第2話 内臓ダンジョン、はじめての探索

 ピピッ、ピピッ、と耳障りな電子音がした。


(……心電図? 俺、病院?)


 重たいまぶたをこじ開けると、安っぽい天井が見えた。

 白い蛍光灯。黄ばんだ壁紙。隅っこにはカビ。


 ――あ、うちじゃん。


「……生きてる」


 ワンルームの安アパート。ベッドじゃなくて、いつもの布団。

 身体を起こすと、全身が筋肉痛みたいに軋んだ。


「夢……じゃ、なかったよなぁ……」


 胸のあたりにそっと手を当てる。

 内臓の位置が変わってたらどうしようとか、よく分からない心配をしながら。


 と、その瞬間。


《おはようございます、マスター》


「うおあああああっ!?」


 脳内に、あの機械みたいな女の声が響いた。

 驚いて布団の中で跳ねた俺は、そのまま頭を壁にぶつける。


「いったぁ……!」


《バイタルサイン、微増。ダメージ:軽度の打撲》


「実況すんな!」


 夢じゃない。やっぱり、昨日のアレは現実だった。


 おそるおそる視界を凝らすと、空中に「それ」は浮かび上がる。


【ダンジョン名:未命名】

【階層数:1】

【従魔枠:3】

【支配領域:天城ハルトの身体内部】


 ――変わってない。

 昨日、崩れかけたダンジョンの中で見た、そのまんまの文字列だ。


(はぁ……本当に俺、ダンジョンになったのか……)


