キミエ
隅々
第1話 海辺
「きれいね」
と彼女が言って、
「うん」
と私が答える。
波打ち際に立つ彼女の足に少しだけ海水が触れては離れて、また触れては離れていく。
車で三時間、ちょっとした二人旅。
やってきたのは海に面した小さな街だった。
彼女の隣に立つ私は、彼女の足元から視線をあげて横顔を見る。
「水、冷たい?」
と聞くと、
「うん、冷たくて気持ちいい」
と返ってくる。
色素の薄い肌とつぶらな瞳、小さい鼻と小さな口。身長は私よりも少し低い。
麦わら帽子がウェーブのかかった栗色の髪の上に乗っている。
「そっか」
と言いながら私は踵を返す。
「ちょっとどこ行くの?」
という彼女の声に振り返れば、彼女は不満そうに頬を膨らませていた。
全く年齢の割に幼い仕草をするんだから。
私は無言で、浜辺に敷かれたレジャーシートの上に影を作るビーチパラソルを指した。
すると彼女は不満そうな様子のまま、
「あっそ、好きにすれば」
と言ってまた海の方を向いた。
私は裸足で砂の上を大股で歩き、レジャーシートの上に腰を下ろす。
全くいつまで眺めているつもりなんだか。
彼女が打ち寄せてくる波を蹴る姿を見ながら、タバコに火を灯す。
彼女は果たしてこの旅を楽しんでいるのだろうか。
煙を吐きながらそんなことを思う。
私は……、少なくとも楽しいと思うようにしているけれど。
ただ、ずっと海を眺めるのは飽きてくるかな、なんて。
海水に足を撫でられながら水平線を眺めたところで特に何かを思うことはなかった。気がつくと視線は彼女の方を向いていて。
それからしばらく、彼女のことを見ていた。彼女がいつ私の視線に気がつくのかと少し期待しながら。
しかし彼女が私に視線に気がつくことはなく、私はこのくだらない一人遊びにも飽きて、こうして一人日陰へと撤退してきたのである。
なんとなくカバンからスケッチブックと鉛筆を取り出してみる。
海辺の女。
白いワンピースを着た女。
裾を揺らし、こちらに背を向ける女……。
私は彼女の後ろ姿を描こうとスケッチブックに鉛筆の先を置いてみる。
しかし手を動かす気にはなれなかった。
描いた瞬間に、彼女が幻になってしまう気がした。
描くべきなのか?
この瞬間を切り取るべきだろうか?
そもそも描く必要性などあるのか?
彼女の姿を描く理由は?
諦めの悪いやつだな。
私から彼女までの距離はたった数歩。しかし、私には彼女が水平線の先にいるような気がしてならない。
そう感じるのは、きっと感傷的になっているからだ。
だってこれがきっと最後の旅だから。
私はため息をついてから、スケッチブックと鉛筆をカバンにしまう。
一体私は何をしたかったのか。
全く無駄な労力を使っただけだった。
「あ、タバコ吸ってる。私の前では吸わないでって言ったのに!」
いつの間にかこちらに戻って来た彼女が言った。
また頬を膨らませている。
普段から、実年齢より幼く見える彼女だが、この仕草をしているときはより一層幼く見えた。
私が彼女の前でタバコを吸ったのではなく、タバコを吸っている私の前に彼女が現れたというのが正確な気がするが、言葉に出さないでおく。
「悪かったって。だから受動喫煙の話はやめてよね」
と言いながら、私はタバコの火を消した。
「私、そんな話、したことないと思うけど」
「そうだっけ?」
「うん、だって私の父さんも兄さんもタバコ吸うし。今さらというか、正直気にしたことない」
「じゃあ……、なんでタバコ嫌がるの?」
「だってアキラのにおいが消えちゃうじゃない」
私のにおい?
彼女の言葉に私は思わず自分の腕を嗅いでみる。
「あ、そう言うの自分じゃわからないらしいよ。まあどっち今はタバコのにおいしかしないと思うけれど」
そうですかい。
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