プロローグ2 天使と悪魔

 種目名は【】。1時間というシンプルな内容である。


 俺たちの騎士団は民からの見え方を何よりも重視する。


 黒龍の騎士団はカッコいい姿だけを、白竜の騎士団は美しい姿だけを民に見せなければならず、そこには一片のダサさも介入させてはならない。


 そこで笑顔を身体に覚えこませ、どんなイレギュラーな状況でも表情を崩さないようにと生み出された訓練であるは、数ある種目の中でも屈指のキツさを誇る。


「それでは……始め!!」


 訓練が始まり、最初にぶつかる壁は頬の痛みだ。頬の筋肉を永遠に使い続けるのだからそれは当然であり、その痛みはやがて痺れに変わる。


 その痺れに耐えていると次第に頬の感覚が無くなっていくため、そこで最初の壁は乗り越えられたと言えるだろう。しかし安堵する間もなく、次の壁がやってくる。


 次の壁は自己不信である。自分が笑っているかどうかが分からなくなってくるのだ。


 頬の筋肉を使っていない状態、使っているが感覚のない状態、その二つの間に主観的な違いはほとんどない。だから沼に嵌まっていく。


 気が抜けて真顔に戻ってしまっているんじゃないか、そんな猜疑心との戦いが始まり、何度も何度も自分の顔を触ることで正気を保つ。


「うぐっ……!!」


 そうして自己不信との攻防戦を行っていると、後ろの方から一つのうめき声が聞こえてきた。


 ……訓練が第二段階に入ったようだ。


 開始から30分が経過すると、この訓練は次の段階へと移行する。


 第二段階では、教導官が俺たちに暴行を加えるようになる。


 そう、今までの30分はただのお遊び。彼女の拳や蹴りを堪えつつ表情を保つことを強いられる二段階目の存在こそが、この訓練を地獄たらしめている。


 30分という時間の制約がある都合上、毎日全員が暴行を受けるわけではない。力の塩梅や対象は全て彼女の気分次第で決まる。


 だから自分が暴行の対象にならないように祈るのが基本だ。だが恐らく今日、俺は対象になるだろう。


 何故なら俺は今日二度も彼女から注意を受けているからだ。二度とも巻き込まれた形とは言え、彼女からの心証は良くないはずである。


 その上、問題を起こした元凶のうちの一人が俺の傍にいる。左隣りでプリンスが笑顔を輝かせているのだ。……覚悟しとかなきゃな。


「ふぐぅ……!!」


「がはぁ……!!」


 うめき声がだんだん近づいてくる。彼女が迫ってきているようだ。


 そしてとうとう彼女が俺の前まで来てしまった。


 まず一発、彼女の拳が俺の鳩尾に突き刺さる。


「くっ……!!」


 胃液が逆流しそうになる程の苦痛、それを意地と誇りで抑え込み表情を保つ。


 二発目、三発目と彼女は鳩尾を抉ってくる。回を追うごとにその拳は力と鋭さを増し、俺の意識を体から追い出そうとする。


 しかし俺は屈しない。あの日の誓いがあるから。


 俺がこの世界に生を受けた日に立てた誓い『かっこいい男になってやる』。それが俺の意識をつなぎとめていた。


 きっと、心のありようがその人物のかっこよさを決める。そしてこの程度でへこたれる男、そんなのはかっこよくない。だから何があっても俺は屈しないのだ。


 メラメラと闘志を燃やし耐え続ける俺、すると暫くして猛攻が止んだ。


 彼女はつまらなそうにため息をついた後、吐き捨てる。


「ムカつく顔をしやがって……」


 !?


(なんで俺は罵倒された!? 俺は訓練を愚直にこなしていただけだぞ!? 結局顔なのか!? 顔が良くないとかっこよくはなれないってのか!? そうなんだな!? あーあ、不細工で悪かったな!! 憎たらしい笑顔で悪かったな!!)


