change the World 外伝
音神 蛍
戦場
ヒュー…ドゴォォォ……
ここは、戦争禍の町カイグ。
戦争が始まる前、この町は穏やかで、静かで、明るかった。とても良い町だった。
土壌は肥えていて、作物は良く成長し、鉱山も沢山あった。ただ、一つだけ些細な問題があった。
そう、この町は世界中の降水量よりもずっと、ずっと雨が降る。
綺麗な石畳も、鮮やかな煉瓦造りの建物もみんな雨で湿ってしまう。だから人々はこの町を「雨の町」と言った。
皆、雨は好きですか?
私は好き"だった"かな。今はね、大砲の雨、なの。ほら…
君に、当たる音。
「うぇぇぇぇ…ひっぐ、ひっぐ、」幼い子だ、四歳位だろうか。言葉が伝わればいいけど。
幼い子は好きだ。でも、泣く子は困っちゃう。泣きじゃくる声は甲高く、肌も青い。耳はとんがっていてエラがあった。人間ではないのだろう。でも関係ない。助けるんだ。
「ほら、逃げな、ぼうや。」出来る限り明るく伝えた。反応はした。逃げなきゃ危ないのは分かっているらしい。それでも動かない。動けないのではなく、怖くて動きたくないんだ。私もそうだった。
しかし、このままだと私の左腕が保たない。このコンクリートは重いし。君の身体は正直生臭い、うん、臭い。その魚っぽいにおいが私の鼻には刺激が強すぎる。耐えられない。早くしてもらわないといくらなんでも潰れてしまうんだ。
「ほらっ!早く行けよ!」
ヤバイ強く言い過ぎたかも。
「あ、あ、ありがとう、オバさん。」
物凄いへなちょこボイスで坊やは言った。
私が、…おばさん?私も老けてしまったのだろうか。まだ二十一なのだけれど。
坊やが行ったのを見て、思いっ切り瓦礫に力を加えた。押さえられていたのがウソみたいに重かった。それでもつま先から指先まで全力を込めて、大きな瓦礫を投げ飛ばした。
「サグ隊長!大事ありませんか?」
そうやって言って駆けてくるのは、最近私の小隊に加わったばかりの青年だった。折角の青春時代が、戦争で潰れるとは、同情しかできない。私だって、この国の人は皆、戦争なんかしたくないのに。なぜ、これまで行き来できていたはずの、仲の良い隣国と戦わねばならんのだ。
「これは、これは、ニル君ではないか。」
それにしてもこの青年は遅かった。私にあの瓦礫を飛ばすだけの力が無ければ死んでいたのかもしれないのに。これでは町を守れないのではないか?とも思ったがしょうがない。この青年だってまだ十九なのだ。これを責めるのは私ではない。
「ははっ。遅れてすいませんでした!」
こうやって一発で聞いてくれるほど皆、素直だ。私の小隊の人員はみんな良いやつで命令も聞く。困ることはなにもない。ただ一つ男臭いこと以外にはね。
「よろしい。次からは必ず砲弾の落ちる箇所に、落ちる前に向かうことだな。まあケガしないように急いでいこうじゃないの。」
私の腕が瓦礫で潰されたというのじゃ話にならない。少しだけ厳しくあたってみたのだが、言いすぎているのかもしれない。いつまでもこいつは真面目に目を見てくるのだから怯んでしまう。
「はいっ!失礼します。」
次の指示を与え、少しだけ話した後、ニルは次の着弾予定地へと走って向かっていった。
彼は、こんな戦争なんかが無ければ、有名なフットボールクラブに入っていたのだ。部屋から出なかった私が知っているくらいの選手だった。
世界中で名を馳せる有名なサッカークラブのエース選手になっていたはずだった。かなり有望な選手だったのだ。戦争というものは人の人生をいとも簡単に変えてしまう。こんなことを始めているのはいつでも自国を愛する大人たちだけだ。
胸のポケットに入った通信機が耳障りな雑音を拾い始める。旧式の機械に頼った通信機なのだ。今時、珍しいものだよ。
最近の通信方法といえば、極東の廃国ジパングの天才少年が開発したとかいう『通信術式』が流行っていると噂を聞くのだが、いつまでも若者が知らない時代の、古びた機械を使い続けるこの国。阿保らしい。
『号令、号令。カイグ東に着弾の危険性が高まる。能力持ちの防弾隊は急行せよ、もう一度繰…』
昼飯を食っていた時にこんな伝令だ。どうせおかたづけだ。いつまでも心が休まることなんかはない。危険な場所に自ら身を運ぶのもそろそろばからしくなってくるのだが、やめてはならない。能力を持たない一般人民を守るのが私の役目なのだから。行くしかないのだ。
久しぶりにありつけたと思っていたばかりのミートパイを二切れだけ食べて隣のぼーっとしたボロボロのおじさんに差し出した。おじさんは驚いた様子で私の顔を見た。いいのか?とでも言いたげな目をしていた。私は無言でうなずいた。おじさんは躊躇うことなく、それを口へと押し込んだ。噛むことさえも惜しむようにゆっくりと味わっていた。未練も残して任務へ向かう。
誰もが飢え、誰もがお金を持たない。誰がどんな能力を持っているのかさえも分からない。この国ではもはやお金なんてものは機能しなくなった。まるっきりジパングと同じ道筋を辿ったといえるのだろう。
それは国があの天変地異の詳細を語ろうとしなかったからだったのだと祖母から聞いた。
今から約百五十年前。人類を襲う重大な事件があった。人類には今のように術式や魔法などというものはなく、そして今や身近な妖怪や魔物、妖精、神さえも人には見えなかったのだとか。今はもう慣れた存在である者達も、目の前に突然現れたということがあれば確かに驚くのだろう。
そこで、人間たちは勝てもしない戦争を始めた。命だけが消えていく暗黒の戦いだったはずだ。多くの者が死に、多くの者が対立し世界は崩壊したのだと聞いている。
地球上の社会が崩壊した頃人間には一人一つの『能力』が顕現したのだと聞いている。
ある者は怪力。ある者は飛行能力。またある者は神通力。色々な固有能力を持ち人々は生きてきた。それに伴うようにして人類は『術式』を手に入れた。火を出したり水を精製したり、大地を操ったり、風邪を吹かせたり、人を呪ったり。
私がこれらを知ったのは、つい五年前だった。この国では私が育った時からずっと、通信機器の使用を禁止としていた。そして国外に出たものは、二度と国内に戻れなかった。それらを破ったものは即刻死刑だったのだ。私は生まれた時からそうだったのだから、何も思わなかったし、当たり前だと思っていた。
