篝火の不敬

鶺鴒 標

第一章 『正義の杖』

第一話 『開戦』

『ーー私は、王になる』


 “星の瞬きで目が潰れ、風が嘆けと囁くのでしょう。“

 “しとどと、雨は降り続けるから。“

 “ーー、ーーーー、ーーーーーー、ーーーーーーーーーー。“


『ーー王に、ならなくてはならない』 

 “静寂は祈りに漂うから。“


『ーー友に、なりたかった……』

 “願いはいつか風に攫われて、溶けてしまう。“


『…どんな犠牲でも払う。私の、願いのために。だからーー死んでくれ』

 “帰ろう、帰ろう。沈黙の月へ、幾千の星々へ。“


『今こそ!我らは怒らねばならない! 王国の豊穣を穢した帝国に、鉄槌を!裁きを!憎悪を!ーー怒りを!!』

 “杖を撫でる微風を、追いかけて。“




 声が、聞こえた。

 カリンバ、木琴、鈴の音、聞いたことのない小鳥の囀りが聞こえる。

 歌声に溶けて伝わるのではなく、歌声そのものが小鳥の囀りだった。


 イベリス、ネモフィラ、アネモネが植えられた深夜の庭園に、やけに目を惹く、一輪の生ける青白い花がいた。

 白縹の髪、深夜に月光を落とした瞳、透き通る肌。髪はギブソンタッグに結われており、清潔さを感じさせる。

 霧雨のように儚く、淡くーー満月の光を湖に浮かべて、手で掬おうとしても、指の隙間からこぼれ落ちてしまうような。


 少女が歩き出す、芝生を踏み締めて、杖を出すーー


 瞬間、誰にも見られないひっそりとした庭園の隅に、ブルーベルの花が咲く。

 青白い光が微かに漂い、それが余計に神秘的な光景を、より一層強めている。月明かりよりも鮮やかな発色で、艶々と雫が滴る。


 彼女からは神々しい気配が出ていて、この世の恐怖を凝縮したかのような、静寂の鋭さを感じる。優しげな目元がこちらを覗く。


「何か、ご入用ですか?」


「あっ、ああ…歌を、聞いて……素敵、だと」


 余りにも辿々しく、自分でも王族かどうかを疑うほどの語彙だ。もっと彼女のことを、美麗な言葉で褒め称えたいがーー

 目線を合わせようとするが、緊張で目を見れない。


「うた…歌、聞いてたんですか…!?」


 彼女は、恥ずかしがり、慌てふためき、赤面する。

 女性に恥をかかせてはならないと何か、言葉を紡ごうとするがーー


「歌は苦手で、超苦手で、今なら誰も聞かねえと思って……」


「見事だった」


 言葉をまとめることも、美麗な語彙も、取り払って。

 ただ一言に意味を込めた。本当だから、本心だから。一言でも言葉は、重みを増すから。


「そう、ですかーー」



 * * *



 ーーこんなに美しい方を見逃していたなんて。


 アルメラは会場に戻りながら、想いに耽る。

 会場にいたなら、真っ先に目が行っても可笑しくないのに。最近目が悪くなったのだろうか?

 ぽやぽやと、あれこれ考えているとーー


「アルメラ様、どこで油を売ってるのですか。心配は…しませんでしたが」


 ーーネーフレド・アプトロレ。

 透明感のある銀髪、萌葱色の瞳、じとりとした目つき。中性的な顔立ちだが男性だ。少女趣味があり、女性向けの小説をよく嗜んでいる。

 この王城の執事であり、幼少期の頃から一緒に行動を共にしてきた。

 アルメラ的には友と言って差し支えがないだろう!へへっ。


「え、ええと、花を、見にだな……」


 チラリと彼女の方を見る。

 勿論、花はこの女性のことだ。


「お手洗いでしたか、大変失礼いたしました」


「失礼されたのは、たった今だ!」


 本日は、失礼されたアルメラーーライネアル王国の第一王子、アルメラ・ノア・ライネアートの誕生会だ。

 第二王子は欠席、第三王子は怪我の療養、第一王女は精神療養。身内が誰もいない。

 プレゼントは早朝に貰った。まだ開けていない。


 会場を見渡すと、赤ワイン『ベノ・ファトキン』、大根に似た『カクメギ』の塩漬け。そして、大好物のキャベツのケーキ『ソドニーガ』ーー大量に余っているーーなどが純白のテーブルに並べられている。