 そんな言葉が喉まで出かかった時、すでに彼女は俺の前から消えており、プリンスの腹に拳をめり込ませていた。


「がっ……は……!! ……相変わらず君の拳は強烈だ。まるで好きな子の振り向きざまの笑顔みた……ぐほぉ!!」


 彼女は彼のやかましい例えを遮るように叩きこむ。


「彫刻のような美しい細腕なのに、歴戦の猛者の如き力で僕を……ぐうっ!!」


 容赦なく暴行を続ける彼女に対し、懲りずにやかましい例えを挟み込もうとする彼。


 その様が滑稽で、俺は先ほどの怒りも忘れてそれを面白がって見ていた。


 だが徐々に様子がおかしい事に気付く。


(……長い。いつまで彼女は彼を殴っているんだ。)


 笑顔は保っているものの、気づけば彼の目は虚ろになり声も発さなくなっていた。


 それでもお構いなく彼女は続け、終いには髪を掴みサンドバッグのように彼をタコ殴りにした。


 そして漸く彼女は手を止め、掴んでいた髪を手放した。


 ……やっと終わった。誰もがそう思った時だった。


「はっ!!」


 キレのいい掛け声と共に、彼女は彼の股間を思い切り蹴り上げる。


 思わず目を覆いたくなるような一撃だった。それをモロに受けた彼は、糸の切れた人形のように膝から崩れ落ち、土下座をするかのようにその場に突っ伏して動かなくなってしまった。


「……フン。じゃあ貴様ら! これで訓練は終わりだ!! さっさと飯を食って午後に備えろ!!」


 彼女は何事もなかったかのように命令する。


 しかし俺たちは倒れこんだ彼にくぎ付けで、すぐに動くことが出来ないでいた。


「ちょっとちょっと~! ローランちゃん、やりすぎだよ~!!」


 その時、遠くから透き通るような声が響いてくる。


 その声の方を見ると、修道服に身を包んだ一人の女性が立っていた。


「もうっ! 潰れちゃったらどうするのさ~!! 男の子の生命線なんだよ~!!」


 紺色のベールの隙間から見える若草色の髪をなびかせ、彼女はこちらに駆けてきた。首から下げたロザリオが胸で元気に跳ねている。


「知るか! この程度で潰れるなら潰れてしまえば良いんだ! そんなことより、こいつに構うんじゃ……」


 制止しようとするローランさんの手をすり抜け、プリンスのもとに辿り着いた彼女は、彼の身体を起こす。


 すると、その顔を見た彼女の動きが一瞬止まる。


 どうしたのだろうと思い、俺は彼の顔を覗き込んだ。そして俺は理解した。


(……こいつ、白目剥いたまま笑ってる。)


