第9話 会員番号1号誕生

「きゃあああああああああっ!!」


 鼓膜をつんざくような悲鳴で、私は飛び起きた。


「ひぃっ!? な、何!? 敵襲!? それとも強制捜査!?」


 スライム・ソファの上で雑魚寝していた私は、慌てて跳ね起き、モップ(武器)を構えた。

 地下室は静まり返っている。

 ぷるんたちも驚いて、ピコピコと体を震わせている。


 悲鳴の主は、壁際に新設した「全身用・超高精細ミラー(アリア製)」の前に立ち尽くしている人物だった。


「……う、嘘……これが……私……?」


 そこには、震える手で自身の頬に触れているマーサ・ヴァン・ダイン寮監先生の姿があった。


 私は恐る恐る、先生の背中に声をかけた。


「あ、あのぉ……先生ぇ? もしかして副作用で顔が溶けたりとか……」


 もしそうなら即座に国外逃亡だ。荷物をまとめる準備を――。


「アリアさん」


 先生が、ゆっくりと振り返った。


 その瞬間、私は息を呑んだ。

 朝の地下室に差し込む微かな光を受けて、先生が発光していたからだ。


 いや、物理的に光っているわけではない(半分くらい光ってるけど)。


 肌だ。

 昨夜まで、厚いファンデーションの下で悲鳴を上げていた赤み、くすみ、小じわ。それらが跡形もなく消え去っている。

 代わりにそこにあるのは、陶磁器のように滑らかで、内側から血色の良いピンク色が透ける、極上の白肌。


 目元のクマも消え、ほうれい線もリフトアップされ、フェイスラインが驚くほどシャープになっている。

 見た目年齢、マイナス一五歳。

 いや、現役の女子生徒と言われても通用するレベルだ。


「……おはようございますぅ」


 私は引きつった笑顔で挨拶した。

 『精密洗浄眼』が勝手に解析を始める。


 【解析結果】

 対象:マーサ・ヴァン・ダイン

 状態:**絶好調(スーパー・ハイ・コンディション)**

 肌年齢:17歳相当

 筋肉疲労:0%

 腰痛:完治(椎間板の完全再生を確認)


「……信じられないわ」


 マーサ先生は、夢遊病のように自分の腰をさすった。


「腰が……痛くない。毎朝、起き上がるだけで油の切れた歯車のような音がしていた腰が、羽のように軽いの」


 先生はその場でクルリと一回転し、さらに信じられないことに、軽くジャンプしてみせた。

 着地も軽やか。

 十代の乙女のような身のこなしだ。


「鏡を見て、自分の目を疑ったわ。これ、本当の私なの? 幻覚魔法をかけているわけじゃないわよね?」


「め、滅相もございません! 正真正銘、先生ご自身のポテンシャルを引き出した結果ですぅ!」


 私は必死に首を横に振った。

 先生は再び鏡に駆け寄り、うっとりと自分の顔を眺め始めた。その瞳は、まるで恋する乙女のように潤んでいる。


(やばい、効果がありすぎた……)


 私は冷や汗をかいた。

 こんな劇的な変化、隠しようがない。一歩外に出たら大騒ぎになること間違いなしだ。


 すると、先生の表情がスッと真顔に戻り、鋭い視線が私に向けられた。


「……さて、アリアさん」


「は、はいっ!」


 私は直立不動の姿勢を取った。

 来るか。尋問タイムか。


「昨夜も聞いたけれど、もう一度確認させてちょうだい。……この奇跡のような効果を生み出した『材料』は、一体何なの?」


 先生の声は静かだが、絶対に嘘を許さない圧(プレッシャー)がある。

 私はごくりと喉を鳴らした。


 ここで嘘をついても、いずれバレる。

 なら、真実を話して、共犯者に引きずり込むしかない。

 私は覚悟を決めた。


「……実は、ですね。先生が昨日浴びたエキスや、私が肌に塗っている美容液の原料は……」


 私は言い淀み、視線を天井――つまり、地上の校舎の方へ向けた。


「エルザ様をはじめとする、貴族の生徒たちが垂れ流した『魔力廃棄物(スラグ)』です」


「……なんですって?」


 先生の眉がピクリと動く。


「彼女たちが、自身の美貌や魔力を誇示するために使い捨て、汚いものとして私に押し付けたゴミ。……それを、うちのぷるんちゃんが食べて、浄化して、極上の美容成分に変えてくれたんです」


