#2 口封じ
「こいつ……イカれてやがる……!」
「ああ、そういうのはいいよ。もう言われ慣れたから」
葵は、心底面倒臭そうに、肩をすくめた。まるで明日の天気でも話すかのような、無感動な口調だった。
「ひぃ…っ! こ、こいつ、ヤベぇぞ……!! 逃げろ!!」
恐怖に支配された男たちが、蜘蛛の子を散らすように一目散に駆け出す。複数の靴音が廃工場に乱反射し、やがて闇の奥へと遠ざかっていった。
「つーことだ。俺はこのまま退避するから、お前はいつも通り、ドカン…と頼むぜ?」
葵は軽い調子でそう言うと、踵を返した。
『記憶抽出装置にCROWを匂わせる発言……お前なぁ……』
やれやれ、とでも言いたげな呆れた声が、葵の左耳に光るピアス型無線機から響く。
「まぁいいだろ。どうせ全員死ぬんだ」
『こういう件を揉み消すの、なかなか大変なんだぜ?』
『ま、廃工場だから、設備の故障から大爆発……と伝えればいいか!』
「そうそう。どうせ疑われたって、国民がこの真実を知ることはないからな」
葵がCROWの存在を匂わせたこと。
記憶抽出装置という、国際条約で厳しく使用が制限されている禁忌の技術の存在を口にしたこと。
それらを犯罪者たちに告げた理由は、単純明快だった。
――この場にいる全員を、殺すからだ。
口封じ。完全なる情報統制。
つまり、この無線の相手もまた、CROWの一員である。
そして、国民に隠蔽するというこの常軌を逸した手法こそが、CROWのやり方であった。
これまでにも、何度かネット上のニュースで「不自然な事故」を怪しむ声は上がっていた。だが、それらは全て闇に消えている。
CROWには、それらを揉み消す権力がある。
ネット上の情報操作、メディアへの圧力、証拠の完全抹消――あらゆる手段を用いて、真実を闇に葬る。
国家が、法を超えて振るう「刃」。
その存在自体が最高機密である以上、彼らの活動の痕跡は、一片たりとも世に残すことは許されない。
国家公認の、闇。
それが、CROWの正体だった。
葵が、横目で鉄骨の背後に潜む気配を捉えた。
先ほど逃げ出した集団とは別の、僅かな息遣い。
だが、そのまま何事もないかのように、踵を返して立ち去り始める。
(あいつら、みんなビビりすぎなんだよ……! そりゃあ確かに、麻薬の取り締まりにしちゃ過激だとは思うけどよ…)
鉄骨の影に息を潜めていた男は、遠ざかる葵の背中を見つめながら、思考が恐怖から別のものへ切り替わっていくのを感じた。
(逃げるべきか――いや、待て。今なら、あの男一人くらいは殺せるんじゃないか……?)
全ては葵が仕掛けた罠だというのに、男はその誘いに乗ってしまった。彼は『恐怖』と『油断』を巧みに使い分ける。
そろりそろりと、気配を殺しながら葵の背後へと忍び寄る。
懐からナイフを抜き、両手で逆手に構える。
(よし……こいつ、ただもんじゃねぇと思ってたが、最初だけだったな! そりゃそうか。皆が逃げたと思い込んでるんじゃ、油断するよな)
ギラリと、刃が月光を弾いた。
男は殺意を剥き出しにし、渾身の力を込めて、その凶器を振り下ろす――
――パァン!