ほんの少しの海の向こうにある世界を知れることもなく、私達は閉じ込められていたのだ。こんなにも便利な術式を知らずに古ぼけた機械を使いこみ、不思議な姿をした者たちの正体を知らずに怯えて。
私が私の能力に気づいたのは、この戦争が始まり初めての招集がかかった時、今から三年前だった。カイグの民全員の招集が言い渡され、民全員が能力の検査を受けた。私にバリアなんていう能力の素質があったことを知ったのはその時だった。少数派の能力だったのだ。幼いころから自分だけが持つものなど何一つなかったのに。まさか十六にもなってやっと自分の強みを知るなんて喜んだなんてものじゃない。
その検査で部隊が分けられた。幼いころからの友達や家族、弟と別れてまでもだ。周りの男子が振り分けられたのは前線隊といういわば歩兵隊だ。中隊長以外はほぼ全員が能力を持たない非能力者だった。弟もそこに配属された。弟には青炎の能力があった。これまた希少な能力だったのだが暖かくて湿気の多いカイグでは活躍の見込みはないという判断だったのだという。両親はそれぞれ別々の運搬小隊に配属されていった。詳しくは聞いていないがそこまで便利な能力ではなかったそうだ。
民全員がこのように分けられた。海を挟んだ向こうの大陸での発展を知らなかったカイグは、まさかの皇族までも平民と同じように分けられた。
本当の意味での平等が実現されつつあるのだろう。前戦隊では家族と別れ突撃命令を待つたくさんの男たちが心を無くしていると聞いている。無理もない、海岸には大きな軍艦が並びそこら中に能力を持つ巨漢が侵略に来ているのだ。
そうこうしているうちについてしまった。隣海部に位置するこのカイグの東端、ドリフトミアでは日中ずっと敵国パシオンからの砲弾を受けている。異様に飛距離の長い砲弾が海の間を飛び、その数多くの不発弾が大きな山を築いている。今日の任務は絶対といっていいほどこの砲弾のおかたづけだ。
私たち第二防弾中隊が降ってくる砲弾を防ぐ。そして、爆弾の混じる直径五十センチほどの球を資源運搬隊が運ぶのだ。そして運搬先でこちらの資源として活用する。砲弾が飛んでくる離島の島国だからこそ考え抜いた苦肉の籠城ならぬ籠島作戦というやつだ。資材が不足し、食料もない、いやな雰囲気になってしまったものだ。籠島なんかしなければもう少し楽だったろうに。負けるのかもしれないけどね。
「着いたな。第二防弾中隊集合。」真っ先に降りてそう号令をかけるだけで、人だらけだったむさくるしいトラックの中からすぐに這い出てくる。
「集合。人員確認。呼名をはじめる。隊員番号1、」
「はいっ。」はきはきとしたデービッドの声。
「2」「はい」けだるそうなジョン。
「3」「はーい」落ち着いているマイケルの声。
「4」「5」「6」と続き、ケン、ソラ、ニルだ。三人ともめちゃくちゃ真面目なのだ。前三人も真面目だが後ろ三人と比べると大分危なっかしい。まあ、何でもいいとして、私を含めて第二防弾中隊は七人構成となっている。
ほら。早速当たる音だ。沢山の弾が一気に降ってくるのだ。風を切る音がして頭上に墜ちるそれをしっかりとバリアで防ぐ。それが私たちの仕事。着いて即刻だというのにうちの中隊の青年たちはしっかりと動いてくれている。頭上に墜ちる弾を防ぐ。
「サグ隊長!ここは任せて休んでいてくださいよ!」
ソラがこう言ってくれた。隊長とはいえ彼らも本音は女なんかと思っていたりするのだろうか、とも最初は思ったものの彼らは私をいい意味で女性として見ていないのだ。
休んでいろ、はいつものこと。中隊とは思えないほど各地をまわり任務をこなしている私たち。毎回役割交代制で、メインの広い範囲を防ぐバリアを張る者、特に脆い箇所や離れた場所を重点的に保護する者、と分けている。それが一番疲れないのだ。
ソラの言葉に甘えるようにそこでの任務は手を抜かせてもらった。それでも通して十一時間半。終わったのは深夜十一時頃だった。
時間の割に落ちた砲弾は多くなく、事なきを得た。怪我人ゼロ。深夜になってもまだ砲弾の飛び交う音が聞こえ続けた。日暮れを迎え特急移動小隊と合流し、カイグの中央部、ケイスミンスターに向かった。ついたのは三時ほどだったのだろうか。
鳥のさえずりが耳に刺さり、目を開いた。眠い。眠い。眠い。宿直室に入ってからたった二時間の睡眠。こんな戦争が始まる前なんか半日寝ることが幸せだったはずなのに。何ヶ月もこんな日を迎える朝に嫌気がさしている。昨日はやっとの思いで手に入れたミートパイを手放し、今日は睡眠がとれない。もう散々だ。
またも古い機械が鳴り出す。まだ起きて寝ぐせも立っているのだ。少しくらい休ませてほしいものなのだが、現実はそううまくはいかないらしい。とりあえず伝令を聞いてから準備をしよう。
かたい、病床だったはずのベッドがきしりきしりと音を立てている。ベッドの下の衣装ケースを引っ張り出す。金属製の箱が床を擦る耳障りな音がした。ずっと任務が入っているのだ。休んでいる暇なども無かった。私服など入っているはずもない。全て燃やした。いつもの隊服に身を包み装備も整える。
先ほどの伝令では
『カイグ南、レッドヘイヴンへ砲弾の危険性。住民の撤退準備をせよ。防弾隊は向かえ』
とのことだった。私たち以外の防弾隊は第一隊と、第三隊があるがどちらも負傷により活動休止となっている。西の大陸から来たハゲチョビン鬼教官からの猛特訓をさせられた私やケン、ソラのいる第二中隊が一番の戦績を残している。私も前線の砲弾をあと十三弾ほどで隊長へと昇格する。
いつものように呼名を済ませ配置についた後砲弾の音が鳴り始めた。
豪速で落下する音がした。妙に軽い音だった。
いつもと違う。そんな気がした。はるか上空に飛ぶ砲弾は形さえ見えなかった。
「皆、気を付けろ。何かが、違うような気がするんだ。注意を怠るなよ」
ピィガガと雑音を拾った。
『サグリーヴズ中隊長!伝令だ!伝令!』
変に焦った伝令が聞こえた。いつもの子じゃなかった。誰だ。野太い声だったのだ。
『サグ!その弾は砲弾じゃない!』
じゃあ、なんなのだよ、教えてくれ早く。
「なんだよ、はやく言え。」
「わからない。何かがの…」
ピガァアアアと雑音を鳴らし始めた。
「ケン!ニル!どでかく強く張れ!」
「は、はいっ!」
よし、よくわからんがそれで良いだろう。
待て、なんでだ、音が変わっている。音が変わっているのだ。
本を落とす時のような圧迫された音、球体なんかじゃない。そう思った時には足元に黒い影が広がっていった。