 私は正直に白状した。

 「汚らわしい!」と激昂されるかもしれない。

 「ゴミを私の体に塗りたくったのか!」と、鞭で打たれるかもしれない。


 私は身構えた。


 しかし。

 数秒の沈黙の後、地下室に響いたのは、怒声ではなく――忍び笑いだった。


「ふ……ふふふ……」


 マーサ先生が、口元を手で覆い、肩を震わせている。


「くくっ……あはははは!」


 その笑い声には、どこか昏(くら)い愉悦が含まれていた。

 先生は眼鏡のブリッジを中指で押し上げ、鏡の中の自分と、天井の向こうにいる生徒たちを交互に見やるような目つきをした。


「なるほど……そういうこと。あの高慢で、礼儀知らずで、廊下を走ることしか能のない愚かな生徒たちが出した『ゴミ』が、私のこの美しさの源泉になっている、と」


「……へ?」


「傑作じゃない」


 先生の口元が、三日月形に吊り上がった。

 背筋がゾクッとするような、妖艶で邪悪な笑み。


「彼女たちは高いお金を払って肌を荒らし、その結果生み出した最高級の成分を、私たちに『どうぞ』と献上してくれていたわけね? なんという皮肉。なんという……甘美な響きかしら」


 先生は恍惚とした表情で、自分の頬をなぞった。


「アリア、貴女は天才よ。ゴミを宝に変える錬金術師だわ」


「え、あ、ありがとうございますぅ……?」


 予想外の反応に、私は目をぱちくりさせた。

 怒ってない。

 むしろ、めちゃくちゃ気に入ってる!?


 先生はカツカツと私に歩み寄り、ガシッと私の両肩を掴んだ。


「いいわね、アリア。このことは、墓場まで持っていく秘密よ」


「は、はいっ!」


「もしあの生徒たちがこの事実を知ったら、プライドの高い彼女たちのことだもの、発狂してここを壊しに来るでしょう。……そんなことは、断じて許しません」


 先生の目に、鬼の寮監モードの冷徹な光が宿る。

 しかし、その光は以前とは違い、私を守るための「防壁」としての輝きを帯びていた。


「ここは私のサンクチュアリ(聖域)。私の美を維持するための、最重要国家機密施設よ」


 先生は懐から、一枚のカードを取り出した。

 それは、寮のマスターキーだ。


「アリア・ミレット。貴女にこの地下倉庫を含む、旧校舎エリアの『特別管理権限』を譲渡します」


「えっ!? いいんですか!?」


「ええ。表向きは『廃棄物処理の効率化のための立ち入り許可』として処理しておくわ。これで、夜中にこっそり忍び込む必要もありません。堂々と、私のために――いいえ、私たちのために、この楽園を運営しなさい」


 私は震える手でカードを受け取った。

 これさえあれば、誰にも邪魔されずに地下に出入りできる。

 まさに、地下帝国の公認化!


「そして、私はその『ロイヤル・スライム・スパ』の会員番号1号。……異論はないわね?」


「ありません! 一生ついていきます、姉御ッ!」


 思わず口が滑ったが、先生は気にした様子もなく、満足げに頷いた。


「よろしい。では、私は地上に戻ります。……ふふ、今日の見回りが楽しみだわ」


 先生は再び鏡の前に立ち、乱れた髪を整え、眼鏡の位置を直した。

 その背中から立ち昇るオーラは、昨日までの「疲れた中間管理職」のものではない。

 圧倒的な美貌と自信に満ち溢れた、「女帝」の風格だ。


「あの生意気な公爵令嬢たちが、私の顔を見てどんな反応をするか……想像するだけで、肌のツヤが良くなりそうだわ」


 先生はニヤリと笑うと、地下室の扉を開けた。


「行ってきます。私の可愛い専属エステティシャンさん」


 バタン。


 重い扉が閉まり、地下室に静寂が戻った。


 残された私は、手の中にあるマスターキーを見つめ、それからぷるんと顔を見合わせた。


「……ねえ、ぷるんちゃん」


「キュウ?(なに?)」


「私たち、とんでもないモンスターを解き放っちゃったかもしれない」


 でも。

 私の口元は、自然とニヤけてしまうのを止められなかった。


「最高じゃない! これで最強の後ろ盾ゲットだよ!」


「キュウッ!(やったね!)」


 私はぷるんとハイタッチ(触手タッチ)を交わした。

 

 ゴミ捨て場の底辺だった私たちが、学園の最高権力の一角を取り込んだのだ。

 これでもう、ビクビク怯えて暮らす必要はない。


 私はポーチから、自分用の『ロイヤル・ゼリー』を取り出した。


「さーて、私も負けてられないわね。先生があれだけ輝いてるんだから、私ももっと磨きをかけなきゃ!」


 地下での「美」の追求は終わらない。

 むしろ、ここからが本番だ。


 だが、私はまだ知らなかった。

 覚醒したマーサ先生が、地上でどれほどの旋風を巻き起こすかを。

 そしてその余波が、巡り巡って「ざまぁ」の連鎖を引き起こし、私を更なるステージへと押し上げることになるのを。


 ――数時間後、学園の食堂が阿鼻叫喚の地獄絵図(主に貴族たちの嫉妬による)になるとは、今の私は知る由もなかった。

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