魔法使いは平穏を願う。小さな魔族の少女を、その隣に添えて。

ころすけ

プロローグ(ネタバレ注意)

空は、燃えるような茜色と深い紫が混ざり合う、この世のものとは思えないほど美しい黄昏に染まっていた。


 乾いた風が吹き抜ける荒野を、一台の簡素な、しかし頑丈な馬車が静かに進んでいく。その行き先に見えるのは、切り立った崖の上にそびえ立つ漆黒の尖塔――人間たちが畏怖を込めて「魔王城」と呼ぶ、世界の最果てだ。


「ケイ、見て。あのアメジスト草、風に揺れて綺麗だよ」


馬車の御者台に座る青年に、隣に座る少女が声をかけた。

 

少女――ウルは、かつて奴隷市場で泥にまみれていたあの頃の面影を感じさせないほど、生き生きとした瞳をしていた。頭にはトレードマークの帽子を被っているが、その下にある小さな角を、今さら隠す必要などない。


なぜなら、この馬車を操る青年が、彼女にとっての全てであり、彼が認める自分こそが真実だと知っているからだ。


「ああ、そうだな。……だが、あの草は魔力に反応して発光する性質がある。魔王城に近い証拠だ」


 ケイは淡々と答えた。その声には、かつての冷淡さはなく、どこか穏やかな響きが含まれている。

 

彼は今、この帝国の「名誉貴族」という、少しばかり特殊な肩書きを持っている。レジナルド辺境伯の推挙と、数々の信じがたい功績――その多くは、彼が「静かに暮らしたい」という願いのついでに解決してしまったものだが――によって、彼は一冒険者から、皇帝すら無視できない存在へと登り詰めていた。


「ねえ、ケイ。魔王様って、やっぱり怖い人かな?」


「そんなことはないさ。一度俺の命を助けてくれたしな。だが、もしお前をぞんざいに扱うなら、怒るよ。」


 ケイは冗談めかさず、至極当然のことのように言った。その手には、かつて多くの騎士や魔物を驚愕させた、底知れぬ魔力が宿っている。


ウルはくすくすと笑い、ケイの腕に自分の細い腕を絡めた。


「ふふ、ケイは相変わらずだね。でも、戦わなくて済むなら、それが一番だよ。……私、この旅が終わったら、またあの『お風呂』に入りたいな」


「ああ、帰ったらまた新しく改装しよう。今度はもっと大きな、サウナ付きのやつをな」


 二人の会話は、世界の命運を握る旅とは思えないほど、穏やかで家庭的だった。



 遡ること数ヶ月前。

 クロスベルの街の一角、高台に建つ白亜の屋敷。そこが、名誉貴族として封ぜられたケイとウルの「家」であった。


 辺境伯の屋敷も皇帝の城も豪華だったが、ケイに与えられたこの屋敷は、彼の好みを反映して、装飾よりも機能性が重視されていた。特に、彼が心血を注いで完成させた「大浴場」は、今やクロスベルの貴族や騎士たちの間で伝説となっている。


「ケイ! 朝ごはん、できたよ!」


 屋敷の食堂に、ウルの元気な声が響く。

 

かつて「ケイお兄ちゃん」と呼んでいた少女は、今では親愛と対等なパートナーとしての意味を込めて、彼を「ケイ」と呼ぶようになっていた。

 

ケイが食堂に入ると、テーブルには香ばしく焼けたパンと、新鮮な野菜のスープ、そして彼が魔法を応用して再現を試みた「半熟の目玉焼き」が並んでいた。


「……おいしいよ、ウル。文字の勉強だけでなく、料理の腕も上がったな」


「シリル様に厳しく仕込まれたからね。あ、シリル様といえば、今日も午後に研究の資料を持ってくるって言ってたよ」


「あれは相変わらずか……。まあいい、文字の解読が進むのは悪いことじゃない」


 ケイは椅子に座り、穏やかな朝の光を浴びながら食事を始めた。

 かつて孤独だけを友としていた彼にとって、この風景は何物にも代えがたい「奇跡」の連続だった。


 目の前で美味しそうにパンを頬張る魔族の少女。彼女を守るために得た地位と、力。そして、彼女が自分に向けてくれる、一片の曇りもない信頼。


「……ケイ? どうしたの、私の顔に何かついてる?」

 ウルが不思議そうに首を傾げると、ケイは小さく首を振った。


「いや。……ただ、この生活を選んで良かったと、改めて思っていただけだ」


 その言葉に、ウルの顔がパッと輝く。


「私もだよ、ケイ。私をあの場所から連れ出してくれて、名前をくれて……一緒にいてくれて、本当にありがとう。私は、ケイがいれば、他に何もいらない」


 少女の純粋な告白に、最強の魔法使いは少しだけ照れくさそうに視線を逸らした。

 かつて、自分には何も教えられることはない、


 名誉貴族という地位は、彼に「自由」を与えた。


 誰にも媚びず、誰に指図されることもなく、ただ一人の少女のために魔法を使い、風呂を沸かし、旅をする。


 それが、剣崎友馬という一人の男が、異世界という螺旋の果てに見つけた、たった一つの答えだった。


「さて、ウル。食事を終えたら、出発の準備をしよう」


「うん! 今度はどこへ行くの?」


「……魔王に会いに行く。たまには会いにいかないとな。約束さ。」


 ケイは立ち上がり、窓の外に広がる広大な世界を見つめた。


 かつては「面倒くさい」と切り捨てていた他者との繋がり。だが、今の彼には、その繋がりこそが自分をこの世界に繋ぎ止める、温かい鎖であることを知っていた。


「行こう、ウル」


「うん、ケイ!」


 二人は手を取り合い、屋敷の玄関を後にした。

 門の外では、かつて彼を「腰抜け」と笑った者たちが、今では畏怖と敬意を込めて道をあける。

 

最強の魔法使いと、その唯一の理解者である少女。


彼らの旅は、これからも続いていく。

世界の境界を越え、種族の壁を溶かし、ただ「平穏」という名の、何よりも贅沢な答えを探し求めるために。






【あとがき】


最後までお読みいただき、ありがとうございました。


主人公であるケイがウルという光を見つけ、世界の理さえも塗り替えていく物語。その一つの到達点としてのプロローグをお届けしました。二人の歩みは、この世界の「常識」を、これからも心地よい湯気と共に変えていくことでしょう。


もし「尊い」「こうなるまでが気になる」と思っていただけましたら、画面下の【いいね】評価や 【フォロー】、⭐️評価で応援をいただけますと、執筆の大きな励みになります。


皆様の応援が、最強魔法使いと少女の旅路を照らす、一番の魔力となります。


これから始まる本編を、どうぞお楽しみください!

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