乾いた銃声。
「…え……?」
男の胸に、赤黒い穴が開いていた。次の瞬間、そこから鮮血が噴き出す。
「気が付いてない訳ないだろ」
葵は振り向きもせず、背後へ向けて放った銃をゆっくりと下ろした。
「俺の事前調査によると……ここに居たのは約八人だ。だが殺したボスを含めても七人しかいなかった」
「つーことは、あと一人、どこかに隠れているかもう逃げてたか…」
葵は、倒れ込む男を冷ややかに一瞥する。
「まぁ、逃げられる訳がないんだけどな」
その言葉が終わると同時に――
轟音が鼓膜を突き破り、夜の闇を引き裂いた。
爆発音だ。それに混じって、断末魔の叫び声が微かに響く。
先程葵が無線で連絡を取っていた仲間が、逃走した六人に向けてロケットランチャーを放ったのだ。巨大な炎が舞い上がり、廃工場の外壁が衝撃波で崩れ落ちる。
つまり、最初からこの場は包囲されていた。
葵の言う通り、あと一人がこの工場から出ていないことさえ分かれば、あとはどうにでもなる。全ては、彼の計算通りだった。
「が、がふっ……」
男は血反吐を吐きながら、どうにか身体を引きずって逃げようともがく。指先がコンクリートの床を掻き、無様に這いずり回る。
「お前らはやり過ぎたんだよ」
葵は、冷たい声で告げた。
「麻薬だけなら、ここまでの事態には至らなかった」
「だが思い返してみろよ。お前らは銃火器を他国から取り寄せて、この国を麻薬大国にしようとしてたんだ」
「そんな危ねぇ連中を放っておける訳がないだろ?」
葵はそう言葉を向けたが――男はもう、息絶えていた。
虚ろな目が、汚れた天井の闇を見上げている。
「はっ、まぁ言ったところでもう聞こえてないんだけどな」
葵は鼻で笑うと、くるりと踵を返した。
背後で、廃工場が業火に包まれていく。
*********
「こちらサイレンサー、これより帰投する」
『お待たせアオイ! こっちも今、花火を撃ち終えたところだぜ!』
唐突に、ヘリコプターの重低音が夜の闇を震わせた。
だが、その音は奇妙なほど小さい。通常のヘリなら数百メートル先まで轟音が響くはずなのに、まるで囁くような静けさだ。
彼こそが、葵の「後始末」を担当する、CROWの火力担当 ――
彼もまた、漆黒のスーツに白いワイシャツ、黒いネクタイというCROWの制服に身を包み、空中から姿を現した。
「よっと!」
五メートルほどの高さから、焚吐は躊躇なく飛び降りる。着地と同時に膝のバネで衝撃を吸収し、何事もなかったかのように立ち上がると、いつもの癖で頭を搔いた。
「よう! 全員始末できたか?」
「……ああ。それに、ほら」
葵は、先程射殺したボスの死体を足で地面へと転がした。
「さすが、アオイだな!! こいつらも馬鹿だよな。逃げられる訳がないのによ!!」
焚吐は、虐殺を行った直後とは思えない、ピクニックでも終えたかのような「明るさ」で笑う。
それこそが、葵とは正反対のベクトル の「異常性」だった。
「で、この後のストーリーは? 『廃工場の不慮の事故』か?」
「ああ。トラック一台、丸ごと機材ごと爆破した!これで今回も完璧な『事故』の完成だぜ!」
「よくやったな。これで目標は達成だ」
二人は、まるで悪友同士のように笑い合った。
炎上する廃工場を背に、月光の下で交わされる笑顔。その光景は、どこか異様な美しささえ湛えていた。
「相変わらずこのヘリはすげぇな」
葵が、感嘆の声を漏らす。
「だろ? このヘリのおかげでお前の無茶な頼みも聞けるってもんだ」
焚吐が自慢げに言った。
このヘリには、操縦者が乗っていない。
西暦二〇六〇年、リモート操作技術の発達により、もはやコックピットの運転手は不要になっていた。AIと遠隔操作システムが完璧に連携し、人間の操縦を遥かに凌駕する精度で飛行する。
それだけではない。
ヘリコプターのローター音は、超至近距離でなければ聞こえない特殊な音響ステルス設計。さらには、高度な光学迷彩機能を備えており、地上から見上げても、その姿は決して視認できない。
昼の青空にも、夜の闇にも――この時代の迷彩技術は、背景に完全に溶け込むことを可能にしていた。
これが、国民にCROWの存在がバレない要因の一つだった。
「じゃあ、帰るか」
「ああ」
こうしてヘリに乗り込むと、二人は炎上する廃工場を後にした。
静かに浮上するヘリは、やがて夜空に溶けるように消えていった。
まるで、最初から何も無かったかのように――。
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