第2話「呪われた荒れ地」
「ここが、そうか」
悠真は、目の前に広がる光景を見渡した。
荒れ地。
その名に偽りはなかった。
岩がごろごろと転がり、痩せた土壌には雑草すらまばらにしか生えていない。唯一の建物らしきものは、半壊した小屋が一つ。壁には大きな穴が開き、屋根は半分が崩れ落ちている。
「……ひどいな」
率直な感想だった。
だが、悠真の目には別のものも映っていた。
小川。
岩場の向こうに、細いながらも水の流れがある。
森との境界。
適度な距離に木々が並び、木材の調達には困らないだろう。
そして何より──平坦な土地が、そこそこの広さで確保できる。
「使えなくはない」
「え……?」
リリアが、不思議そうに首を傾げた。
「この土地のことだ。村の連中は『呪われた土地』と言っていたが、見たところ呪いの痕跡はない。おそらく、魔物が出やすいか、過去に何かあったか、その程度だろう」
「……あの、すみません」
「なんだ」
「私には、何も見えないので……説明していただいても、分からなくて」
悠真は、一瞬だけ足を止めた。
そうだ。
彼女は、盲目だ。
当たり前のように視覚情報を共有しようとしていた自分を、内心で戒める。
「悪かった。説明する。今、俺たちがいるのは──」
悠真は、周囲の状況を言葉で伝え始めた。
地形、建物の状態、水源の位置、森までの距離。
できるだけ具体的に、数字を交えて。
福祉士として働いていた頃の習慣が、自然と蘇る。
視覚障害者への情報提供は、「見たままを伝える」のではなく「必要な情報を構造化して伝える」ことが重要だ。
「……ありがとう、ございます」
リリアの声が、微かに震えていた。
「こんなに丁寧に説明してもらったの、初めてです」
「当然のことをしただけだ。お前が状況を把握できなければ、俺の指示も伝わらない。効率の問題だ」
「……はい」
素直な返事。
だが、その声には少しだけ温かみが混じっていた。
二人は、半壊した小屋へと近づいた。
「今夜はここで凌ぐ。明日から、本格的に──」
悠真の言葉が、途切れた。
リリアが、突然立ち止まったからだ。
その顔が、強張っている。
「どうした」
「……来ます」
「何が」
「分かりません。でも、何か……三つ、こっちに向かってきます。速いです」
悠真は、周囲を見渡した。
夕闘の薄明かりの中、目を凝らす。
何も見えない。音も聞こえない。
だが。
「どの方向だ」
「右……右の森の方から。あと、たぶん……百歩くらい」
百歩。
約七十メートルか。
悠真は、足元の石を拾い上げた。
武器らしい武器はない。だが、何もないよりはましだ。
十秒後。
森の茂みが、がさりと揺れた。
「……っ」
現れたのは、三匹の獣だった。
狼に似ているが、体毛が青黒く、目が赤く光っている。
魔狼。この世界における下級の魔物だと、転生時に流し込まれた知識が告げていた。
「リリア、俺の後ろに」
「は、はい……」
悠真は、石を構えた。
勝ち目があるとは思えない。だが、逃げる隙を作ることくらいはできるかもしれない。
魔狼たちが、じりじりと距離を詰めてくる。
先頭の一匹が、低く唸った。
そのとき。
「左から、もう一匹来ます!」
リリアの声が響いた。
悠真が振り向くより早く、茂みから四匹目の魔狼が飛び出してきた。
挟み撃ち。
悠真は咄嗟に身を翻し、リリアを庇うように立った。
「くそ……」
投げた石が、正面の魔狼の顔面を捉えた。
怯んだ隙に、もう一つの石を投げる。
だが、左からの一匹には対処できない。
終わりか。
そう思った瞬間。
「待ってください! 左の、止まりました!」
「……何?」
「何か……怯えてます。私たちじゃなくて、何か別のものに……」
リリアの言葉通り、左の魔狼が急に足を止めた。
そして、くるりと向きを変え、森の中へと逃げ去っていく。
残りの三匹も、同様だった。
まるで、何かに追い立てられるように、慌てて撤退していく。
「……何が起きた」
悠真は、警戒を解かずに周囲を見渡した。
そして、気づいた。
自分の足元から、微かな光が漏れ出ていることに。
「これは……」
地面に刻まれた、古い紋様。
