第10話 寮監無双と最初の「ざまぁ」

「あーあ、今日も空気が澱んでるわねぇ」


 昼下がりの学園大食堂。


 天井の高い豪奢なホールには、高級食材の香りと共に、貴族たちのドス黒いストレスが充満していた。


 私はホールの最奥、配膳口の隅っこでモップを抱えて待機していた。


 本来なら汚物係がこんな煌びやかな場所に立ち入るなんて許されないんだけど、今日は特別。なんでも、「マナーの悪い生徒がスープをこぼしまくるから、即座に拭き取る係が必要」なんだとか。


(要するに、使用人代わりの雑用ってことね。ハイハイ、承知しておりますぅ)


 私は目深に被った帽子の下で、冷めた目を周囲に向けた。


 特製ファンデーション(泥配合)で薄汚れた平民を装っている私を、誰も気に留めない。まるでそこにいるのが「動く掃除用具」であるかのように。


 でも、それが好都合。

 おかげで私は、ここから特等席で「観察」ができるんだから。


「――っざけんじゃないわよ!!」


 ガシャァァァァン!!


 ほら、来た。

 ホールの中央、一番目立つ特等席から、ガラスが砕ける派手な音が響き渡った。


 声の主は、我らがトップカースト、エルザ・フォン・ローゼンバーグ公爵令嬢だ。

 彼女は今、真っ赤な顔をして立ち上がり、目の前のテーブルを叩いていた。


「なによこれ! このサラダ、葉がしなびているじゃない! こんなゴミを私に食べろって言うの!?」


「ひぃっ、も、申し訳ございませんエルザ様! すぐに新しいものを……!」


 給仕の男子生徒が青ざめて平謝りしている。


 私の『精密洗浄眼(クリーナーズ・アイ)』が、瞬時にエルザ様の皿をスキャンした。


 【解析結果】

 対象:採れたてオーガニックレタス

 鮮度:Aランク(最高級)

 水分含有量:98%


(……言いがかりもいいとこね)


 完全に八つ当たりだ。

 原因は明白。彼女の顔を見れば一目瞭然だもの。


 今日のエルザ様、化粧ノリが過去最悪だ。

 頬のあたりが粉を吹いているし、額にはストレス性の吹き出物が三つもできている。それを隠そうとして厚塗りしたコンシーラーが、食堂の強い照明で浮き上がってしまっているのだ。


(肌が荒れてイライラする→魔力が暴走して周囲に当たり散らす→ストレスでさらに肌が荒れる。……うん、見事なまでの負のスパイラル!)


 私は心の中で拍手を送った。

 もっと荒れろ、もっと暴れろ。そのストレスが私の愛しいスライムちゃんたちのご飯になるんだから。


「もういいわ! 食欲が失せた! こんな不味そうなもの、視界に入れるだけで不快よ!」


 エルザ様の手のひらに、ボッと赤い炎が灯った。

 おいおい、まさかここで燃やす気? スプリンクラー作動しちゃうよ?


「おやめください、ローゼンバーグさん!」


 凛とした声が響き、一人の男子生徒が割って入った。

 学級委員長、ギデオン・アイアンサイドだ。


「食堂での魔法行使は校則違反だ。それに、食べ物を粗末にするなど騎士道精神に反する!」


「あら、貧乏貴族のアイアンサイド君じゃない。あなたこそ、私の食事の作法に口出しするなんて百年早くてよ?」


 エルザ様は鼻で笑った。


「肌の汚い男に説教されると、こちらまで汚染されそうだわ。……どきなさい!」


 彼女が腕を振るうと、手元の炎がボウッと膨れ上がり、ギデオン君を威嚇した。

 周囲の生徒たちが「きゃあ!」と悲鳴を上げて逃げ惑う。


 あーあ、完全に学級崩壊してる。

 誰か止められる人はいないわけ?


 ――カツ、カツ、カツ、カツ。


 その時。

 喧騒に包まれた食堂の空気を切り裂くように、軽やかで、かつ絶対的なリズムを刻む足音が響いてきた。


 入口付近の生徒たちが、モーゼの十戒のように左右へ割れる。


「……おや。随分と賑やかですね」


 現れたのは、一人の女性教師だった。


 その姿を見た瞬間、食堂中の時間が止まった気がした。


「え……?」

「誰だ、あの美女……?」

「新しい先生か?」


 ざわめきが広がる。

 無理もない。


 そこに立っているのは、いつも眉間に深いシワを刻み、能面のような顔でガミガミ怒鳴り散らしていた「鬼の寮監」マーサ・ヴァン・ダイン先生……のはずなんだけど。


(うっわ……)


 私は思わず息を呑んだ。

 昨日の今日で、さらに進化してない?