 だが、アルメラ自身は乗り気ではないーー躍るのが、苦手だから。

 誰かと歩調を合わせるのは苦手で、いつも合わせてもらっていたから。足を挫くから。

 憂鬱な心が、顔に溢れてしまう。


「ーー、ーーーー。私、躍るの苦手なんですよねえ」


 彼女は沈黙を破り、声を発した。 気を使ったのか、本心か。

 それは本人にしかわからないだろうがーー心が、暖まる。

 暖炉の前に腰掛けて、うたた寝をしたくなるように、じんわりと、暖かった。


「ーー踊っていただけますか?…って逆か」


 彼女は礼儀正しく、お辞儀をし、手を差し出す。

 息を、呑んだ。普通ならアルメラから言わねばならない台詞を、彼女はさらりと、言い退けてしまったから。

 それでも、ならば、応えねばならない。


「喜んで」


 軽やかな足取りは、天空を駆ける小鳥のようで。

 少女はアルメラを支えるように、楽器を足掛かりに、踊る。

 

 バウロン、フィドル、マンドリン、バグパイプ、コンサーティーナなど、楽器の音が弾け、会場中に散らばる。我がライネアル王国の伝統、民族音楽のイネア音楽だ。

 回る、回る、回る。

 いつもより、身体が軽いような気がする。

 彼女の白縹の髪が、微かに靡く。瑞々しく艶やかでさらさらとしており、更には石鹸のいい香りがふんわり、とする。

 合奏が終わり、バグパイプの音が止まる。


「自己紹介が遅れましたねーー私はクラウディア・ラルコール。ただの、魔法使いです」



 * * *



 暫く談笑が続いた。ネーフレドは急用で会場を離れたが、変わらず穏やかな時間が続いた。

 クラウディアがふと、懐中時計を開き、時間を確認する。繊細なイベリスの模様が照明の光を吸い込む。


 すると、メイドがグラスに並々と注がれた赤ワインを運んできた。

 丁度、酒が飲みたかったんだ。ありがたい。アルメラはワイングラスを傾け、赤ワインをーー


 飲めなかった。

 クラウディアがすぐ様、アルメラからワイングラスを強奪。飲んだ。グビグビッと。

 また、お子様だと思われてるのだろうか?心外だ。もう二十歳なのに!

 そう言った抗議の意を、クラウディアに伝えようとするがーー


 国王が、倒れた。

 大量の血を吐き、顔は次第に生命を失う。赤黒く、じめっとした血溜まりは、大理石の床へ次第に広がる。てかてかとシャンデリアの光を跳ね返す。

 会場は瞬く間にざわめきに満たされ、悲鳴が壁や床に飛び散る。

 アルメラは即座に駆け寄ったがーー脈が、もう無かった。血が赤ワインと絶妙に混ざり合う。マーブル模様のようだった。

 あとはもう、呆然と立ちすくむだけでーー。目元をじっと見た、開かなかった。


 きっと、アルメラの酒にも毒が入っていたのだろう。

 ーークラウディアは? あの、少女は?


 当のクラウディア・ラルコールは、苺のショートケーキを小さな口でもくもくと食べていた。非常に幸せそうだ。

 アルメラはホッ、と息を吐いた。良かった…良かった。どうやら自分の酒には、毒が入っていなかったらしい。



 ーー瞬間、流水の音が耳を掠める。

 付近にあったテーブルが真っ二つに切られている。

 テーブルグロスはスパッと切れ、キャベツのケーキとパンプキンパイがぐちゃぐちゃ。床に落ちている。


 斬撃があった方へ、目を向けると、そこにはーーオリビオが、第二王子オリビオーセ・べホル・ライネアートがいた。流水を纏った一本の剣を、構えて。


 今日は体調不良のため参加しないことになっていたが、元気そうだ。良かった。

 だが、流石にこれはいただけない。机は壊しちゃいけません!壊していいのは剣だけです!