半壊した小屋の周囲を囲むように、円形の魔法陣が浮かび上がっている。
「結界、か」
転生時の知識が、答えを導き出す。
かつて誰かがこの場所に張った防御結界。長い年月で弱体化していたが、まだ完全には消えていない。
「だから『呪われた土地』か……」
魔物が近づけない土地。
村人たちには、それが「呪い」に見えたのだろう。
皮肉なことに、その「呪い」こそが、今の二人を救った。
「あの……大丈夫、ですか」
リリアが、おずおずと悠真の袖を掴んだ。
「ああ。お前のおかげだ」
「え……?」
「お前が警告してくれなかったら、左からの奇襲で終わっていた。よく気づいたな」
「でも、私は何も……」
「何も見えていないのに、魔物の数と位置を正確に把握していた。しかも、四匹目が怯えていることまで分かっていた。それは『見る』以上の能力だ」
リリアの表情が、戸惑いに染まる。
「私、ただ……なんとなく、分かっただけで……」
「それが才能だ」
悠真は、リリアの肩に手を置いた。
「お前には、魔力を感じ取る力がある。視覚がない分、他の感覚が研ぎ澄まされているんだろう。いや……それだけじゃない」
前世の知識が、頭の中で繋がっていく。
感覚代行。脳の可塑性。クロスモーダル知覚。
視覚を失った人間の脳は、他の感覚を処理する領域を拡張させることがある。
それがこの世界では、「魔力感知」という形で発現しているのだとしたら。
「お前は、『見えない』んじゃない。『別の方法で見ている』んだ」
「別の……方法……」
「ああ。そしてその方法は、目で見るよりもずっと広い範囲をカバーできる可能性がある」
悠真の目が、鋭く光った。
これは、想像以上の「投資効果」だ。
「リリア。お前に聞きたいことがある」
「は、はい」
「今まで、こういう感覚はあったか? 人や動物の気配を、目で見なくても察知できるような経験は」
リリアは、しばらく黙っていた。
やがて、小さく頷く。
「……ありました。家の中で、誰がどこにいるか、なんとなく分かることが。でも、そのことを話したら、父に殴られて……『気味が悪い』って……」
「馬鹿な話だ」
悠真は、吐き捨てるように言った。
「お前の両親は、宝石を石ころと間違えて捨てたんだ。その能力を、正しく活かせば──」
「正しく……活かす?」
「ああ。お前は、索敵と警戒において、誰よりも優秀になれる。広範囲の魔力を感知し、敵の位置と数を把握し、味方に伝達する。それは、パーティにおいて最も重要な役割の一つだ」
リリアの瞳が、微かに揺れた。
見えていないはずのその目が、悠真の方を真っ直ぐに向いている。
「私が……役に立てる?」
「役に立つ。いや、必要不可欠になる。お前がいなければ、さっき俺は死んでいた。それが証拠だ」
「……」
リリアの目から、涙がこぼれた。
声もなく、ただ静かに。
「泣くな。これからやることは山ほどある」
「はい……はい……」
泣きながら、それでもリリアは頷いた。
悠真は、半壊した小屋を見上げた。
まずは、ここを直す。生活基盤を整える。
そしてリリアの能力を、体系的に訓練する。
「福祉がないなら、作る」
それは、独り言だった。
だが、リリアの耳には届いていた。
「ふくし……?」
「誰もが、自分の能力を活かして生きられる仕組みのことだ。この世界にはそれがない。だから、俺が作る」
「……あなたは、変わった人ですね」
「よく言われる」
悠真は、小屋の中へと足を踏み入れた。
埃っぽいが、雨風は凌げそうだ。
「今夜は休め。明日から、お前の訓練を始める」
「訓練……」
「ああ。お前の才能を、最大限に引き出す。そのための訓練だ」
リリアは、悠真の背中を見つめていた。
見えないはずなのに、その輪郭だけは、はっきりと感じ取れた。
温かくて、強くて、真っ直ぐな──魔力の流れ。
「……はい。よろしくお願いします」
「ああ」
夜が、更けていく。
荒れ地の上に、二つの影が寄り添うように佇んでいた。
村では「穀潰し」と呼ばれた少女が、「最強の眼」へと覚醒する第一歩。
それは、この夜から始まった。
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