第11話「逃げる司書と追う獅子王」

 全貴族の前での、あの衝撃的な求婚宣言から数日。俺は完全にカイゼルを避けるようになっていた。


(本気のはずがない。きっと何かの間違いだ)


 そう自分に言い聞かせ、なるべく彼と顔を合わせないように書庫の奥深くに隠れたり、視察と称して城下に出たりと涙ぐましい努力を続けていた。


 しかし、そんな俺のささやかな抵抗は百獣の王の前では無意味に等しかった。


「ミコト、ここにいたか」


 書庫で古文書の山に埋もれていた俺の背後から、ひょいと顔を覗き込んできたのは探し人であるカイゼルだった。


「ひっ! へ、陛下!? なぜここに……」


「お前が執務室に来ないからだ。今日の昼食は共にすると言っておいただろう」


 そういえば、そんなことを言われていた気もする。俺は慌てて立ち上がろうとしたが、カイゼルは俺の肩を押さえてその場に座らせた。そして当たり前のように俺の隣に腰を下ろし、侍従が運んできた食事のバスケットを開け始めた。


「陛下、このような場所で食事など……」


「お前がここから動かぬのなら、俺が来ればいいだけの話だ。ほら、口を開けろ」


 カイゼルはそう言って、スープに浸したパンを俺の口元に突き出してきた。


「じ、自分で食べられます!」


「いいから」


 有無を言わせぬ圧力に、俺は観念して口を開けるしかなかった。周りでは書庫の司書たちが信じられないものを見るような目で、王の奇行を遠巻きに眺めている。恥ずかしさで死にそうだ。


 食事だけではない。夜、自室で一日の報告書をまとめていると、コンコンと扉がノックされた。侍従かと思い「どうぞ」と声をかけると、入ってきたのはやはりカイゼルだった。


「今夜は冷える。これを」


 そう言って彼が差し出してきたのは、上質な毛皮の膝掛けだった。


「わざわざありがとうございます。ですが、私は大丈夫ですので……」


「いいから使え。お前が風邪でも引いたら、俺が困る」


 そう言うと、彼は俺の返事も聞かずに膝に毛皮をかけ、満足げに頷くと部屋を出て行った。残された俺は、膝の上の温かさと胸の奥のむず痒いような気持ちを持て余すしかなかった。


 極めつけは、ある夜のことだった。疲れ果ててベッドに入り眠ろうとしていた時、ふと人の気配を感じて目を開けた。


 薄暗い部屋の中、ベッドの脇にカイゼルが立っていたのだ。


「うわっ!? な、な、何をしておられるのですか、陛下!?」


 俺は悲鳴を上げた。


「静かにしろ。……お前の寝顔を見に来ただけだ」


 悪びれもせずにそう言うカイゼルに、俺は言葉を失った。寝室にまで押しかけてくるなんて、常軌を逸している。


「ミコト」


 カイゼルは俺のベッドに腰を下ろすと、俺の髪を優しく梳いた。その手つきは驚くほど穏やかで、黄金の瞳は熱っぽく俺を見つめている。


「なぜ俺を避ける。俺の求婚が、不満か?」


「ふ、不満とかそういうことではなく……! あまりに、現実味がなくて……」


「ならば、現実にしてやるまでだ」


 カイゼルはそう囁くと、俺の耳元に唇を寄せた。


「俺はお前が欲しい、ミコト。お前の知識も、その身体も、心も、すべてだ」


 吐息と共に注ぎ込まれる熱烈な愛の言葉に、心臓が早鐘のように打ち始める。顔に熱が集まり、思考がショートしそうだ。


 冷徹で、孤高で、誰にも心を許さないはずの獅子王。俺が知っていたのは、そんな彼の姿だけだった。


 なのに、今のこの、獲物を追い詰めるように、それでいてどこか甘く情熱的なアプローチは一体なんなんだ。


 俺はカイゼルという男が分からなくなると同時に、彼の見せる意外な一面にどうしようもなく心が揺さぶられているのを自覚せざるを得なかった。このうるさい心臓は、戸惑いのせいだけではないのかもしれない。

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