【第1章完】俺の内臓、ダンジョンになりました

日月 間

内臓ダンジョンと監視生活

第1話 ダンジョン核食べちゃった

 ――死ぬ。これはふつうに死ぬやつだ。


「レンジさん! 起きてくださいって! マジでボス来てますって!」


 俺――天城あまぎハルトは、崩れかけた石床の上で、ぐったり倒れているレンジさんの肩を揺さぶった。


 視界の先では、黒鉄色の巨大なトカゲが、溶岩みたいな息を吐いている。赤く光る目。何本も生えた角。尻尾を振るたびに、床の岩が砕けて火花が散った。


 暴走ダンジョン・第三層ボス《紅角竜(こうかくりゅう)》。


 本来なら、ギルドが派遣するランクAの専用パーティが相手するクラスだ。

 なのに今この部屋に立ってるのは――いや、立ってるというか、辛うじて動けるのは俺だけ。


「っつ……ハルト、下がれ……」


 床に倒れたまま、レンジさんがかすれ声で言う。額から血。胸のアーマーはひしゃげて、息も荒い。


「無理です! 下がる場所ないです!」


 背中には、さっきまで逃げ道だった通路。いまは崩落して岩の山。

 前はボス。左右はマグマの川。上からは天井の岩が、時々ドーンと落ちてくる。


 完全に詰んでいる。


「カナさんは!? カナさん!」


「……ここ……」


 か細い声。振り向くと、後方で支援役のカナさんが、壁にもたれて座りこんでいた。回復魔法を酷使しすぎて、魔力切れを起こしている。


「ごめ……ハルト。もう、何も出ない……」


「いや謝らないでくださいよ! むしろ俺が謝りたいですよ! 荷物持ちのポーターが一番元気って何なんですか!」


 俺は腰のポーチをまさぐる。回復ポーション、魔力回復薬……どれもほとんど残っていない。

 さっきのブレスで、予備の薬入りバッグも吹き飛ばされた。


 ボスの《紅角竜》が、ゆっくりと首をもたげる。

 喉の奥で、ゴウゴウと燃える音がした。


「あ、これ次のブレスきますね。やだなあ」


 乾いた笑いが漏れた。


 俺はポーターだ。攻撃系スキルもないし、防御だって並以下。

 役割は、荷物を運んで、後ろで震えて、必要な薬を即座に渡すこと。前に出るのは、ぜったいに間違ってる。


 ……でも。


 このまま黙って見てたら、二人とも燃えカスになる。


 それだけは、どうしても嫌だった。


 胸の奥が、あの日みたいにざわつく。遠くでサイレンの音がしたような気がして――すぐに打ち消す。


 今は思い出すな。


「レンジさん」


「……なんだ、ハルト」


「核って、どこですかね」


 俺の一言に、レンジさんの目が見開かれた。


「はぁ!? お前、何考えて――」


「ダンジョンって、核ぶっ壊したら消えるんですよね? あの講習で聞きました」


「聞いてたのかよ……」


 ぐったりしながらもツッコミを入れてくるあたり、まだ大丈夫そうだ。


 俺は視線を、ボスの背後へ向けた。

 そこには、岩肌から突き出した青白い結晶体――このダンジョンの「核」がある。

 サッカーボールくらいの大きさで、心臓みたいにゆっくり脈打っていた。


 あれを壊せば、この暴走ダンジョンは崩壊する。

 俺たちは、ギリ、助かるかもしれない。


 行けるか? いや、行けるわけないだろ。

 でも、行かなきゃ全員死ぬ。


「カナさん」


「……なに……?」


「レンジさんのこと、お願いします。俺、ちょっと行ってきます」


「は? え? ちょっとって、どこに……」


 俺は答えず、息を吸い込んだ。


「紅角竜さん」


 自分でも何言ってんのと思いながら、ボスに向かって叫ぶ。


「ちょっとそこどいてもらっていいですか! 後ろの石を殴らせてください!」


 ……いや、言ってからおかしいと思ったけど、もう口から出てた。


 当然、紅角竜はどいてくれない。

 代わりに、赤く輝く口をこちらへ向け――


「うおおおおおおおっ!!!?」


 俺は全力で横っ飛びした。さっきまで立っていた場所を、真紅の炎が通り過ぎる。

 床が融けて、岩がドロドロに溶けて落ちた。熱風で髪が焦げそうになる。


「マジで死ぬってえええええ!」


 足裏がジンジンするのを無視して、ボスの懐に飛び込む。

 ハンター用の軽装アーマーなんて、こんな攻撃を一発でも食らったら終わりだ。

 だけど、でかい体には死角も多い。レンジさんがいつも言っていた。