 ーーそう、言おうとした。


 明らかにアルメラに目掛け、斬撃を繰り出す。流れる水を断ち切るように、剣が振られる。

 しかし、斬撃よりも先に閃光の如く、クラウディアがアルメラの前に躍り出て、防御魔法を展開。水の斬撃が離散する。暴虐と残虐が入り混じり、禍々しい水音が響き渡たる。

 理解したくない、できない、いやだーーそれでも、理解を、しなければならない。


「ーーワインと言い、今といい、お前は運が良いのか?」


 アルメラは、オリビオーセを静かに見つめる。

 きっと、毒もオリビオが命じたのだろう。


「ーー。ーーーーーーーーー。随、分と、派手だな」


 吃ってしまった。緊張と動揺とーーなんでこんなことをしたのか、わからなくて、わからなくて。頭はわからないでいっぱいだ。


「余は、玉座に座る」



 たった一言だった。

 なんて端的、わかりやすくて助かるーーーー玉座に? 王になると言うのか。


 ーーロテリアは?ヘレーネは?ネーフレドは?


 彼らも無事とは限らない。無事かどうか確かめねばならない。

 ヘレーネはきっと、生きているだろう。あの子は強いから。ネーフレドはしぶといから、きっと大丈夫だろう。

 ロテリアは…ロテリアは……

 手が、震える。足は今にも膝をついてしまいそうだ。


 何かを見かねたように、クラウディアはそっとアルメラの耳元に囁く。



「第三王子は自室、ヘレーネは……自室ーー行ってください」


「ーー。ーーーー恩に着る」


 今日、出会ったばかりだった。それでも、咄嗟に守ってくれたから。

 クラウディアに背を預け、会場を走り抜ける。

 彼女は、左目を閉じ、開ける。



 * * *



「ーーロテリア」


 アルメラの兄弟は、今回の諸悪の根源であるオリビオーセと、兄弟の中で一番強く凛々しく可愛いヘレーネ、頭は切れるが兄弟の中で一番か弱いーーロテリアーノ。

 オリビオーセとロテリアーノの仲も踏まえて、非常に心配で、心配で。


 走っていると脳から酸素が消えて、頭がぼうっとする。

 無心で走り、ロテリアーノの自室に辿り着く。

 戸を、開ける。


 中からは鉄の匂いが鼻を擽る。鉄の、匂いが。

 床を覗いた。死体があったーー否、まだ息があるかもしれない。

 そう思い、複数の刺し傷がある死体を、ロテリアーノの死体を触り、脈を確認する。無かった。

 血は肉体を巡らず、ひんやりとした床に溢れ出ていた。その場に止まっていた。


 ここに止まってはならない、止まりたくない。事実を事実として受け止めるには、時間がいる。涙を流すのにも、時間が。

 瞳から大粒の涙が溢れそうになるが、唇をグッと噛み締め、堪える。ヘレーネが、ネーフレドが、まだ残っている。ロテリアのための涙で、転けたくは無かった。



 ロテリアの自室を出て、ヘレーネの自室に向かう。そこまで遠くは無かった。涙は流れた、転けなかった。

 ヘレーネの自室に辿り着き、戸を開けるがそこには少量の血溜まりのみが残されていた。もぬけの殻だった。

 ヘレーネは、強い。自分よりも、遥かに。


 部屋は荒れていた。木棚から無数の本が溢れだし、白いサイドテーブルは横たわっている。花瓶は粉々に割れて、透明な硝子と冷ややかな水とカーネーションの薄桃色の花弁が散らばっている。床に寝かされた水が、月明かりを跳ね返す。