私は二度目に空を見上げた。異様に長かった滞空時間、音が変わった理由。あらかた思いついていたのだ。恐る恐る上空を見上げた。恐怖のあまり、私は固まってしまったのだ。
「隊長…砲弾の形状が変化していっていませんか…?」
嘘だと言ってくれ。意味が分からないほど大きな円盤に成っていた。UFOを思い浮かべてほしい。私たちの頭上二十メートルほどにそれがあるのだ。広く暗い塊が私たちに向いていた。アレはいくらなんでも、防げない。
馬鹿みたいに大きな塊が自由落下で落ちるその一瞬、ただそう思ったのだった。
「皆…に、逃げろ…」
喉から掠れた声が出た。誰もが恐怖に縛られて動けなかった。動けたとしても逃げる場所なんか私達にはなかった。
目を瞑った…。何が起きるかなど分からなかった。ああこれは死ぬやつだな、と思ったのだ。
鈍い音がした。
同時に燃えるような激しい音がした。体中が焼けていると認識した。体が燃えるときはこんな感じに熱いのか、とか他人事のようにとらえ始めていた。
無音。無音。ああ死んだのだな。
沈黙を破る声、燃えるガソリンのにおい、瞼を刺激する日の光、隊員達の膝から崩れ落ちる音、それらの感覚が戻り、静かに目を開いてみた。
目を開くとうつ伏せになった私の顔を覗き込もうとしている白い犬と悠然と歩く美少年がいた。呆気にとられるほどの美少年だった。白い犬が顔を舐めてきた。
「起きました、ね?大丈夫ですか?あなた…生きてます?」
あれ、この顔は確かに極東の顔だ。訛りがジパングの話し方だった。なぜいるのだろう、などという疑問さえ浮かばないほど美しい顔だった。
「あの~、どうしました?」
いい声だ。ここがどこなのかもどうでもよくなるほどうっとりとした。
「いや…。なんでもないです。それより謎の物体は?」
「あ~、アレですか。消し飛ばしましたよ。安心してください。」
と黒いコートを着た美少年は、海の方向に指を指した。そこには、あのでかい物体の残骸と思われる瓦礫が溶けたように砦に被さっていた。あんな溶け方何をしたらなるのか不思議だった。
その光景を見て、しばらく呆気にとられた。
「大丈夫ですか?」
縮こまっていた隊員たちのもとへ歩いていき声をかけていく。みんな恐怖で目が潤み、恐怖で固まった顔をしていた。この青年たちには怖すぎたのかもしれない。いくら何でもあんなにでかい物を防いだことはなかった。
「サグリーヴズさん、でよろしいのですか?名前。」
なぜ知っているのだろう、この少年は何者なのだ。
「あ、名前ですか?長官に教えてもらいましたよ。」
長官?中隊長の私でも、それ程会うことの無い人と面識があるのか。なおさら存在が気になる。
「隊長、顔真っ赤ですよ?」
ソラが涙目で近寄ってきながら見てきた。うるうるしていて涙声だった。
「真っ赤か!?」
なぜか声が裏返っていた。はずかしいな。なぜこんなに暑くなるのだ。
「合っていますよ。苗字ですけど。本名は エリザ・サグリーヴズEliza Saggreavesです。読めるのですね、カイグ語。」
少年に言ってみた。あぁ、と囁く子供っぽい顔をした少年。
「それは勿論。私たちが生まれる前はこの国の言葉が共通語だったそうではないですか。カイグ語もその流れですので少しなら話せます。」
まだ幼い顔をしながらも博学な少年だ。
「あなた、名前は?」
隊員達がほかの隊の者たちを起こしに行ったのを見て少年に近づく。身長は私より少しだけ小さいらしい。ジパングの民は身長が低いのだと知ってはいたのだがまさかこれほど小さいとは思わなかった。私も百六十五はあるのだけれど。
「私の名前ですか?私は、レイリ ヤガミといいます。」
「へえ、ヤガミね。出身は?」
「もうわかっているでしょう?サグリーヴズさん。」
「あー。やっぱりジパング?」
ほらわかっているじゃないですか、そう言って歩きだす少年。身体も心も痛めた兵を小さな身体で担いでいくヤガミとともにケイスミンスターへ帰った。途中何度も休憩をしたがいつでも白い犬と遊んでいて、すごくかわいらしかった。うん、可愛すぎた。
帰り道の途中で聞いて見れば、少年はジパングの民間団体J-Reb(ジパングリブート)の一員だという。我が国の援助に来たのだといっていた。で、カイグ東の対砲弾隊の状況把握に迎えと連絡が入ったので来たのだと言った。
あの謎の砲弾の残骸は、得意の『炎術』で焼いたのだと言っていた。強さも尋常じゃないらしい。
それから、一週間に二回程度会う様になった。その最初の三週間で色々気付く事があった。その少年の話す言葉は、世界共通言語と、カイグ語と、カイグ周辺の国の言葉で、もしかしたら、大抵の国の言語は話せるのかもしれない。頭がズバ抜けていいらしい。
かなりの手練れで、うちの司令官よりも断然強い戦闘能力を持っていることも知った。修行場では組手をやっていたのだが、うちの前線歩兵として戦績を残して昇級した小隊長をほぼ一方的に倒していた。
年齢は、見た目よりも大分上のようで、もう二十七だという。私より六歳も年上だとは。何周回っても思えないほど童顔なのだ。
「また会いましたね、サグ隊長。」
私は、この四週間の内に、砲弾を五十八発防ぎ、防弾隊隊長という誠に名誉なはずの称号を獲得したのである、五十発を防いだ事により、第一防弾隊の隊長となった。隊員は中隊の時とほとんど変わっていない。ただ、カイグの方針でJ-Rebの助けを借りる事となったため。J-Reb第一隊からの派遣者が来た。それがヤガミだった。その他にも第一防弾隊になり隊員が増えた。この増えた三人がめちゃくちゃ生意気なのだがそれはいいとして。
「この度は、我が隊にお越し下さりまして、感謝の程をお伝えします。」
第一防弾隊のレイリの入隊式を始めた。久しぶりに真面目に読んでみた。
「サグさん。文法おかしいし、いいですよ、硬いのは。どうか一隊員として扱って下さい。よろしくお願いします」
あどけない少年の顔が私を見つめて笑った。可愛い。
「はい。よろしくお願いします、ヤガミさん」
精一杯の笑顔で言った。気持ちを切り替えて、任務に入る。
「では、任地から言い渡していく。ブレイフェル第一区の警護として、ケン。第二には、ニル。第三にはマイケル…」
それからは、毎日任務の入らないトレーニングの時間に会っては、組手をした。いつの間にか名前で呼び合うようになっていた。隊長になったことで外に出ることも少なくなり前線守備の任務に代わりそうな話も出ていた。嫌だなぁ、という話をレイリにした後から長官に何も言われなくなった。何かしてくれたのだろうか。
