え。」


 光が爆ぜた。


 魂が声にならない叫びをあげ、千々に砕け、光の粒となってクロウの胸へ流れ込む。

 クロウは主の形をした肉体を抱きしめるようにして、すべてを受け止めた。


 眩い閃光が世界を覆う。

 次の瞬間、全ては反転し――クロウは“カインの肉体”として、過去へ投げ出された。


 英雄は消え、盾だけが残された。

 その盾は、自分が誰であるかも分からないまま。


 世界を救うための「偽りの英雄」が、ここに誕生した。

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