 きっと、乱戦になっただろうが大丈夫だ。だって死体がないから。まだ脈の冷たさを知らないから。


 アルメラは部屋の外に出る。次は、ネーフレドだ。


「ーー無事で、居てくれ」



 * * *



「舐められたものよな。容易く逃すと思ったのか」


「逃すんじゃなくて、“逃さないといけない“んじゃない?」


 クラウディアは両手を広げて肩をすくめると、腰につけたポシェットから紙をーー『護符』を取り出す。

 その『護符』は忽ち、ぼうぼうと燃え、焼き尽くされる。

 火は人型を成し、やがて人にーー否、精霊になる。


 オリビオはクラウディアの護符を見て、


「ーー魔法使いか」



 召喚師、呪術師、医師、魔術師、精霊術師。

 それら全てを一言で言える魔法の言葉ーー魔法使い。


 この世界は何もかもが、魔法でできている。

 魔法を知らなければ、幻想という魔法はかかったまま、解けることはない。

 だが、魔法使いは違う。魔法を理解したから、魔法使いになれた。


 魔法が解けたから、魔法を使えるようになった。


 それでも尚、魔法に幻想を抱かんとする、自由で、奇怪で、華麗で、鮮やかな、馬鹿が居た。

 それを人々は敬意を込めーー魔法使いと呼ぶ。



「“ーー銀か墨か、見分けはつかず“」


 詠唱が、木霊する。

 白縹の髪は靡き、右目には深夜の満月ではなく、燃え盛る炎が映るーー何もかもを焼き尽くす、炎が。


 精霊術師に対抗するには、その場から逃げるか、相手の喉を焼き、声を断つかだ。

 オリビオは迷わず前者を選んだ。水は火を起こせないから。

 炎の精霊がオリビオを目掛け、業火の砲弾を放つ。花火のようにバチバチと弾ける。

 光の如く避け続けたが、一瞬で辺りに炎が回るーー囲まれた。

 精霊の炎は、蛮族が地獄で燃え尽きるまで、離しはしない。



「 “星の煌めきに目をやられ、灰で脳が満ちる時“」


 オリビオは詠唱を止めようと果敢に切り掛かるが、防御魔法は剣を阻む。

 更に凄まじい威力と速度で水の斬撃を喰らわすが、びくともしない。割れもしない。無傷だ。


「“麦酒を仰ぎ、謀、負けは知らず“」


「“雨を降らし、再び蘇る者“」


 ーー斬る、斬る、斬る。

 斬撃、水飛沫、蒸発。また斬撃。

 水音は辺りに響き、離散を繰り返す。水は流れるから、留まることを知らないからーー



「“酒を集れ、杯を掲げろ、戦勝まで飲み続けよ“」


「“慈愛よ、焼き尽くせーー『星屑の炎』《ヴェルド・ゴーラ》“」


 詠唱が終わり、絶大な破壊力の、爆裂が起こる。

 オリビオは咄嗟に水で防御壁を作ったがーー熱湯となった水は、彼の顔半分に降りかかる。何もかもを阻む流水よりも、星が地に降り立つ時の炎の方が、強かった。

 床は没落、真っ黒に焼き焦げている。鮮やかな花火だった。



 * * *



「ネーフレド!無事か!」


「…はい、私は平気です。ですがーー」


「なんだ?どこか痛いのか?」


「痛むのはいつだって心ですーー申し訳ありません。貴方を助けることは、できない」


 突如、鋼が、アルメラとネーフレドの間を引き裂く。

 ネーフレドは一本のレイピアを持ち、立ちはだかる。手は、震えている。



「義に背く行為、罰はいずれ受けましょう。ですが私は、私は、それでもーー友を助けたかった」


「ーー。ーーーー。ーーーーーーー。そう、か、なら、仕方ない!」


 それは場違いなほどに、明るく軽快な声色だったーー表情は隠しきれない。

 誕生会が始まってからの顔色と、今ではあまりにも違いすぎてーー嘆きが頬を、埋め尽くしていた。今日は生誕を、祝う日だった。


〈オリビオならば人質ぐらい取る。仕方のない、仕方ないことなんだ。しかた、ない。〉

 非難の声は出なかった。涙は出た。


「ーーっ」


 意を、決する。

 アルメラにとって、戦うときはいつだって心の準備が必要だ。

 深呼吸をする。吸って、吐いた。

 準備は、整った。整ってしまった。



 ーー『護符』。

 基礎的な術式を和紙に刻み、何枚も重ね、複雑な術式を構築する。魔法使いの基礎だ。