怜利は見かける度、ジムに来てまで、懸垂や腕立て伏せ、腹筋をしていた。
地味なトレーニングばかりしているレイリの姿は少しだけ軍の間で評判になっていた。
身長は平均的な私より更に小さいレイリは純粋な力こそ変わらないものの、異常なまでに速い、まさに化け物のような強さだった。
痩身なレイリは、横が人二倍細い為に、かなり小さく見えて、明らかに力が弱そうなのだが、これまた異常。
レイリは力の使い方を知っているのだろうか、体格からは想像できないような威力の拳を相手に突きつける。
うちの、肉弾代表のニルが片手ハンデのレイリにたったの四十秒でへばってしまった。やはりJ-Rebの一隊はすごいのだろう。
レイリは、ケイスミンスターの道場で、今のところ無敗である。たまに武功を上げた突撃隊員などが、可愛い童顔なレイリをナメてかかるが、その圧倒的な戦闘能力で、秒殺してしまう。その顔はいつもとは違い冷酷な面持ちなのだ。背筋が凍るほど怖い…。
そのまたある日は、防弾隊の総隊長の司令で、首都へ招集がかかった。J-Reb主催の講習、肉弾戦講習会が開かれた。その間はJ-Rebの一般兵が各地の守衛に徹してくれているそうだ。
講習会でのレイリはなぜだか、J-Rebのメンバーの中心にいるように見えていた…。まあ、それはおいといて、講習会では、主に体の硬化や、バリア展開を、どのような使い方で活かすか。について教えてもらった。沢山の展開方法。自分の能力の活かし方。能力の詳細。などを、J-Rebの人達がローテーション形式で伝授してくれた。
レイリは、遠距離にバリアを飛ばす方法を実践してくれた。体術が強かったから肉弾メインの戦闘スタイルなのだと勝手に思っていた。しかし実は術式のほうが得意なのだと他のJ-Rebメンバーが言っていた。本当万能すぎて嫌になる。
そこに新情報も聞いた。レイリは通常一つのみの能力を、沢山持っているのだ。私がこれまでに見ているのは、接近術式、いわゆる瞬間移動。遠距離術式、属性の変えられる輪式術。防御術式、バリア。回復術式、治癒術。体格変化、体重や身長の増加。短時間の筋力増強。多分見ていないだけでもっと多くあるのだろう。例えば、イケボ量産。とかも含めてね。まあ、なんにしてもかなり驚く能力ばかり持っていたのだ。
なぜそれほど多く能力をもっているの、と訊くとレイリは答えた。
「結局は自分が少しでも楽になるために身に着けました。少し頑張ればエリザさんも色々な術式を扱えるようになりますよ。」
とのこと。無理無理。レイリは自分の異常さを理解していないらしい。なんにせよ、あの小さい身長がレイリのデフォルトではなかったということだ。もしや私の方が小さかったりして…。あとで、確認しときたいと思う。
講習会のあと、宿直室に帰る道でレイリが教えてくれた。
「実は私の能力は、コピーすることです。」
と。そんなに簡単にコピーできるものではないそうだが、長い間一緒にいた周囲の者の能力をコピーできる、ということだった。
「へえ、便利じゃない?いいね」
と言ってみたら、レイリの横顔は見たこともないほど切なかった。
「いやぁ、あまり嬉しくないですよ。」
と悲しそうに言うレイリ。言うんじゃなかったな、と思っても、もう言葉は口に戻ることはなかった。
「おやすみなさい、エリザさん」
と言うレイリ。結局あれから話すことなく宿直舎についてしまった。うつむいたままのレイリ。彼もこんなに落ち込むようなことがあるのだな。と思ったのを覚えている。
それからも事あるごとにレイリと会う時間が増えていった。任務でもやはりJ-Rebの第一隊という称号があるためか、なんだかんだ共に行動している。
そんなある日、長官から海を越えた前線基地への偵察活動の任務を言い渡された。『ヤガミ殿の指名だ、よき盾となれ、』とかなんとか。レイリの身の捌きなら絶対いらないだろうとは思うのだが、レイリと過ごす時間がこの戦争禍での心の休まる唯一の楽しみとなっていたのだ。受け入れないはずがない。
まさか、言われたその日のうちに出発だとは思っていなかった。何も準備してないうちに出発予定地、カイグの南端、レッドヘイヴンに着いてしまった。持っていたのは三日分の着替えと、軍備として配られた水筒だけだった。着いたすぐに、小さなショップを見つけた。せめて、食料だけでもと思って入ったところ、レイリも店の中にいたのだった。
どうやらレイリは、まずい乾パンでも買おうとしているらしい。
「レイリさん、乾パン買うの?」
声を掛けてみたが、何も反応がない。聞いていなかったらしい。首を傾げて、両手にそれぞれ取った缶を見比べている。迷っているのはチョコかプレーンか、らしい。不意にこっちを見て訊いてきた。
「チョコ好きですか?」
驚いた、急に訊くものじゃない。
「別に嫌いじゃないですけど?」
うん、と決めたようにレイリは頷く。そして棚に陳列されていた乾パンをチョコもプレーンも全て抱え込んでレジに向かっていった。
「ちょっと?レイリさんどっちも買うの?多くないですか?」
レジの前に立つレイリの横に立って訊いてみた。
「少ない位ですよ~。」とかなんとか真顔で言ってきっちり代金を払っていった。呆気に取られていたところ、
「行きますよ。」
とせかされた。が、まだ何も買っていないことに気が付いた。なんて言おうか迷っているのがバレて先に言われた。
「乾パンあげますから行きましょう?」
ぐぅ。ごねてみたら小舟に強制連行された。隠密で索敵に行くはずなのに、驚いたのは木でできたただの小舟に乗り込んだことだ。船底にはうっすら水が染みていた。舳先近くに座らせられた。レイリは後方で何も言わずに黙々と荷物を積み込んでいる。
「レイリさん。…この船で敵領まで行けるんですか?」
「もちろん。安心して、旅に行くつもりでゆっくりしましょう。」
そういったと思ったらもう船は岸から離れていた。
「うそ、本当にこの船⁉ちょっと??え、本当に?」
後ろで立って舵取りをしているレイリに振り向いた。レイリはうっすら笑うようにして言った。
「うそは吐きませんよ。」
すると船がグググと前に進みだす感覚がした。なんだと思ってレイリの様子を見てみると、手で『印』を組んでいた。
「なんですかこれ!ちょっと!?ねえ待って…!」