 気絶させられても尚訓練の趣旨を全うするとは。こいつの執念には感服するしかないな。


「起きて~!! もう訓練終わったよ~!!」


 彼女に身体を揺さぶられ、彼の意識は徐々に戻っていく。


「んん……。あなたは……? エンジェル……?」


「違う違う~!! 私だよ~!! ユララだよ~!!」


「ユララ……? なぜあなたがここに……?」


「いつも来てるじゃんか~! ……あ、まだ寝ぼけちゃってるんだね。じゃ、ちゃちゃっと治してあげるね」


 彼女がロザリオを握りながら左手をかざすと、彼の身体を青い光が包む。


 すると、みるみるうちに彼の血色は良くなっていき、瞳にも輝きが戻っていく。


 そして彼を包んでいた光が消えたころには、彼の姿は完全に元通りになっていた。


「ふぅ~。一丁上がり!」


 彼女はユララ。


 癒しの魔法を使いこなす、白竜の騎士団の序列二位ナンバーツーである。毎日この訓練の終わり際に現れては、傷ついた団員を癒してくれる天使のような存在だ。


 ちなみに彼女には、男性人気ぶっちぎり一位という一面もある。小動物系の愛らしいルックスとやたら近い距離間で、彼女は数多の男どもを勘違いさせている。


「オーマイガッ!! なんて体が軽いんだっ!! 今なら空も飛べるに違いない!! ありがとうユララ!! お礼に僕からの熱い抱擁をあげよう!!」


「どうも~」


 彼の抱擁をするりと躱し、俺の目の前にやって来た彼女は、俺の顔をまじまじと見つめ口を開く。


「うん、バゴンくんは元気そうだね。癒さなくても大丈夫かな?」


「ああ。俺はピンピンしてるよ」


「そっか! よく頑張ったね! お疲れ様っ!!」


 彼女は俺の肩に手を乗せ、にっこりと笑う。


 そう、たぶん彼女は……俺のことが好きなんだよなぁ~!


「じゃあ行くよ! ご飯を食べながらお説教だからね!!」


「なっ!? 私はまだ上官への報告が……」


 そしてローランさんの手を引っ張りながら去っていく彼女を、俺は満面の笑みで見送った。


 ◆


「皆様! 順番通りにお並びください!!」


 さあ、午後の任務の始まりだ。今日俺たちが行うのは【交流会】。


「キャー!! シュバルツ様!! 今日も眩しすぎる!!」


「はは、相変わらず大袈裟だなあ。もう何度も会ってるじゃないか」


 前の世界で言うとアイドルの握手会みたいなものだ。


 貴族や豪商などの金持ちやその子供たちを相手に、10分間各々のやり方でコミュニケーションをとる。


「ねえねえ、ユララちゃんのベールってどうやって頭に固定してるんだい? 僕に見せておくれよ」


「しょうがないなあ。特別だよ~。えっとね、ここをピンでとめて……」


 交流会への参加費は高額で、指名する騎士の序列が高ければ高いほどその額は更に跳ね上がる。


 そして巻き上げられた大量の金たちは国を運営していくために使われるという、たいへん経済的なシステムだ。


「おー、またアンタか。物好きだねー。俺との話ってそんなに楽しい?」


「ネロ、あんたぐらいが丁度いいのよ。他の子たちは真面目ちゃん過ぎるからさ」


「そ。……で、今日は誰の悪口?」


 とまあ、仲間の接客を眺めながらダラダラ思案を巡らせられるほど、俺は暇である。


 だれもこない。だれかたすけてくれ。


「バゴンさん、アンヘルさんの所に行っていただけると……。」


「ああ、分かりました」


 助けを求める俺の元に来たのは、気まずそうな顔をした兵士だった。


 ◆


「よう、アンヘル。また俺たちまとめられちまったな」


「…………」

「グルルルルルルル……」


 当たり前のように俺をシカトするこの人はアンヘル。


 黒い長髪、雪のように白い肌。心臓を鷲掴みにされるような冷たく赤い瞳。


 例に漏れずビジュは一級品なのだが、性格に難アリアリなのが彼女である。


 そして彼女の隣にいる、デカめのヒグマくらいの大きさをしている狼は、【フェンリル】という魔物だそうだ。俺は良く彼女たちと関わるのだが、未だに慣れない。普通に威圧感がすごすぎて怖い。


「シカトすんなよなー。だから人気になれねえんだぞ」


「……お互い様でしょ」


「ま、そうなんだけどさ」


 不人気の俺たちがまとめられている理由は一つしかない。セット売りをするためだ。


 人気の団員のように事前に指名が埋まることもなく、当日は暇を持て余すだけの俺たちは大抵こうやってまとめられ、指名との交流を終えた人々に向けて格安で売られる。


 雑用の兵士たちが、会場を後にしようとしている彼らを呼び止めている。俺たちを売り込むために頑張ってるんだな。


「じゃ、ちょっとお話させていただいてもいいかな?」


 申し訳なさを覚えながらその光景を眺めていると、一人の男性が俺たちの目の前に座ってきた。


(……この人、ユララと話してたおじさんだ。)