 ――ボスには、必ず「愚かな人間でも通れる隙」がある。


 俺は自分の愚かさを信じて、紅角竜の足の間を滑り込んだ。

 尻尾が頭上をかすめ、岩片が頬を切る。


 痛い。怖い。帰りたい。コンビニで夜勤してたい。


 でも、足は止まらなかった。


「っっ……!」


 転がるようにして、ボスの背後へ飛び出す。

 目の前には、青白い核。脈動はさっきより早く、大きく。


 俺は腰のナイフを抜いた。

 ポーター用の安物だ。核を壊せる保証なんてない。


「――割れて、お願いします」


 自分でもよく分からない祈りを口の中で呟きながら、全力で振り下ろした。


 ガキィィィィン!!


 金属を石に打ち付けたような音。

 手首に痺れる衝撃。柄が折れそうになる。


 核の表面に、薄いひびが走った。


「っ……もう一発!」


 肩が抜けそうな勢いで、もう一度。


 その瞬間、背中に殺気。

 振り返る暇もなく、紅角竜の尾が振り下ろされる気配がした。


「ハルトおおおおお!!?」


 遠くからレンジさんの叫び。

 同時に、核に深い亀裂が走る。


 ボシュッ、と空気が抜けるような音。


 次の瞬間――核が、内側から爆ぜた。


「うわ――っ!!?」


 青白い破片が四方八方に飛び散る。

 そのうちのひとつが、俺の顔面めがけて飛んできた。


「え、ちょ――」


 反射的に口を開けた俺の喉に、その破片が直撃する。


 カチン、と歯に当たる硬い感触。

 舌の上に、氷のかけらみたいな冷たさ。


「げほっ……!」


 吐き出そうとした。

 でも、喉が勝手にごくん、と動いた。


 ――飲み込んだ。


 核の破片を。


 胃の奥が、燃えるように熱くなった。


「っ、が、ああああああああッ!?」


 膝から崩れ落ちる。

 胃袋が裏返るような、不快を通り越した激痛。

 腸が捻じ切られ、心臓を内側から握り潰されるみたいな感覚。


 視界が真っ赤に染まる。


「ハルト!? ハルトっ!!」


 誰かの声が遠くで響く。

 レンジさんの声か、カナさんの声か、それとも――。


 俺はそれどころじゃなかった。

 身体の中を、何か巨大なものが這い回っている。


 熱い。苦しい。怖い。意味が分からない。


(なにこれなにこれなにこれ――!!?)


 頭の中で叫んだ瞬間。


《――新規ダンジョン生成を確認》


 冷たい女の声が、脳内に直接響いた。


 幻聴だと思った。

 でも、その声に合わせて、視界に何かが「ポン」と浮かぶ。


 半透明の、青いウィンドウ。


 ゲームとかアニメでよく見る、アレだ。


 けど、これは現実に、俺の目の前に。


 そこには、ありえない文字が並んでいた。


【ダンジョン名:未命名】

【階層数:1】

【従魔枠:3】

【支配領域:天城ハルトの身体内部】


 ……は?


《マスター登録を開始します。対象――天城ハルト》


 女の声が淡々と言う。


 痛みはまだ続いているのに、頭だけが異様に冴えていく感覚。

 心臓の鼓動と同時に、どくん、どくん、と何か別のものも脈打っている。


 俺の中に、空間が生まれている。

 そんな馬鹿な感覚が、何故かはっきり分かった。


(待て待て待て待て、落ち着け俺。冷静になれ。絶対冷静じゃいられないけど)


 呼吸を整えようとして、逆にむせた。


 視界の端で、紅角竜の巨体がぐらりと揺れる。

 核を失ったせいか、身体が崩れかけている。


 ダンジョン全体も震え出した。天井から岩が落ち、床に亀裂が走る。


《ダンジョン崩壊まで、残り一分》


 女の声が、まるでアラームみたいに告げる。


「……ちょっと待て」


 自分でも、こんな状況でよく喋れるなと驚きながら、口が勝手に動く。


「お前、誰だよ」


《本個体は、迷宮海に接続された局所ダンジョンです》


「もっと分かりやすく!」


《簡易説明――あなたの内臓空間を基盤とした、新規ダンジョンです》


 内臓。空間。ダンジョン。


 単語を順番に理解した瞬間、頭が真っ白になった。


 崩れゆくボス部屋。

 遠くで誰かが俺の名を呼んでいる。

 でも、最初に口から出た言葉は、たぶん一生忘れない。


「――俺、ダンジョンになってない?」

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