「待ちませんよ、」
ギャーギャー騒ぎながら、私はこれから先の一週間が忘れられない時間になることを考えているはずもなかった。
波に打たれる海域を越えた辺りでレイリも座り込んだ。不思議なことに術式は変わらずに動き続けているらしい。モーターボートよりもかなり速いように感じる。
ともに戦場を歩き回る偵察は、本当ならば危険も多いのだろうが、不思議と安心感を持っていた。
年末になってやっと休暇が貰えたある日のこと。久しぶりにゆっくりと街を歩く。未だ寒さは厳しい。人々が貧しいのは変わらないのだが、日の光は暖かく気持ちがよかった。周りに耳を傾ければ、子どもの笑い声、楽しそうな笑い声、元気なかわいい犬の鳴き声、聞き覚えのあるイケボ。
ほほえましくなって少しだけ笑顔になった、直後にいつもの声だと気がついた。
「イケボッ…!」
思わず叫んでしまった。瞬間、背後から心地よい風が吹いた、視界の端に見慣れた黒いコートが映る。
「エリザさん。どうしたのですか?」
と耳元で例のイケボ。後ろから両肩に手を置かれ、耳元で囁かれた。やばい。暑い。
「あの、レイリさん」
やばいどんどん周りの目が集まっている気がする。なぜかその時は身長がでかくなっていた。いつもの小さいレイリと違い見上げるほど大きかった。周りの目から逃げるように、こぢんまりとしたカフェまでレイリの腕を掴んで走って行った。結構周りのおばさんたちに眺められていた。うわぁはずかしい。
「エリザさん急に走ってどうしたのですか?」
店内に入ると、すぐに訊かれた。
「あのですね、急にあなたみたいな目立つ高身長イケメンが平凡な私に近づいたら目が集まるんですよ。」
ポカンとした顔でこっちを見てくる。この大きさでも可愛さは健在だということが分かった。
「なんかだめでした?」
やばい、私みたいな青春を味わっていない、二十代には、可愛すぎる、と思ったが、この童顔君は、二十九になったのだ。くう、赤面してしまって顔を向けられないではないか。
「どうしたんです?エリザさーん。」
顔を覗き込むように見てくるこの年上童顔君。
「な、何でもない。だめではないのだが、恥ずかしい……」
恥ずかしいのかなぁ?みたいな目でこっちを、見ないでくれ…
「そ、そういえば、それがデフォルトの体形ですか?」
手で顔を抑えながら、気になっていたことを口に出して、訊いてみた。
「ああ、確かにこの身体見るのエリザさん初めてですもんね。ねえ、エリザさん。」
こっち向け、と言わんばかりの呼名だった。耳が焼けるように熱いんだよぉ。
「は、はい?レイリさん、な、なんですか?」
やばい、ソファ席に座り対面でいながら、壁を向き続けるのは明らかに挙動不審だろう。そろそろウェイターが来る頃だろうに。あぁあ、ものすごく恥ずかしい。こんなの初めてだよ。
ご注文をどうぞ、と声がした。人の来る気配がしなかったから、すこし怖くなり通路側を向いた。
「やっとこっち向いてくれましたね。エリザさん。」そう言ったのはいつの間にか隣に来ていたレイリだった。思わず目を見開いてしまった。多分あのウェイターらしき声はレイリが出したのだろう。何でもできてしまうのだな、本当に。いつもの小さいレイリとはまた違う美しさをもった顔がかっこよかった。
「あ、あれぇ?きょ、今日はワンちゃんいないんですか?」
急に話を変えすぎて不自然じゃなかったかな。
「あぁ、ユウキですか?今日は寒くなると聞いているのでお留守番ですよ~」
「へぇ、そういえばユウキくんって名前初めて聞いたかもしれないですね」
よし、だんだん耳も落ち着いてきた。顔もそろそろ大丈夫かな。
「あ、そうですよね…。私もいつもユウキって呼んでないです。」
微笑みながら語るレイリ。ユウキくんの話を始めるといつもにこやかになるレイリ。可愛い。
「失礼させていただきます、ご注文は?」
二つ隣の席からウェイターがそのまま来た。今度はきちんと人だった。このご時世では珍しくきれいに整った制服を着ていた。
「はい、私にブレンドコーヒーを、エリザさんは?」こっちを少し見て訊いてくれた。
「何がいいかな、うーん。ロイヤルミルクティでお願いします」
二人共、メニューを見ずに頼んだ。
「え、ご注文を確認します。ブレンドコーヒーとロイヤルミルクティでよろしいのですか?」
とウェイター。なぜだろうか、かなり驚いた様子だった。
「いいですよね?エリザさん」
うんうん、とうなずき返した。
「かしこまりました、」
といって足早に歩いていくウェイター。何をそんなに確認することがあったのだろうか。
「えーと、なんの話をしていましたっけ?」
とレイリ。
「ユウキくんの話?」
あぁそうそう、とまた笑みを浮かべるレイリ。
それから少し高そうなカップが席に届き、かなりの間話した。
ひとしきり、戦場でのことや仲間のこと、家族のこと、故郷のことを話した頃、レイリが突然切り出した。
「あ、話題換えちゃいますけど、」
なんだろう。急に切り出したのだから大事な話なのだろうか。
「エリザさんはなんでこの防戦兵に加わったんですか?」
思いも寄らない質問に、私は戸惑った。
「うーん。難しいです。その質問。」
「突然すぎましたね。すいません」
謝るように少し頭を下げた。それから姿勢を戻して、おいしそうなコーヒーを啜る。
「うーん、私たちカイグの民は自分で所属する隊を決められなかった。私は能力検査でバリアを持っていましたのでほぼ強制的に防弾隊ですよ。」
え、と思わず目を見開いて面食らったような顔をしているレイリ。
「それ、本当ですか?聞いたことないです」
「本当ですよ。知らなかったんですか、レイリさん」
尋ねてみる。全てのことに関してなんでも知っていそうなレイリにも知らないことがあったのだと思うと少しだけ安心したような気持ちになる。
「はい、知らなかったですよ。まさか、そんな分け方をしていたなんて…。」
少しだけ俯いていたレイリ。
「だから、理由なんてないですよ。」
そうでしたか、と暗く言うレイリ。
「気にしないでよ。レイリさん。」
「はい、変な質問してすいません。」
少しだけテーブルに突っ伏したレイリ。それによって髪がぼしゃっとなって、大きいレイリのくせにかわいく見えた。柔らかいのだな、レイリの髪。ふわっとしている。私の茶色い髪より大分柔らかいのかもしれない。