 お気に入りの団員と話せて財布の紐が緩くなっているのだろう、俺たちと「交流する権利」を買ってくれたようだ。


 なんにせよありがたいことだ。最高の10分間を提供しなければ。


「君たち、名前は?」


「俺はバゴンって言います!」


「…………アンヘル」


 俺の気合いとは裏腹に、彼女は目も合わせずに呟く。


「そ、そうか。じゃあ、隣の大きな子は?」


「レイン。……大丈夫、噛んだりはしないから」


「わ、分かったよ。じゃあ二人とも、よろしくね」


「よろしくお願いします!!」


「………………」


「よ、よし! じゃあ早速おじさんから質問だ! ズバリ、二人は休日に何をしてるのかな!? まずはバゴンくんからいってみよう!」


「はい! ……って言っても、大したことはしてないですね。剣の手入れしたり、読書したり、任務の疲れを癒すためにゴロゴロしたりしてます。ぐうたらですよね、ははは」


「いやいや、休日なんてみんなそんなもんさ。むしろ手入れや読書なんかをしてるぶん、君は偉い方だと思うよ。じゃ、アンヘルちゃんは何をやってるのかな?」


「……特に何も」


「そうか……。そうだよね、休日は何もしないよね。あはは……」


「ア、アンヘルは俺よりぐうたらじゃねえか。はは……」


「一緒にしないで」


「………………」


「………………」


「………………」

「ガウッ」――――――


 ――――――「じ、じゃあ、楽しかったよ。またお話させてもらうとしようかな」


 彼は、もう二度と俺たちの所には来ないだろう。


 色んな感情の篭る引きつった笑顔。俺は何度もあの表情を経験してきた。


 俺たちのは、毎回微妙な空気だけを残して終わる。


 その理由の大半を担っているのは言わずもがなアンヘルだ。


 俺と相手がいくら頑張って話を回そうとしても、彼女が流れを止めてしまう。そのせいで話は滞り、空気が重くなっていくのだ。


 それに彼女の隣にいるレインとかいうフェンリルも悪い。アイツの存在感と迫力のせいで、毎回相手が委縮してしまう。


 まあレインに関しては責められない所もある。別にアイツは交流の間大人しくしているし、人に危害を加えたこともない。ただただ見た目が怖いだけだ。


 でも怖いものは怖い。だからこそ、アイツの分まで愛想を振りまくのが飼い主?である彼女の役目なはずなのだ。


「なあアンヘル。お前、もうちょっと愛想よく出来ねえのか?」


「なんでそんなことをしなければならないの?」


「なんでって……。この交流会もれっきとした役目の一つだからだよ」


「それは分かってる。だから私はここで座ってる。それ以上をするかどうかは私が決めること」


「はあ……。いつまでもそんな態度だと周りから見限られちまうぞ」


「アンタには関係ない。黙ってて」


「………………」


 ムカつく!!!


 ◆


「ふぅ~」


 何とか午後の業務を済ませ食堂で夜飯をかっこんできた俺は、自室のベッドで横になる。


「疲れた……」


 朝イチからハードな訓練をこなし、午後はその日ごとの任務を行う日々。今日はトラブルが多くていつもより疲れたが、内容自体はいつもと何ら変わらないものだった。


(……こんな日々が当たり前になってからどれくらい経ったろう。)


 ふとそんなことが気になり、カレンダーにちらりと目をやる。


「半年かあ……」


 騎士団に入団してから、もう半年が経っているようだ。


 慣れるまでの一か月間くらいは割と大変だった気がするが、そこからはあっという間すぎてあまり実感がない。


「このままじゃすぐにジジイになっちまうな……」


 この半年間、俺の序列は一つも上がらず、進歩を感じるような出来事も無かった。


 俺がこの世界に生まれてからの二十年で考えても、前世と比べて確実に進歩したと言えるのは腕っぷしだけ。


 折角第二の命を得たのに、これじゃあ宝の持ち腐れだ。


「またダサい男のまま死ぬのかな、俺」


 夜は不安を育てる。


 じわじわと湧き上がってくる負の感情に、俺は瞼で蓋をした。

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