第10話 🖋️ 制作会議の舞台裏:鷹山 vs. 大下ユージ

 📝 鷹山の反論とキャスティング案

​ 物語のクライマックスである「二階崩れの変」のあらすじを受け、制作会議の場で、ライバルの脚本家・鷹山が、大下ユージのキャスティングとテーマ解釈に異議を唱える。

​ 💥 宗麟像を巡る対立

​ 鷹山:「大下さん。あなたのあらすじは、事件の凄惨さはよく描けている。だが、肝心の義鎮(宗麟)が『静かなる覚悟を秘めた青年』では弱い。彼は、あの事件で『人間性』を殺して『怪物』になった。後の宗麟の**『キリシタン傾倒』**という狂気じみた行動の源流は、あの血の継承にあるべきだ」

​  

 大下ユージ:「鷹山さん、それはオーバーだ。向井理さんの持つ繊細さが、後の宗麟の**『理想主義』と『現実との乖離』を表現するんです。あの事件は、彼にとって『犠牲を払った大義』**なんです」

​ 鷹山:「大義ではない!あれは**『呪い』だ!だからこそ、宗麟の主役は、『理性を超えた狂気』**を表現できる俳優でなければならない!」

 🎭 鷹山が提案するキャスティング

​ 鷹山は、大下が提案したキャスティングの**「向井理(義鎮)」、「檀ふみ(杉大方)」、「福士蒼汰(義鎮の別名であるため混同を指摘)」**を否定し、自身の持つ宗麟像にふさわしいキャストを叩きつける。


👑 鷹山の結論

​ 鷹山:「窪田正孝が演じる義鎮は、二階崩れの血を浴びた瞬間、人としての『情』を失い、キリスト教という『神』にすがることで、その空虚さを埋めようとする。これが宗麟の本質だ。この作品のテーマは、『大義』ではなく、『呪い』。大友義鑑が起こした『二階崩れの変』の呪いが、後の宗麟の人生を、そして九州の戦乱を支配するんです」

 📈 制作サイドの反応

​ 鷹山の提案は、従来の英雄史観的な大河ドラマとは一線を画す、**「業と狂気」**に満ちた宗麟像を提示するものだった。

​ プロデューサー:「……窪田さんの持つ、純粋さと危うさ、そして鷹山さんの描く**『呪われた王』**のテーマ。これは、新たな大河ドラマの方向性を示すかもしれない」

​ 大下ユージは悔しげに唇を噛む。

​ 大下ユージ:「しかし、史実では義鑑は義鎮に家督を譲る遺言を残した!あれは**父の『愛』**の表現でもあるはずだ!」

​ 鷹山:「愛ではない、**『責任の押し付け』**だ!愛する者を殺させて、その血塗られた玉座を継がせる。これ以上の呪いはない!」

 🎬 次なる対立の火種

​ 議論は白熱し、制作サイドは、鷹山の提示した「呪い」のテーマと、大下ユージの「大義」のテーマを、義鎮の二面性として共存させる方向で動き始める。

​ プロデューサー:「よし。次話のプロットは、義鎮が家督を継いだ後、入田親誠をどう粛清し、大友館の血をどう清めるか、を描く。この場面のテーマ解釈で、再び両者の脚本を比較検討しよう」

​ ナレーション:「大友宗麟の人生の幕開けは、二人の脚本家、鷹山と大下ユージによる、**『誰が宗麟の魂を描くのか』**という熾烈な戦いの始まりでもあった――」

 ​次なる展開では、「二階崩れの変」の結末であり、宗麟の**「最初の統治」となる入田親誠の粛清**の場面を、鷹山と大下ユージがそれぞれのテーマ(呪い vs. 大義)に基づいて描くことになりそうです。

​ 

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