二人でなんだかんだ二時間も話していた。それからレイリが通貨の勉強のために支払いを任せてほしい、ということで会計の様子を出口の辺りで見ていた。しかし、途中かなりのお札を出していることに気が付いた。気になって近づく。
「どうしたのですか?エリザさん。待ってて大丈夫ですよ?」
「え、ちょっと待ってください、なんでそんなに出しているんですか?」
だって、と指をさすレイリ。レジの文字盤にはありえない数字が並んでいた。168カイグドルだった。高すぎる。
「え、なんで!?えぇえ」
焦った。一杯しか飲んでないはずなのだが。
「大丈夫ですよ、二万円くらい。」
円ってなんだろう。とか思いながらも呆気にとられていた。やけにおいしいなと思っていたのだがまさか高級店だとは…。急いで入ってしまったのが失敗だった。
カフェを出た後レイリに謝る。
「ごめん、あんなに高いところだって知らなくて。」
「大丈夫ですよ~。めちゃくちゃおいしかったですもの。」
笑顔でこっちを見て言ってくれる。本心なのだろう。
「支払い任せちゃったけど、払いますよ!レイリさん」
財布から10カイグドルコインを八枚出した。
「本当に大丈夫ですから、楽しかったですしね」
そういって伸ばしていたコインが載っている私の手を包み込んでくれた。
「寒いですよね。大丈夫ですか?エリザさん」
そういえば夕焼けが見える時間なはずなのに真っ暗で寒くなっていた。雪でも降るのだろうか。
「大丈夫ですよ、慣れていますから。レイリさんこそ寒くないのですか?」
「あぁ、私は大丈夫です。このコートめちゃくちゃ分厚いので。」
そういっていつも着ているコートのボタンをはずして中を見せてくれた。身長が変わると同じコートを着ていても印象がだいぶ違うのだなと思った。
「へぇ、暖かそうですね。いいですねそれ…」
レイリには着たい、と取られてしまったらしくすぐに脱ぎ始めた。厚いコートの下には薄いワイシャツとモコモコしたジャケットを着ていただけだった。
「着てみてください。」
「お言葉に甘えて、」
差し出された大きなコートを着てみた。さっきまでレイリが着ていたからだろうか、温もりを感じられた。そして大きくて重かった。
「そのコート…あげますよ。」
「え?なんで?いいですよ。」
急に言い出した。それほど欲しそうに見えてしまったか。
「大分古いですけど、温かいでしょう?クリスマスプレゼントのお返し、ということで。」
胸を指さしながら言うレイリ。胸ポケットに入った銀色の懐中時計を意味しているのだろう。確かにあげたが、あれは誕生日プレゼントとしてあげたつもりだった。
「本当にいいんですか?これ、いいコートでしょ?」
「もちろん。大切に着てくださいよ?」
レイリは分厚いコートの思い出を語って、一緒に歩いてくれた。そこまで大切なものならくれなくていいよ、と何度も言ったのだが。
「エリザさんが着てて。」
と頑なに拒んでいた。視線を逸らしながらつぶやく。恥ずかしそうにしているレイリは可愛かった。
絶対寒かっただろうに宿直舎まで一緒に歩いて行ってくれた。私は温かいコートのおかげで寒くなんかなかった。
年が明け一層寒くなり、静かに雪が降り続けていた。ハッピーニューイヤーとか言ってられないある日のこと、任務から戻り食堂に向かったときのこと。
「うあぁああ!やめてくれ…」ケンの声だ。どうしたのだろう。あんなに不審な声をあげて。
「テメエが来たんだぞ?あぁ!!」と食堂の中から激しい声が聞こえてきた。ヤバイ。この声は車両突撃隊の隊長、『激進のカマ』という異名が付くほど強い隊長だ。急がなくてはと思いながら走る速度を速めていく。ドガッ…シャン!と重い音が聞こえた。急がないとかなりまずいのかもしれない。と思ったのだが、なぜかレイリの怒声と、少しの悲鳴が聞こえた後、声は止んだ。全ての音が消えたかのように沈黙が響く。
扉を開け、中を見る。そこは想像を絶する光景だった。まるで散弾銃で撃たれたかのように穴が空いた床。突撃隊の隊員達は倒れこみ、血が飛び散った食堂。完全に気絶しているのだ。うちの隊員達も床にうつ伏せになって倒れこんでいた。隊員たちは血が出ていないように見える。怯える皆は壁に張り付くように体を引いていた。食器などが散乱した床の上に小間切れとなった机の板も所々に点在していた。
それらの中心には全身血だらけのレイリ。倒れこみ、動かないカマ隊長を睨むようにして立っていた。その目は獲物を見据える獣のようだった。手にはあの懐中時計がしっかりと握りしめられていた。私の右足元にはケンがいる。うずくまっていた。
「ああ…エリザ、さん。」名前を呼ぶことを少しためらうようにして言葉を発した。不敵な笑みを浮かべて、表情が冷え切っていた。いつものレイリじゃなかった。
「レイリさん…、なにをしているの…?」こう問うと、
「酒に酔って人を傷つける自惚れ達を、少しだけ潰したのですよ。」
とまるで何もなかったかのように、淡々と静かに答えた。ジャケットの胸ポケットに懐中時計を戻していた。ジャケットの襟が裂けていた。
私の胸を締め付ける。明らかにこれまでの優しいレイリとは様子が違った。私も、皆と同じ様に、優しかったレイリに恐怖を感じ始めていた。
そっとしゃがみ込み、足元のケンを背中にゆっくりと担いだ。どうやらケンも気絶している様だった。
「サグリーヴズさん。搬送お手伝いしますよ。」
と声を掛けてきた。
「いいえ。良いです。」
エリザ、とはもう呼ばないのかな、それだけ思ってその場から逃げた。いつの間にか、泣いていた。
三日後、長官より報告があった。潰されていた、突撃隊は解散処分で、カマ隊長に関しては投獄となった。うちの隊も一週間の活動停止を言い渡された。J-Rebの隊員、八神 怜利は一週間の軟禁の上、前線歩兵隊への移動となった。代わりにJ-Reb第二隊の守護術式の使い手が来るらしい。ケンは、治療の為、82日の療養休暇を与えられた。
「君にはJ-Rebからの申し出で、罰を与えないこととなった。本来ならば、監督責任が問われることではあるのだが特別に、だ。ただし隊としての罰は受けてもらう。それでいいな?」
断ることなどできもしない。なぜ私だけが救われるのか分からない。J-Rebは何を考えているのだろうか。私も皆と同じ罰を、と思ったが無理なのだ。上の命令が絶対である。
長官から話を聞いた。