 アルメラは七枚の『護符』を焼き尽くすーー精霊を召喚する。黒き炎を身に纏う、漆黒の精霊。名を『ヴァトネ』。


「ーー放て」


 黒き炎が迸る。

 ネーフレドは咄嗟に避けるが、右肩を掠る。血が滲む。たった一つの小さな火傷。

 彼は耐え難い苦痛を受けたような、苦悶の表情を見せる。


 ネーフレドはレイピアに、純白の霹靂を纏わせ、放つ。

 精霊に当たり、一体撃破。

 アルメラは、攻撃の速度を増す。


「ーー放て」


「ーー放て」


「ーー放て」


 無数の黒き炎が、迸る。

 レイピアが炎を撃ち落とす。床には全く燃え広がらない。

 ネーフレドは黒き炎を剣で捌くのに、手いっぱいだ。だが、口は暇を持て余しておりーー


『“義は鋼、武は眠り、品は囁くジュネラ・ジュ・ラヴュラ“』


 ネーフレドの口は戦線の後方で、優雅に紅茶を飲まない。

 雪白の稲光をギュッと大きな雪玉にして、黒檀の精霊に浴びせる。

 四体撃破。残り二体。


「ーー放て」


 ネーフレドが今度は右腕全体に攻撃を受けてしまう。

 息が荒く、大きく吸っては吐いてを繰り返し、冷や汗、顔が青ざめ、血の気が引いていく。


「ーー放て」


 耐えられなくなったか。ネーフレドは目を回し、膝をつき、倒れる。

 足はどすんと音を立てたが、心臓の音はどこかか細い気がした。



 * * *



「ーーオリビオは」


「寝かせた、他の有象無象も任意で起こせます」


 こちらから向かおうとしていたが、クラウディアの方が早くアルメラのもとに来てくれた。

 怪我はしていない様子で、おそらく相当腕が立つのだろう。良かった。


「ーー言いたいことが、あるんだけどさ」


 何やら、不穏なことを言い始める。ヘレーネか?ヘレーネの、ヘレーネの死体でも見つかったのか?

 もし、そうだったら、私はーーわたし、は。

 それでもアルメラは不安を吐き出さず、堪える。


「…言ってみてくれ」


「じゃ、遠慮なくーー亡命する気はない?」


 思ってもみない提案だった。

 自分には力がない、仲間がいない。ネーフレドが敵に回った時点で、大半の貴族達は取り込まれているだろうーー金、人質、脅し。使えるものはなんでも、そしてより確実な方を。それがオリビオのモットーだ。模擬戦ではいつも急所を狙われた。みぞおちばかり。


 アルメラの現状を考えると、亡命した方が命は助かるだろう。命は、命“は“ーー

 だが、アルメラには悲願がある。晴らさねばならない、無念がある。


「当方は…私は、この国が好きだ……。だからーーオリビオを、王にはさせられない」


 クラウディアの表情は変わらない。

 そして彼女は、深呼吸をしたあと、アルメラの隣へ行き、耳元でこう囁く。


「“私がほどいたから、思い出させてしまったから…ーーが始まったんだ。私が……悪かったんだ“」


 急に迫真の演技を見せつけられ、アルメラは唖然とする。後悔の音色だった。

 クラウディアが背を向け、アルメラからゆったりとした歩みで、少し距離を取る。

 そして、振り返りーー


「ーー君は王に、なるんだ」


「…ああ。例え茨の道でも、私は王になる」


 決意は、揺るがない。瞳も、手も、足も、何もかもが揺らいではいなかった。

 炎よりも確固たる、意志だ。


「そうか。なら、」



「ーー私がその茨を燃やして、平坦な道を歩ませてやる」


 髪も瞳も身に付けているドレスでさえ、青味掛かっているのにーー燃える炎に見えた。何もかもを焼き尽くす、暖かな灯火。何よりも熱い炎。


「ぬるま湯でごめんね?」


「当方は猫舌だ」



 彼女はやんわりと朗らかに微笑む。

 こちらを安堵させようとしているようにも、自らを落ち着かせようとしているようにも見えた。

 王城の廊下には、ただ一人の青年と無窮なる星霜の魔法使いが居た。



 * * *



 第二王子派が多いーー多すぎる。

 会場に横たわった人間を物色していると、それはそれは、大変見事にオリビオ派で埋め尽くされていた。悲しきかな、この場にアルメラの味方はいなかった。自身の怠慢だと己を自罰したくはなるが、自罰しても、王にはなれない。