 今日のマーサ先生は、いつもの黒い詰め襟の制服ではなく、少し襟元の開いた上品なダークネイビーのドレスローブを纏っていた。


 そして何より、顔だ。


 窓から差し込む陽光を受けて、肌が輝いている。

 いや、比喩じゃなくて、本当に物理的に光を反射しているのだ。


 きめ細かく、一切のくすみがない、陶器のような白肌。

 頬には自然な血色が差し、唇は何も塗っていないのに桜色に潤んでいる。


 きつく結い上げていた髪も、今日は緩やかなウェーブを描いて肩に流れている。歩くたびに艶やかな光の輪(天使の輪)ができている。


 年齢不詳。

 強いて言うなら、「全盛期の美貌を取り戻した伝説の女優」って感じ?


「あ、あ……ヴァン・ダイン先生……?」


 ギデオン君が呆然と呟いた。

 エルザ様も、手の中の炎を消すのも忘れて口をポカンと開けている。


 マーサ先生は、優雅な仕草で眼鏡の位置を直した(その指先も白魚のように美しい)。


「どうしました、アイアンサイド君。幽霊でも見たような顔をして」


 声色まで違う。

 いつもの冷徹な響きの中に、余裕と艶(つや)が含まれている。


 先生は滑るように歩を進め、エルザ様の目の前までやってきた。


「さて、公爵令嬢。……食堂で花火遊びとは、随分と優雅なご趣味ですね?」


 ニコリ。

 先生が微笑んだ。

 その笑顔の破壊力たるや。


 周囲の男子生徒数名が、鼻血を出して倒れそうになっているのが見える。


「ひっ……!」


 エルザ様が後ずさった。

 いつもなら「教師風情が!」と噛み付くところなのに、完全に気圧されている。

 なぜなら、女としての「格」の違いを、本能レベルで見せつけられてしまったからだ。


「わ、私は……その、サラダが……!」


「お黙りなさい」


 スッ、と先生が人差し指を立ててエルザ様の唇に触れるような仕草をした。

 ただそれだけで、エルザ様は氷漬けになったように固まった。


「肌が荒れているからといって、食べ物に八つ当たりをするのはおやめなさい。……みっともないですよ?」


 グサッ!


 エルザ様の胸に、見えない矢が突き刺さる音が聞こえた。


「そ、そんなこと……!」


「あら、図星でしたか? 隠しても無駄ですよ。貴女のその厚塗りのファンデーションの下で、毛穴が悲鳴を上げているのが私には聞こえますもの」


 マーサ先生は、憐れむような、それでいてどこか楽しげな瞳でエルザ様を見下ろした。


「ストレスは美容の大敵。怒れば怒るほど、眉間のシワが深くなり、貴女の可愛らしいお顔が台無しになっていきますよ? ……まあ、すでに手遅れかもしれませんけれど」


「な……っ!?」


 エルザ様の顔が屈辱で歪む。

 しかし、反論できない。

 目の前にいるマーサ先生の肌が、あまりにも圧倒的すぎるからだ。


 至近距離で見せつけられる、加工アプリも裸足で逃げ出す美肌の暴力。

 公爵家の財力をもってしても手に入らなかった「真の美」が、そこにある。


「ど、どうして……」


 エルザ様が震える声で絞り出した。


「どうして、そんなに肌が……? 先週まで、私と同じくらい疲れた顔をしていたじゃない!」


「あら、人聞きが悪い。私は元々、これくらいのポテンシャルは持っていましたのよ?」


 嘘つけぇぇぇぇ!

 私の心のツッコミが炸裂する。

 先生、顔色ひとつ変えずに大嘘ついた! しかもポテンシャルとか言っちゃった!


 マーサ先生はふふっと笑い、髪をサラリとかき上げた。

 フローラルな香りが周囲に広がる。そう、私の地下スパで使っている最高級スライム・アロマの香りだ。


「まあ、強いて言うなら……『心のデトックス』のおかげかしらね。悪いものを溜め込まず、綺麗さっぱり洗い流す。……貴女たちが出す『ゴミ』も、誰かにとっては宝物になるということですわ」


 先生の視線が、一瞬だけ、ホールにいる全員を舐めるように動いた。

 そして、隅っこにいる私と目が合った。


 バチッ。


 先生の右目が、ほんの一瞬、パチリと閉じた。

 ウィンクだ。


 あの鬼の寮監が、私に向かってウィンクを飛ばしたのだ!