ケンは、隊長の後ろの席で、食堂の飯を取っていた所、立ち上がった際に椅子をぶつけたのだ。そこからソラやニル、マイケルも喧嘩に加わり、隊同士で戦闘を始めたらしい。ケンは投げられた時に衝撃を強く受け骨髄のヒビとなった、ということを説明された。そこになぜレイリが関わったのかは説明されなかった。とにかくケンの怪我がそれだけで済んだのは、なんだか知らないがレイリの、返り討ちのお陰らしい。レイリの前線隊送りは、いくらなんでも酷いのでは、と長官に訴えてみたのだが、長官曰くJ-Rebの方針らしい。
隊への罰則として、いつも寝泊りしている宿直室に閉じ込められることとなった。元々は精神病棟だったのだと聞いたこの部屋は内側から鍵を開けられないようになっている。
そして対呪術式がかけられている。要するにほぼ牢屋ということだ。
防弾隊の全員がそれぞれの部屋で閉じ込められていると説明された。窓もドアもすべて締め切っているせいか薄暗く、奇妙な空間となっていた。静かに降り続ける雪の冷たさが窓ガラスを通じて感じられた。黒いコートをクローゼットから出して羽織り続けた。冷たかった。
食事は毎日三回。決して少なくはない量をきちんともらえ、これまでの活動をキャンパスの学生のようにレポートに書いて提出するという日課を与えられた。それ以外は部屋の中ならば基本自由で何をしていてもよいのだという。何もすることなどない。
これから一週間の活動停止は、軍にかなりの被害が増えることとなるだろう。ちょっとしたテロじゃないかこれは、とも思ったが、だからこそあの荒々しいカマ元隊長は投獄されているのだった。一日中寝ることが幸せだった戦前を思い出そうとするが、楽しかった記憶はあまりなかった。
一緒にカフェへ行ったり、クリスマスを一緒にすごしたり、プレゼントを渡しあったり、ましてや命をかける戦場で夜を語り明かしたことなどもなかった。
あぁ。レイリと会いたい。そう思ってしまったのだ。
レイリが危険な前線へ行ってしまったのは私のせいではないか。そう思ったが。どうしようもなかったのかもしれない。
軍会議があったのだからしょうがない、などと自分に言い聞かせた。何度考えても私にはどうしようもないのだと思えてしょうがなかった。考えるごとに無力感に襲われた。
届けられた食事。食堂に集まってみんなで食べる物よりも冷たく、味が薄く感じられた。普段硬い表情をしている隊員達も食事の時だけは皆笑顔だった。あの欲を見せないレイリも食事の時だけは大喰いの片鱗を覗かせていた。
あの食事の時間、何があったのだろうか。なぜレイリはあの懐中時計を手に持っていたのか。あれ程まで食堂が荒れたのに静かに立っていたレイリが何かしたのだろうが、あれ程までに怒っていたレイリは見たことがなかった。怖かった。冷たかった。
このまま会えないのかもしれないな。とも思った。でもそんなのは嫌だ。嫌なんだ。こんなに誰かを思ったことはなかったから。
ただ一日を寒い部屋で過ごすということが苦痛だった。あの日のように話をしながらおいしいミルクティを飲んでいたかった。こんな戦争さえなければあの店に行っていただろう。こんな状況にしたって、学生だったはずにしたって、あの店の飲み物は高かったし、一緒に行く人もいないのだ。あの綺麗な店に行くことはなかっただろう。
ただ冷たいコートを抱きしめて眠ろうとした。
長官から報告を受けたつい二日前。私がレイリの前線送りを強く反対していれば、レイリが危険な戦場へ行くこともなかったのかもしれなかった。何度後悔しても許されないのかもしれない。レイリは許してくれるだろうか。
目を覚ましてもまだ三日目。冷たく硬いベッドも冷え切り、唯一温かいものはこのコートだけだった。いや、温かいと思っていただけかもしれない。
いっそう、レイリなんかいなかったと思うほうが楽なのかもしれない、とさえ思う。そんなことしたら気が狂うと分かっていたから考えただけで、術式を掛けることはなかった。忘れられるわけがないから。初めてあんなに仲良くなれた、好きな人なのかもしれない。忘れられるわけがないんだ。
一週間の罰則が終わり久しぶりに寒い外に出た。すっかり肌も荒れて、髪も大分ギシギシだった。
「隊長?大丈夫ですか?」
そう何度も隊員たちに訊かれた。あまりにも落ち込んでいたのが分かっちゃったのかなと思った。長官からも精神医へ行くように勧められたが結局行かなかった。
私はしばらくレイリを忘れようとした。気にしないことにした。自分が戦場に向かう一人の兵士だと気づいたのだ。
間もなく短期間の雨季に入るのだ。カイグの能力者は比較的、水の術者が多い。そのため全国民がこの時期を待っていたと言ってもいい。
私は今日も、街に降る鉄の雨を防がなければならない。温かさなど忘れるのだ。
とうとう戦場へ向かう時が来た。あれから九か月、たくさんの任務を重ね、忙しい時間を過ごしてきた。レイリを見かけることはあっても、私が避けてきた。まったく話していない。それでもレイリの噂は常に聞くほど活躍しているらしい。噂を聞くたび切なくなる。でも、関係のないことなのだ。一人のカイグ兵士とJ-Rebの兵士。
宿直室のクローゼットに丈の長いコートを戻す。少しだけ感傷に浸りながら。もうこの温かさに頼ることはできないのだ。いや、死んで無くす位ならばここで忘れ去られていたほうが楽だろう。ゆっくりとクローゼットを閉める。闇に包まれていてもコートだけは最後まで確かに見えていた。
私は、八枚のコインを握って部屋を出た。
今日、カイグ本土からパシオンの陸軍が撤退を始めた。多くの砦をカイグ軍が落としたのだと噂になっている。ずっと連絡の取れていなかった弟から通信術式で連絡が来た。来た、と言っても急に目の前で光った四角い薄っぺらを手に取っただけなのだがね。そんな高度な術式を不器用な弟が使えると思っていなかったので驚いたが、内容を読んでみて納得した。内容はこうだった。
『拝啓 エリザ・サグリーヴズ
おねえちゃん、久しぶり。弟のルイだよ。こんな術で連絡とっても後で怒らないでください。手紙なんか書いている余裕も場所もないんだ。ゆるしてください。
おねえちゃんが生きているということをヤガミさんから聞いているよ。おねえちゃんにしては随分と仲良くなったんじゃない?いい人じゃんか、ヤガミさん。この術のやり方もヤガミさんに教えてもらった。便利だねこれ、面白いし。おねえちゃんもこれで返事書いてよ。どうせヤガミさんに教えてもらってるでしょ?
