CROWーBLACK JUSTICEー
烏丸
#1 取引現場
西暦二〇六〇年、日本――とある廃工場
錆と焦げた油の匂い。それが埃っぽさと混じり合い、皮膚にまとわりつくように湿った夜気を重くしている。打ち捨てられて久しい廃工場は、コンクリートの肌を無残に剥き出しにし、折れ曲がった鉄骨が、雲間から覗く月光を鈍く、無機質に反射していた。
「……例のブツは、持ってきたんだろうな?」
闇の奥深くから響いたのは、神経質に研ぎ澄まされた声。仕立ての良い紫のスーツに身を包んだ男が、タバコの紫煙をゆったりと吐き出しながら立っている。場違いなほどの高級スーツが、この荒廃しきった空間で歪な存在感を放っていた。
男の視線の先。一人の老人が、まるで床に溶け込んだ影そのものが意志を持って動いたかのように、ゆっくりと立っていた。
「ええ……こちらが、そのブツでございます……」
老人はか細い声で応えたが、その瞳だけが暗闇の中で妖しく光を宿している。震える手で差し出されたのは、ありふれた黒いアタッシュケース。
――ここは、法の光が届かぬ場所。
テロリスト、移民、そして経済的困窮から余裕を失くした者たち。それらによって犯罪が増え続けた世紀末のような世界。ここは、そんな時代の日本が生み出した、裏社会の取引現場だ。
ケースの中身は、新型の麻薬か、非合法の銃火器か。あるいは、この国を内側から静かに蝕む、さらに悪質な「何か」か。
「ご確認を……」
「フン……どれ」
男が嘲るように笑い、無造作にケースへと手を伸ばす。
その瞬間――
老人の纏う空気が、一瞬で変質した。
弱々しく丸まっていた背が、強靭な鞭のようにしなる。先ほどまで小刻みに震えていたはずの手が、紫スーツの男がケースに触れるより速く、その手首を鷲掴みにし、あり得ない角度へと捻り上げていた。
「ぐっ……ぁ!?」
骨の軋む鈍い音。絶叫が響き渡るより早く、老人は男の巨体を「盾」にするように背後へ回り込み、懐から抜き放った拳銃をその側頭部に深々と突きつけた。
「なっ……てめぇ!!」
「う、動くな! 撃つぞ!」
物陰から足音も立てずに湧き出てきた手下たちが、慌てて銃を構える。だが、彼らの銃口は、皮肉にも人質に取られた己のリーダーへと向けられることになった。
「……遅いんだよ」
老人の声が、低く、冷たいものに変わっていた。先ほどの老人のそれとは似ても似つかぬ、怜悧な響きを帯びている。
「な、なんだテメェ……!? 何が目的だ…!?」
紫スーツの男が、激痛に顔を歪めながら呻く。
老人は答えず、すっ、と背筋を伸ばし、自らの顔の輪郭に手をかけた。精巧に作られた老人の特殊メイクマスクを、まるで不要な皮を脱ぎ捨てるように、静かに剥がしていく。
現れたのは、漆黒の髪を無造作に流した若い男だった。月光を弾くその髪型は、ソフトドライフェザリーと呼ばれるもの。黒いスーツが、鍛え抜かれた体躯を包み込んでいる。年は二十歳そこそこに見える が、その眼光には年齢に似合わぬ冷徹な光が宿っていた。
「て、てめぇ……警察か!?」
「残念だが、警察とはちょっと違うぜ」
黒スーツの男――
「まあ、似たような組織だがな」
その言葉が、この場にいる者たちへの死刑宣告だった。
この国には、表沙汰にできない脅威が満ちている。
スパイ、反国家主義者、そして名も無き破壊者たち。秩序が崩壊しかけた日本 で、政府が秘密裏に設立した特殊部隊――それが
彼らは影。闇に潜み、闇を狩る者たち。
法では裁けぬ悪を、国家の敵を、闇に葬る。そのために、彼らには正規の法手続きを無視した射殺権限が与えられている。
黒羽葵もまた、そのCROWの構成員の一人である。
「く、くそっ! 構うな、殺っちまえ!!」
紫スーツの男が、最後の虚勢を張って叫ぶ。
──パァン!
鼓膜を鋭く打つ一発の銃声が、廃工場の闇を切り裂いた。
紫スーツの男の額に、赤黒い穴が正確に穿たれる。驚愕の表情を貼り付けたまま、男はゆっくりと糸の切れた人形のように崩れ落ちた。コンクリートの床に、生々しい肉のぶつかる鈍い音が響く。
「……動くなと言ったはずだぜ」
葵は、硝煙を上げる銃口を下ろしながら、淡々と呟いた。
──人を殺した。
だが、その表情に動揺はない。瞳に映るのは、ただの「処理済み対象」。引き金を引いたことへの罪悪感など、この男には微塵も存在していなかった。
「お、おまえ……なんなんだよ……!?」
「捕獲対象を……あっさり殺しちまって、いいのかよ!?」
残された手下の一人が、震える声で叫ぶ。
「はァ? んなもん、いいに決まってんだろ」
葵は、氷のような眼差し でその男を見据えた。
「お前ら犯罪者に、人権はねぇしな」
……苛烈すぎる一言。それこそがCROWの本質だった。
CROWの構成員は、全員が犯罪者に対し、常人では理解し得ない深い憎悪を抱いている。葵もまた、かつて起きたテロによって家族と幼なじみを全て失っていた。その憎しみの深さこそが、彼をCROWたらしめているのだ。
だからこそ、躊躇なく引き金を引ける。それこそがCROWへの絶対条件だった。
「それに、死んだからなんだよ?」
葵は、倒れた男の死体を無感情に一瞥する。
「死んでも脳ミソが残ってるだろ。二〇六〇年の技術は、死体からでも情報を抜き取れる」
国際条約で厳しく使用が制限されている、禁忌の「記憶抽出装置」。死後数時間以内であれば、脳の電気信号を解析し、生前の記憶をデータ化できる。
もちろん、
「こいつの脳から取引相手の情報を全部いただく。別に生きてようが死んでようが、俺には関係ねぇ」
葵は、震える最後の手下たちに銃口を向け直した。
「さて、お前らは、大人しく捕まるか、死んで脳を渡すか……どっちがいい?」
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