箱の中

 だいたい二年前のことだ。当時中学一年生だった私は歩いていた。放課後、友達の家からの帰りだった。その年ももう終わろうかという時節だったからあたりは真っ暗で、少し細い道に入ってしまえばもう街燈がいとうの光も心許ないような具合だった。で、私はその街燈の光も心許ないような具合の少し細い道を歩いていた。

 私はスクールバッグを右肩にテニスラケットを左肩にかけて歩いていた。

 友達は多かったし勉強はできる方だったし、毎日は充実しているといってよかった。実際、学校生活はとても楽しかった。特にその日は、直前まで遊んでいた友達から漫画を借りていて、それを読むのがとても楽しみだった。友達がぜひ読んでみてほしいという一冊だった。

 ──外からの力によって、体が勢いよく傾いた。

 咄嗟に足に力を込めて、バッグを引かれているのだと気づくと両腕でバッグを抱えるようにした。そうしながら、嫌だとかやめてとか、もっと単純な大声とか、なんであれ声をあげたかもしれない。けれども、声は誰にも届かなかったらしい。私は車に押し込まれた。もちろん脱出を試みた。が、車が動き出してしまう方がずっと早かった。


「こんな暗くなるまでうろうろして……悪い子だよ」

「びっくりしただろうけど……許してね。██ちゃんのためなんだから」

「もう、もう絶対に一人で外を歩かせたりしないからね。絶対だよ、絶対」


 車を動かしている人物はぶつぶつとしゃべり続けた。

 気持ち悪い。それより他に感想の持ちようがなかった。もちろんそれ以上に逃げ出したかったけれど、それは相手がしゃべり続けていることに対して湧いてくるものじゃない。


 私は与えられた部屋に入った。定期的にドアを叩かれた。「ご飯は」などと声も飛んでくる。冗談じゃない、食べたくなんてない。

 ドアのそばで「置いておくよ」と声がする。

 しばらくは感情に任せて食べずにいた。でも、体はうんざりするほど生きている。食欲は湧かなくても、お腹は空いた。

 私はおずおずとドアを開けた。食事が、お盆に載せられて廊下に置いてあった。

 他にしようがなかった。食べなければ、死ぬかもしれない。それは嫌だった。なんだか悔しいような感じがした。友達には漫画を返さなきゃいけないし、普通な高校生になりたいし、それで普通に生きていきたかった。どうしてこんなふうに拘束されなきゃいけないのかと思い始めたら、体はますます激しく空腹を訴えてきた。


 姿を見せるのは嫌だったから、こっそり食べて、こっそり食器を廊下へ出した。


「ご飯は」

「お風呂は」

「出てきてくれない?」

「話がしたい」

「顔を見せて」


 ドアが叩かれるたび、そういう声がかかった。冗談じゃない。

「そんなふうに、意地にならないで」なんていってきたときもあった。誰が私を拘束しているのか! あんな暗い道であんな乱暴に車に押し込まれてどうしてまともに話ができると思っているのか!

 与えられた食事を受け取ってしまったのがいけなかったのだろうかと思った。それで相手を調子に乗らせてしまったのかと。

 けれどもやはり、自分の命が最優先だった。死んでしまったら、自由なんて手に入れられない。冗談じゃない。私は普通に高校に行って、普通に働いて普通に生きていきたいのだ。それをたった一人のために潰されてはたまらない。どうしても、死ぬわけにはいかなかった。


 死にたくない。自由になりたい。ここから出ていきたい。

 ふと、テニスラケットが目についた。


 ドアがノックされた。私は手に馴染んだラケットを握りしめて、一気にドアを開けた。

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