 ーー水剣『流水』。又の名を『明鏡止水』と言う。

 この世でオリビオのみが扱える物で、振り下ろせばたちまち濁流が聞こえ、凶悪な斬撃跡が残る。

 それは国の力であり、権力の切符だった。例えオリビオが大虐殺を犯そうが、全ては無かったことになる。


 今回の騒動で死亡したのが国王ジークレル・ゾセ・ライネアート、第三王子ロテリアーノ・フォト・ライネアート。消息不明なのが第一王女ヘレーネ・ビス・ライネアート。

 国王を殺さねば、王位争奪戦など起きやしない。納得がいく。

 王女はーー余りにも彼女は強大で、勇ましく、屈強だから、暗殺を企むのは納得がいく。だがーー



「ーー何故、ロテリアまで殺した」


 アルメラの表情は固く、氷河のように凍てついている。

 極めて読み取りずらい面持ちだが、それでも氷に表情はあるからーー



「第三王子も奮起すれば厄介ではないか」


 なんてことない、小石を蹴飛ばしたような言葉は、憤怒の湖へ深く深く沈む。


「ーー、ーーーー。本当に… ロテリアのことを知らないんだな」


「あれは野心がない、お前は違う」


「ーーいや。野心は、在った」



『お兄さま、ぼくは商人になりますーーなのでお兄さまが王様になってください。』



 かつて言われた、その言葉が脳裏に浮かんだ。

 あの時は、なんとわがままで愛らしいんだろうと思ったが、きっとあの時から私が王になる意志を汲み取っていたのだろう。

 七秒経過。そして息を大きく吸い、両手を握りしめ、言う。



「ーー私は、王になる。私の、願いの為に」


「そうでなければ、余の好敵手は務まらない」


 きっとこのために、私の決意のために、ロテリアは殺されたのだろうーーそれは、余りにも無意味だった。

 決意はあった。あったのだ。なのに殺された。

 実兄の命令に、無惨に殺された。後ろから刺されていた。

 何度も、何度も、何度も。

 それは怨嗟や憎悪が積み重なり、崩壊したのち瓦礫となって、ロテリアに刺さったように思えて。


 痛かっただろう。痛かったのだ、きっと。

 だが、それでは、ただ痛みを背負わされただけでは、ロテリアが、ロテリアーノが、浮かばれない。



「貴殿を断頭台に誘い、報いを受けさせる」


「ーーそうか」


 オリビオの顔色は天空よりも移り変わりが遅くーー否、変わっていない。何も、何とも、どうとも思っていないかのような面持ちだ。彼は、数秒の間を食い、やっと口を開くーー


「ならば、さっさと出て行くんだな。この場の大半は余の味方よ、ほらさっさと」


「……なんで、私の兄弟は、揃って私を雑に扱うんだ…?」


 それはそれは、この世の全てを憂いたかのように、情けなく深き悲嘆だった。良い嘆きだった。



「大変ですね、“王子殿“」


「仲間にも全く慕われてないーー!?」



 ーー本来、血液に満ちていなかった王城は、第二王子であるオリビオーセ・ベホル・ライネアートによる残虐極まりない非道により、 王位争奪戦の嚆矢が、血塗れし弓から射抜かれた。


 罪人は血に溶け切り、漂着者は濁流に溺れ死ぬだろう。

 命は幾つあっても足りないだろう。血は流れ続けるだろう。

 例え、そうだとしても、アルメラ・ノア・ライネアートは願いを携えてーー戦火に飛び込む。


 王位争奪戦の、開戦の笛が鳴る。



===

本日あと一話、21:05に更新予定です。

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