第47話 成金の悩みと、輝く「香害」教師

グレイブス教諭が学園から「廃棄」されて数日後。


 私の城――地下スパ『ロイヤル・スライム・スパ』は、劇的な進化を遂げていた。


 ウィィィィィン……♪


 心地よい駆動音が、ピカピカに磨き上げられたタイル張りの店内に響いている。


「ん~、素晴らしい! これぞ文明の音ね!」


 私はカウンターの中で、頬杖をつきながらうっとりとその音に聞き入っていた。


 目の前で稼働しているのは、グレイブスの隠し工房から略奪……もとい、正当な手続きで譲り受けた『最新鋭・魔力遠心分離機』だ。


 かつては禁忌の合成生物の細胞を分離していたらしいその機械は、今や私の手によって改造され、『超高速・プレミアム・スムージー・メーカー』として第二の人生(マシン生)を歩んでいる。


「アリアさん、この『黄金比率のトロピカル・シェイク』、絶品だわ! 細胞レベルでビタミンが染み渡る気がする!」


 施術後のバスローブ姿でカウンターに座るエルザ様が、ストローをくわえて目を輝かせた。

 彼女の肌は、最近の「ナチュラルメイク志向」のおかげで、ファンデーションの厚塗りがなくなり、本来の健康的なツヤを取り戻しつつある。


「ありがとうございますぅ! 遠心力でフルーツの細胞膜をミクロン単位で破砕し、酵素を活性化させておりますのでぇ!」


 私は営業スマイルで応えながら、心の中でガッツポーズをした。


 このシェイク、一杯で銀貨一枚(定食三回分)。原価は市場の売れ残りフルーツだからタダ同然。

 まさに錬金術だ。


「きゅイッ!(おかわり!)」


 足元では、ぷるんちゃんがシェイクの残りカス(皮や種)を美味しそうに頬張っている。ゴミ処理も完璧。SDGsの極みである。


***


 閉店後。

 私は金庫を開け、ジャラジャラと溢れ出るコインの山を前に、至福の時を過ごしていた。


「ふふ、ふふふ……。グレイブスの機材を売り払った『慰謝料』に、新メニューの売上。私の老後資金計画は、予定より十年も前倒しで進行中よ」


 一枚、二枚、と金貨を積み上げながら、私はニヤニヤが止まらない。

 これが成金というものか。悪くない。むしろ最高だ。


 だが。

 そんな順風満帆な私にも、たった一つだけ、どうしても解消できない悩みがあった。


「……臭うわね」


 私は金貨を数える手を止め、鼻をヒクつかせた。


 地下特有の、湿気を含んだカビの臭い。

 そして、下水道が近いために漂ってくる、ドブの微かな腐敗臭。


 どんなに床をピカピカに磨いても、どんなに最新の換気扇を回しても、この「地下の臭い」だけは完全には消せないのだ。


「スパにとって『香り』は命……。高級感あふれる内装にしても、ベースの空気がドブ臭かったら台無しよ」


 私は腕組みをして唸った。

 市販の芳香剤じゃ、この根深い悪臭には勝てない。かといって、香水を撒き散らせば臭いが混ざって余計に悲惨なことになる。


「必要なのは、この湿気臭さを根本から『中和』し、かつ極上の癒やし空間を演出する『究極のアロマ』……」


 新たな小目標(クエスト)が決まった。

 カネはある。次は「環境」への投資だ。


「待ってなさい、私の理想郷。……鼻の利く掃除屋(クリーナー)として、この悪臭問題、必ず解決して見せるわ」



 翌朝。

 私はいつもの薄汚れた作業着に着替え、地上の学園校舎でモップ掛けをしていた。


 地下ではオーナー社長の私だが、地上では一介の清掃員。このギャップこそが、私の平穏を守るための最強の隠れ蓑だ。


「それにしても、今日はやけに騒がしいわね……」


 廊下の向こうから、女子生徒たちの黄色い悲鳴と、キラキラした空気感が押し寄せてくる。


「キャーッ! 見て、新しい先生よ!」

「なんて美しいの……! まるで絵画から抜け出してきたみたい!」

「グレイブスなんて目じゃないわ! 光の貴公子様よ!」


 生徒たちの人だかりが割れ、その中心から一人の男が歩いてきた。


 ――眩しい。

 物理的に、眩しかった。


 純白のスーツに、金の刺繍が入ったマント。

 サラサラの金髪は、窓から差し込む陽光を反射してハレーションを起こしている。

 整いすぎた甘いマスクに、瑠璃色の瞳。

 歩くたびに、背後にバラの花のエフェクトが見えそうなほどの、過剰なまでの「美」のオーラを放っている男だった。


 彼こそが、グレイブスの後任として赴任してきた新任教師――**ユリウス・コルネリウス**だ。


「(うわぁ……。ナルシストの極みみたいなのが来たわね)」


 私はモップの手を休めず、壁のシミと一体化するように気配を消した。

 関わりたくない。ああいうタイプは、大抵ろくなもんじゃない。私の「平穏」とは対極にいる存在だ。


