第4話「賢者様の誕生」
食文化の改革は、獣人たちの胃袋を掴むことから始まった。保存食の知識は瞬く間に城下に広まり、食料の安定供給に繋がり始めた。しかし、俺が次に取り組むべき問題はもっと根深く、そして人々の命に直接関わるものだった。
衛生問題だ。
この国では井戸は共同で使われているが、その管理はずさんだった。ゴミが浮いていたり、動物の糞尿が近くにあったりするのも珍しくない。手を洗うという習慣もほとんどなく、病は『悪い風』や『呪い』のせいだと信じられていた。特に抵抗力の弱い子供たちが、原因不明の腹痛や熱で命を落とすことが多かった。
俺はまずカイゼルに許可を取り、井戸の改修と管理方法の徹底を提案した。
「井戸の周りには壁を作り、動物が近づけないようにするべきです。そして、水を汲むための桶は共用にせず、各家庭で清潔なものを用意するように布告を出してください」
「面倒なことを。そんなことで何が変わるというのだ」
訝しげなカイゼルに、俺は根気強く説明した。
「病の多くは、目に見えないほど小さな『菌』によって引き起こされます。それは汚れた水や手を通じて口から体内に入るのです。水の清潔さを保ち、食事の前に手を洗うだけで、多くの病は防げるのです」
「菌、だと……?」
初めて聞く概念に、カイゼルだけでなく同席していた大臣たちも眉をひそめた。しかし、食の改革で一定の信頼を得ていた俺の言葉を、カイゼルは無視しなかった。
「……好きにしろ。だが、それで何も変わらなければお前の首が飛ぶと思え」
王の許可を得た俺は、早速行動に移した。井戸の周りに柵を設けさせ、手洗い推奨の立て札を立てた。
さらに薬草の知識を活かして、簡易的な『石鹸』を作った。油と灰、そして殺菌効果のある薬草を煮詰めて固めただけの原始的なものだが、汚れを落とすには十分だ。
俺は自ら広場に立ち、子供たちを集めて手洗いの重要性を説いた。泡立つ不思議な固形物(石鹸)と汚れが落ちていく様子に、子供たちは興味津々だった。
最初は「人間がまた何か変なことを始めたぞ」「面倒くさい」と遠巻きに見ていた大人たちも、子供たちが面白がって手洗いを真似するようになると、次第にその光景が日常になっていった。
変化は、数ヶ月後に劇的な形で現れた。
「陛下! 城下の診療所より報告です! このひと月、原因不明の腹痛を訴える子供が一人も出ていないとのこと!」
「乳児の死亡率が、昨年の同時期に比べて八割も減少しております!」
驚くべき報告に、王城は騒然となった。今まで『呪い』として諦めていた病が、ミコトの言う通り「手を洗う」「水を清潔にする」という簡単なことで激減したのだ。この事実は、何よりも雄弁に俺の知識の正しさを証明した。
病で子供を失う悲しみが減ったことで、民衆の俺を見る目が変わった。侮蔑や好奇心は消え、そこには尊敬と感謝が宿り始めていた。
「あの人間様のおかげで、うちの子は助かったんだ」
「まるで魔法みたいだ。いや、魔法よりもすごい知恵だ」
いつしか人々は、俺をこう呼ぶようになっていた。
『賢者様』
その呼び名は尊敬の念を込めて、国中に静かに、しかし確実に広がっていった。俺は『役立たずの贈り物』から、国に益をもたらす『賢者』として、ようやくこの国に確かな居場所を築き始めた。
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