 ため息をつきかけたところで、枕元のスマホがブルブル震えた。


「あ、レンジさん……!」


 画面には「小早川レンジ」の表示。慌てて通話ボタンを押す。


『……おー、生きてたか雑用』


「その呼び方やめません? 生きてますけど」


 いつもの軽い声が、少しだけかすれて聞こえる。


「レンジさん、身体は? カナさんは?」


『俺は骨ヒビと打撲。カナは魔力切れと過労で一晩入院コースだとよ。ま、二人ともギリ生きてる』


 張りつめていた胸の空気が、一気に抜ける。


「……よかった……」


『お前の方こそどうなんだよ。あの状況からよく戻ってきたな。DDAの連中、やたらピリピリしてたけど』


「あー、なんか……気づいたら外でした。崩壊に巻き込まれて、ぽーんって」


 嘘はついてない。たぶん。

 本当のことを言ったら、今すぐ連れていかれそうだから言わないだけだ。


『まぁ、とりあえず今日明日は休んどけ。案件のキャンセル料はギルドがなんとかしてくれるってさ』


「マジですか。レンジさんの貯金がまた減るんですね」


『今度ラーメン奢れよ』


 通話が切れたあと、静かな部屋に俺ひとり。


 ふぅ、と息を吐いて、天井を見上げる。


「……よし」


 現実逃避は、ここまでだ。


「おいシステム。聞こえる?」


《システム、という呼称での呼びかけも認識可能です》


「じゃあシステムでいいや。俺、どうなってるのか説明して」


《簡易説明を開始します》


 声は相変わらず無機質だが、その一言に、背筋がピンと伸びた。


《現在、あなたの身体内部には、迷宮海に接続された局所ダンジョンが形成されています》


「さっきも聞いた。もっとこう……中学生にも分かる日本語でお願いしたい」


《あなたのお腹の中に、小さなダンジョンができました》


 ……思ったより直球だった。


「そのダンジョンって、どこまでが“中”なんだよ。胃? 腸?」


《物理的な臓器構造とは別の位相に存在します。空間は折りたたまれ、圧縮されています》


「ごめんやっぱり分かんねえや」


 とりあえず、


「中、見れたりする?」


《可能です。意識を内側ダンジョンに投射しますか?》


「投射って言うな。……まぁ、やってみる」


 ベッドに座り直し、深呼吸。

 目を閉じて、胸のあたりを意識する……と、言葉にするとアホっぽいけど、やるしかない。


 暗闇の中に、ぽつんと光る扉のイメージを思い浮かべる。

 その向こう側に、あの青白い核の欠片があるような――。


《接続開始》


 視界がふっと切り替わった。


 さっきまでの六畳一間は消え、代わりにそこは石造りの狭い部屋。

 床も壁も天井も、ざらついた灰色の岩で覆われている。


「……マジで、ダンジョンだ」


 広さは十畳くらい。

 部屋の奥には、真っ暗な通路が一本だけ伸びている。


 そして。


「お前……」


 足元で、ぷるぷる震える半透明の物体。

 直径三十センチくらいの、青いゼリー状のそれは――


「スライム……だよな?」


 昨日の紅角竜ダンジョンで見た雑魚モンスターと、同じ見た目。

 だけど今は、攻撃してくる気配がない。

 ただ俺の足元にくっついて、嬉しそうに跳ねている。


《従魔スライム:1体登録済み》


「こいつ、俺のモンスター……?」


 おそるおそる右手を伸ばす。

 指先でつつくと、ぷにっとした感触と、ひんやりした冷たさ。


「気持ち悪……いやちょっと気持ちいい……」


 するとスライムは、ぽよん、と俺の手に乗ってきた。

 なんか、猫がすり寄ってくる時みたいな、妙な愛嬌がある。


「動ける?」


《従魔に命令を送信してください》


「えーと……ジャンプ?」


 心の中で念じると、スライムがぴょん、と飛び跳ねた。


「お手」


 ぺち。


 スライムの一部が、ぺたっと俺の手の甲にくっつく。

 手のひらサイズのゼリー。冷たい。ちょっと笑えてくる。


「……おもしれぇ」


 思わず、口元がゆるんだ。


《従魔は、あなたの指示により行動します。戦闘・偵察・運搬などに活用可能です》


「運搬?」


 ポーターとしての職業病が、そこだけ妙に反応した。


「つまりこいつ、物を持てるの?」


《体内に小型の物品を取り込んで運ぶことが可能です》


「最高かよ」


 思わず即答してしまった。

 これがあれば、重い荷物をスライムに任せて、俺はもう少し楽が――


(いやいやいや。落ち着け俺。これは内臓の中のスライムだ。現実世界には……)


「……現実にも出せたりする?」


《現世への召喚は、支配領域の拡張が必要です。現時点では、半径一メートル以内に限定して召喚可能です》


「出せるんじゃねーか!」


 ひとりツッコミをかましながら、意識を現実に戻す。


 目を開けると、そこはまた俺の六畳一間。

 けれど、胸の奥に、さっきの石の部屋の感覚がはっきり残っている。


「試すしかないよな」


 部屋の真ん中に立って、小さく息を吸う。


「……スライム、来い」


 念じた瞬間、俺の足元の空間が、ぽよん、と歪んだ。


 そこから、さっきと同じ青いスライムが、にゅるんと半分だけ飛び出してきた。


「出てきたあああああ!?」


 叫ぶ俺をよそに、スライムは部屋をぷよぷよ跳ね回る。

 四畳半くらいの範囲でしか動けないみたいだが、それでも十分だ。


「お前、俺の部屋汚すなよ……?」


 床をぬるぬるにされる未来が頭をよぎったが、

 スライムが通った跡は、不思議と濡れていない。

 液体というより、何か魔力的なアレなのかもしれない。


 とりあえず、テーブルの上に置いてあったリモコンを指さす。


「それ、持ってきてみ?」


 スライムがテーブルの脚をよじ登り、リモコンに覆いかぶさる。

 じわっとリモコンが体内に沈み込み、次の瞬間、俺の足元まで滑ってきて――


 ぽん、とリモコンだけ床に吐き出した。


「……天才か?」


《従魔の知能指数は低いですが、単純作業には向いています》


「褒めるところそこじゃないよシステム」


 とはいえ、これはデカい。

 俺の中学生レベルの脳でも分かる。

 ――内臓ダンジョンと従魔、これ、使い方次第でとんでもなく便利だ。


 ポーターバイトどころか、ハンターとしてもワンチャン……。


 そこまで考えて、ふと我に返る。


「……いやいや。そういうヤバいことを考えるから、ろくな目に遭わないんだろ俺は」


 首を振って妄想を振り払う。


 時計を見ると、もう夕方近くになっていた。

 昨夜の暴走ダンジョンから戻って、丸一日寝ていたらしい。


「……とりあえず、コンビニのシフト確認しねぇと」


 生活は待ってくれない。

 俺の腹の中にダンジョンがあろうがなかろうが、家賃は毎月やってくるのだ。


 スマホでバイトのシフト表を確認し、連絡アプリに「生きてます」の一言を送る。

 返事はすぐに返ってきた。


『昨日はニュースで見たぞー! しっかり休め! 代わりのやつ入れといた!』


 店長、マジでいい人。時給は最低賃金だけど。


 そんなこんなで、少しだけ現実の心配を片付けたところで――インターホンが鳴った。


「……ん?」


 この時間に来客なんて、宅配か新聞勧誘くらいだ。

 首をかしげつつ、玄関のドアを開ける。


 そこには、黒いスーツを来た男が立っていた。

 背後の路地には、黒塗りの公用車。


 胸元のバッジには、見覚えのあるロゴマーク。


「天城ハルトさんですね」


 男は、事務的な口調で名乗った。


「ダンジョン対策庁の者です。少し、お話を」

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