 しかし。

 私の願いも虚しく、その「光の貴公子」は、私の目の前でピタリと足を止めた。


「……ふむ」


 ユリウスは、長いまつ毛を伏せ、蔑むような目で私を見下ろした。


「そこな、掃除婦」


 声まで無駄にいい。王立劇場の俳優か何かのようだ。


「は、はいぃ! おはようございますぅ!」


 私は条件反射で卑屈な清掃員モードに入り、深々と頭を下げた。


 ユリウスは、ハンカチを取り出して口元を覆い、露骨に眉をひそめた。


「薄汚いな。君が視界に入るだけで、この学園の空気が澱む気がするよ」


 ピキッ。

 私のこめかみで、何かがひび割れる音がした。


 薄汚い?

 誰に向かって言ってるの?

 私の作業着は、毎日殺菌漂白してアイロンまでかけてあるのよ?

 そこらの貴族のドレスより、よっぽど衛生的で清潔なんですが?


「も、申し訳ありませんぅ~! すぐに視界から消えますのでぇ~!」


 私は引きつった笑顔で後ずさりした。

 ここで言い返しては、プロの隠匿者(モブ)失格だ。我慢、我慢。


 だが、次の瞬間。

 彼との距離が詰まったことで、ある「猛烈な違和感」が私の鼻を直撃した。


「……っ!?」


 くっさ!!!


 思わず息が止まりそうになった。


 甘ったるい。

 とてつもなく、甘ったるくて、人工的で、鼻の粘膜を直接ヤスリで削られるような刺激臭。


 これは……柔軟剤?

 いや、それだけじゃない。香水だ。


 バラの香料に、ムスク、バニラ、さらに化学合成された「フローラル・ブーケの香り(業務用原液)」を、寸胴鍋で煮詰めて頭からぶっかけたような、暴力的なまでの芳香。


 ――『香害(スメル・ハラスメント)』。


 私の脳裏に、その単語が警報音と共に点滅した。


「(な、なによこれ……! 致死量よ! 香水つけすぎってレベルじゃないわ、これもう歩く化学兵器でしょ!?)」


 掃除屋として、私は数々の悪臭と戦ってきた。

 腐った生ゴミ、ヘドロ、カビ、魔物の死骸。


 だが、この男の臭いは質が違う。

 「いい匂い」を過剰に重ねすぎて「悪臭」の領域に突入した、最もタチの悪い公害だ。


 ユリウスは、私が息を止めて顔を青くしているのを、「自分の高貴なオーラに当てられて絶句している」と勘違いしたらしい。

 彼はふっ、と優雅に微笑み、髪をかき上げた。


「まあいい。私は寛大だからね。……これから私が、この学園の風紀と衛生を『浄化』してあげよう。君のような薄汚いネズミが住みにくい、白く輝く世界にね」


 そう言い残し、彼はマントを翻して去っていった。


 その背後には、目に見えるほどの濃密な「香料の残り香」が、紫色のガスのように漂っている。


「キャーッ! ユリウス先生、素敵ぃ!」

「いい匂い~! これぞ紳士の香りね!」


 周りの生徒たちはうっとりしているが、私はその場で膝をつきそうになっていた。

 鼻が……鼻が曲がる。

 三半規管が狂う。


「お、おぇ……」


 私は震える手でポケットから「活性炭入り・高性能防毒マスク」を取り出し、二重に装着した。


「スーッ、ハーッ……」


 フィルター越しの無臭の空気を吸い込み、ようやく生き返る。


「なによ、あいつ……」


 私は涙目になりながら、去っていく「歩く芳香剤」を睨みつけた。


「薄汚いのはどっちよ……。あんな不自然な臭いで誤魔化さないと外も歩けないなんて、よっぽど中身が腐ってるんじゃないの?」


 清掃員の勘が告げている。

 グレイブスとはまた違う、厄介なタイプの「汚れ」がやってきたと。


 グレイブスが「隠蔽された汚物」なら、ユリウスは「漂白剤と香料で塗り固められた猛毒」だ。


「……許せない」


 私はモップを強く握りしめた。


 私の美学に反する。

 そして何より、あんな強烈な臭いを撒き散らされたら、換気口を通じて私の地下スパまで汚染されてしまう!


「営業妨害よ、ユリウス先生。……その鼻につく匂いごと、きっちり『洗浄』してあげるから覚悟なさい」


 新たな敵の出現。

 それは、剣や魔法の戦いではない。

 「臭い」と「臭い」がぶつかり合う、仁義なき「ニオイ代理戦争」の幕開けだった。


 私はマスクの紐をキツく締め直し、戦場(廊下)の換気窓を全て全開にするべく走り出した。

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火力至上主義の学園で蔑まれていた私が、スライムに廃棄物を食べさせたら王族御用達の『ロイヤル・スライム・スパ』の主になった件 人とAI [AI本文利用(99%)] @hitotoai

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