(ナイスです、先生! 最高にロックです!)


 私はモップの柄を握りしめ、小さくガッツポーズを返した。


 先生の言っている「ゴミが宝になる」の意味。

 エルザ様たちには「ストレスを発散すればスッキリする」という一般論に聞こえただろう。

 でも私と先生の間では、「お前らの出したスラグが私の美貌の燃料だ」という、痛烈な皮肉(ブラックジョーク)として共有されている。


 なんて性格が悪いんだろう。

 最高だわ。


「減点です、ローゼンバーグさん」


 マーサ先生は冷然と言い放った。


「食堂での騒音、器物破損未遂、および教師への不敬。……寮に戻ったら、たっぷりと反省文を書いていただきますからね?」


「そ、そんな……!」


「反論は? ……ありませんね。では、解散!」


 パンッ!


 先生が手を叩くと、その場の空気が一気に解凍された。


 エルザ様は真っ赤な顔で俯き、取り巻きたちに支えられながら逃げるように食堂を出て行った。

 その背中は、いつもの傲慢さのかけらもなく、敗北者の哀愁が漂っていた。


「す、すげぇ……」

「公爵令嬢を黙らせたぞ……」

「ていうか、先生マジで綺麗じゃね? 恋しそう……」


 男子生徒たちがざわついている。

 ギデオン君も、尊敬の眼差しで先生を見送っていた。


 マーサ先生は颯爽と踵を返し、出口へと向かう。

 すれ違いざま、私の方をチラリとも見ずに、しかし私にだけ聞こえるような微かな声で呟いた。


「……今夜も、予約を頼むわよ。アリア」


「――!」


 私は深く帽子を被り直して、誰にも気づかれないように小さく頷いた。


 イエス・マム。

 会員番号1号様のご来店、心よりお待ちしております。


 私はこぼれたスープ(実際にはエルザ様の炎で少し焦げたテーブルクロス)を拭きながら、マスクの下でニヤニヤが止まらなかった。


 見たか、地上の住人たちよ。

 これが「ロイヤル・スライム・スパ」の威力だ。


 たった一晩の施術で、鬼の寮監を学園の女神に変え、トップカーストの公爵令嬢を言葉一つでねじ伏せる最強の武器に変えた。


 そして、その「奇跡の泉」を握っているのは、誰あろう、この薄汚れた汚物係のアリア様なのだ。


(ふふふ……気分いいわぁ)


 私は雑巾を絞りながら、勝利の美酒(ただの水道水だけど)に酔いしれた。


 エルザ様たちの肌荒れは、これからもっと酷くなるだろう。

 だって、あんなに悔しがってストレスを溜めたんだもの。

 今夜あたり、また大量の「美容液の原料(スラグ)」が廃棄場に届くはずだ。


 それを回収し、精製し、今度は私がそれを使って、さらに美しくなる。

 完璧なサイクル。

 持続可能な復讐目標(SDGs)の達成だわ!


 私は軽やかな足取りで配膳口へ戻ろうとした。


 ――その時だった。


「……君」


 不意に、背後から声をかけられた。

 ギデオン・アイアンサイドだ。


 ビクッとして振り返る。

 いつものように「邪魔だ」と怒られるのかと思った。


 しかし、彼の視線は私の足元――いや、私が通り過ぎた後の床に向けられていた。


「……今の掃除、完璧だな」


「へ……?」


「一瞬で汚れが消え、焦げ跡の炭化部分だけが綺麗に除去されている。……君、ただの雑用係にしては、妙な技術を持っているな」


 ギデオン君の瞳が、探るように私を見つめていた。

 その目は、エルザ様を見るような軽蔑の色ではない。

 何か得体の知れないものを見るような、警戒心に満ちていた。


(やばっ……調子に乗ってスキル使いすぎた!?)


 私は慌てて「い、いえっ! ただ必死に擦っただけですぅ~!」と腰を低くして逃げ出した。


 危ない危ない。

 マーサ先生という強力な後ろ盾を得て、気が緩んでいたかもしれない。

 まさか、あの堅物の委員長に目をつけられるなんて。


 でも、まあいいわ。

 彼もまた、顔色が悪い一人だ。

 いずれ私の顧客リスト(カモ)に加えてあげてもいいかもしれない。


 地下への階段を降りながら、私は次なる野望に思いを馳せた。


 先生の次は、誰を落とそうか?

 この学園には、まだまだ救済を求める「迷える子羊」たちが沢山いるのだから。

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