ヤガミさんと会ってからもう六か月経っているけど、ずっと助けてもらってるよ。命もね。本当に助かってる。ぼく、生きてて初めて姉がいて良かったと思えてるよ。おねえちゃんもヤガミさんと仲良くしなよ。寂しがってたから。
これからもさ、ぼくは危険な場所に向かわなくちゃいけないんだ。ヤガミさんもいるし、ぼくも頑張って生き残るから、おねえちゃんは得意なバリアで死なないで。
またどこかで会おうよ。話したいことはたくさんあるんだ。じゃあ、またね。
愛をこめて ルイ・サグリーヴズ』
これを見てしまったのだから、死ぬわけにはいかない。そう思えた。以前レイリに教わった術式を紙に書いてみた。書き終わった、私の涙は止まることを知らなかったのだ。何度も何度も術式を書き直した。
思い出す度に、レイリとともに過ごした時間のことが愛しく思える。思い出すのが切なかった。切ないのはもしかしたら私だけかもしれない。それほど長くは一緒にいなかったはずなのに。記憶の中の教えてもらった時と同じように、弟の連絡術式の下に術式を書いた紙を置き、頭の中で教わった術式を書いていく。
本当に便利なものだ。術式を紙にさえ書いてしまえばそこに手を置いて、頭の中で文を創造すればいい…。レイリなんかは空中に術式を描いていたなぁ…。練習すればかなり簡単に術式が編まれていくのだろう。
書いた術式を弟宛てに変式した。教わった工程が終わった後、空中に描いた術式だけが浮き始め、激しく回転して光ったかと思うと、急に消えた。どうやらできたらしい。そのまま、ベッドに寝転んだ。集中しすぎて疲れてしまったのだ。
レイリとずっと会えていない。それでも忘れていなかった。もちろん九ヶ月しか経っていないのだ、忘れているという方がレイリらしくない。
あの時間は忘れられない。やっぱり忘れられない。なんだかんだ言ってもレイリは弟に声をかけるほど、そして弟に私との時間を話すほどには私のことをおぼえていてくれた。
戦争中に会いたい人がいるというのはこれほどに辛いのかと感じた。弟や父母とも会えていなかったが、どこかで家族なのだし死ぬわけがない、と思っていた。あんなに強いレイリが死ぬかもしれないのだという可能性が少しでもあるのだと思うと、それだけで、恐怖で胸が潰れそうだった。
レイリは強いがもしかしたら一生会えないのかもしれない。家族だって、例外じゃないのだ。弟の安否はレイリのおかげで分かったのだが、父母の安否は不明だった。より一層心配になってきた。こんな戦争はやりたくない、と改めて思えた。
私はまた活力を取り戻しつつあった。ありがとう。レイリ。
明日から海上戦が待っている。荒れる波、飛び交う砲弾、悲鳴。術式による大量殺人。かなりの覚悟がいる戦場となる。疲れる戦いではあるがしょうがないとしか言いようがない。ここを乗り越えてしまえばもう終わりだ。弟もレイリも明日どこかの船に乗り込んでいるのだろうか。心配ではあるが、レイリと一緒にいる弟は安心だろう。問題はうちの隊員たちなのだ。さあ、ゆっくりと休もう。
朝早くからカイグ東の港から、船に乗り込む。昨夜から前線隊が港からパシオンを追い払っていたらしい。今日は作戦変更となり、逃げるパシオンに追い打ちをかけるということらしい。海上戦ならカイグの民が負けるはずもないのだ。
海上という戦場に向かう港への輸送車の中、ソラとケンから、話しておきたいことがありまして、というから途中で下車した。本来なら怒られてしまうのだが隊長となり最後の戦場となる今、誰も咎めるものなどいない。すでに何人も途中で下車し去っていった。要するに逃げたのだ。
「悪いね、輸送係の君が怒られるのだろうが逃げるわけじゃない、少し話すだけだ追いつくさ。長官にはそう伝えてくれないか。」
そうやって運転手に話をつけて、道端へ歩いて行った。古い川の土手だったであろう場所へ座り込む。
「どうした?ソラ、ケン。」
川を向いて座った私の左隣へ二人共立っていた。いつにもまして硬い表情だった。しばらくの間、ゆったりと流れる川を眺めていただけだった。ゆっくりとすることなどこれまでなかった。
「あの、一月八日のこと覚えていらっしゃいますか?隊長。」
ケンが切り出す。一月、八日か…。レイリが防弾隊を去る原因となったあの事件の日だろうか。考えているのを感じたのだろう、ソラが補足をしてくれた。
「車両突撃の解散が即日決まった、食堂でのことです。覚えていらっしゃいますよね?」
もちろん忘れるはずもない。あの日以来レイリと話せていないのだ。
「あぁ、もちろん覚えているよ。それがどうしたんだい?ソラくん」
二人共硬い様子から察するに今頃私からの説教をもらいに来たというところだろう。
「あの時、私は怪我をしました。」ケンが言う。そんなことは知っている。
「うん、それで?今頃何を言えというんだい?」
よくわからない方向に話がずれていっている気がした。いらだちを隠すべきなのか。
「レイリ殿は!!私たちを救ってくれたんです…!」
何を今さら、と思った。
「知ってるよ。だからなんだ。レイリの暴力を今頃私に伝えに来ただけならば、私はもう行く!」立ち上がった。優しいレイリはそんなことはしていないのだと信じたいのだ。そして、今のところ調子の戻ってきている私の心を乱してほしくなかった。私は私なりにあの日からずっと悩んできた。それも昨日、やっと悩むことをやめられた。任務が疎かになってしまうほど悩んできたのだ。こいつらもそんな私を知っているはずだろう。
「違うんですよ!隊長!」歩き出そうとした私にソラが言う。
「なにが!ちが、う、ん…だ。」
振り向いて声を放とうと思っていたがケンは泣いていた。
「隊長、悩んでいた理由は私達にも、なんとなくわかっています。好きなんでしょう?ヤガミさんが。」
「隊長には言っておかなくちゃならないんですよ…」
話された内容は驚くのみだった。ただし、レイリはレイリであった。優しいレイリだった。
(※注)このことはchange the World本編にて語ることとする。
予定通り長官がご立腹で待っていた。
「サグリーヴズ!なにをしている!速く乗り込め!」
ノリノリの長官だった。すでに古い通信機で朗報は聞いている。
「もういいんじゃないですか?長官。すでに八個の敵船でしょ?私が守りに行かなくとも大丈夫ですよ。そう思わないか?ソラ、ケン。」
「俺もそう思うー。おじさん。」
戦争が終わると思ってか長官である実父にため口を利き始めるソラ。
「なんだとぉ!」
と長官。もうすでに勝ちを確認しているのだ。
いつも硬かった彼らの微笑ましい光景に、久しぶりに心のそこから笑えた。
それから一か月後。
大きな空砲がなり戦争の勝利を祝うパレードが始まった。そこからバカのように何日も続いていた。
戦争は終わった。終戦記念に特別金が入った。私達防弾隊には、一人当たり400万カイグドルが支払われ、今後も隊を残すと報告された。
戦争に勝ったのは、大雨の季節に入り、カイグ民の有利な季節だったからだと国は言っている。
しかし、最前線の、レイリが、どうやら一人で敵国の戦艦を五つも潰したからだという噂も聞いている。
国からすると、荒れ果てた廃国の民間団体に救われた。とは言いたくないのだろう。
更に二ヶ月後。それまで戦後処理やなんやらで忙しくて行けなかったレイリのアパートに行ってみた。伝えられていた部屋の番号にすでにレイリはいなかった。最初、どこへ行ったのか心配していたのだが、一ヶ月のトレーニング休暇明けの掲示板でこんな記事を読んだ。
「前線の死神」「我が国の英雄、八神 怜利は敵の前線基地九箇所、パシオン主力戦艦四艦を壊滅させ、我々の軍に余裕のある勝利をもたらした。彼は、その後我々のインタビューにこう答えた
[自分の国に帰ります。自分の国の荒れ地をキレイにしなくちゃいけないと思うからだ。]
まさに愛国心の塊である、我が国の英雄。今後もカイグに常駐してもらえることはないのだろうか…」
あの圧倒的な力を持つ青年。化け物のような力を持つレイリ。雨の季節と同時に消えたレイリは、いったい何だったのだろうか。
ピロンと着信音が寂しい訓練場に響いた。私はその画面を確認して、思わず笑ってしまった。それから勢いよく訓練場を出た。黒いコートを取りに行った。
『ジパングに来てください。もちろん、ユウキに会いに。』
今日も、
雨
である。
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