第17話「獅子の咆哮」

 俺の目の前に、カイゼルの大きな背中が割り込んできた。


「ぐっ……!」


 鈍い音と共に、カイゼルの苦悶の声が響く。刺客の短剣は、俺を庇った彼の肩に深く突き刺さっていた。鮮血が、彼の黒い狩衣をみるみる濡らしていく。


「カイゼルッ!」


 俺の悲鳴が森にこだました。


 その瞬間、カイゼルの全身から凄まじいまでの圧が放たれた。それはもはや王の威光などという生易しいものではない。獣としての、本能的な怒りの咆哮だった。


「……よくも……よくも、俺のミコトを……ッ!」


 カイゼルの黄金の瞳が、血のように赤く染まる。筋肉が盛り上がり、その身体は一回りも二回りも大きく見えた。爪は鋭く伸び、牙が剥き出しになる。それは人の姿を保った、獅子そのものだった。


 半獣化――獣人が極度の興奮や怒りに達した時に現れる、本性の解放。


 カイゼルは肩に刺さった短剣を力任せに引き抜くと、傷の痛みなど意にも介さず刺客に向かって猛然と突進した。


 その動きは、もはや人間のそれではない。一瞬で刺客の懐に潜り込み、その喉笛を剛腕で引き裂く。別の刺客が背後から斬りかかっても、振り向きもせずに腕の一振りで薙ぎ倒す。


 それは狩りではなく、一方的な蹂躙だった。


 訓練されたはずの刺客たちは、本能から来る恐怖に動きを鈍らせ、赤子のように捻り潰されていく。悲鳴を上げる暇もなく、次々と命が刈り取られていった。


 その光景を、俺は馬の上で震えながら見ていることしかできなかった。


 恐ろしい。けれどそれ以上に、俺のためにここまで怒りを爆発させてくれたカイゼルの姿に、胸が締め付けられるようだった。


 やがて最後の一人が絶命し、森に静寂が戻る。残されたのは大量の血の匂いと、カイゼルの荒い息遣いだけだった。


 ゆっくりと、カイゼルがこちらを振り返る。その身体からは獣の気配が抜け、瞳も元の黄金色に戻っていた。しかし、その顔色は恐ろしいほどに青白い。


「ミコト……無事か……?」


 彼は、俺の無事だけを確かめるようにか細い声でそう言った。


 そして、その言葉を最後に彼の巨体は糸が切れたように、ゆっくりと俺の方へ傾いてきた。


「カイゼル!」


 俺は慌てて馬から飛び降り、崩れ落ちる彼の身体を受け止める。ずしりとした重み。腕の中の彼は肩から夥しい血を流し、ぐったりと意識を失っていた。


「カイゼル! しっかりして、カイゼル!」


 何度呼びかけても答えはない。ただ、彼の温かい血が俺の手を、服を、赤黒く染めていく。


 遠くから、異変に気付いた騎士たちの怒号と足音が聞こえてきた。けれど、俺の耳には何も届かなかった。


 腕の中で冷たくなっていくかもしれない温もりと、失われていく命の気配。その恐怖が、俺の心を絶望の淵へと突き落としていった。

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