第51話 消失
夏休みというのは、本来もっと平和で、ダラダラしているものだと思う。
少なくとも、私の知る限りでは。
エアコンの効いた自室。
だらしない格好でタオルケットを抱きしめながら起き上がる準備をする。
起き上がるだけでも覚悟がいる暑さってどうなんだろ?
「……あー、動くきたくない。家から出たくないです……」
独り言が漏れる。
でも、事件が気になる。
探偵さんと合流しなきゃ。
とりあえず、探偵さんにLINE。
【今からそっち行っていいですか?】
――返事がない。
あの人はどうも、この手のガジェットになれてない節があるよね。
LINEの画面をみていてふと思い出す。そういえば、サヤカ。
「美容アプリ」がどうとかいってたよね。
まさかこの前消したあれをまた入れたりしてないよね?
【そういえば、アプリってどんなの?】
少し気になったので、とりあえずサヤカにLINEする。
――既読がつかない。
既読スルーとかする子じゃないし、気がついてないのかな?
私は重い腰を上げ、リビングに降りた。
お母さんはパートかな。
誰もいないリビング日焼け止めを塗りながらテレビのスイッチを入れる。
情報番組の天気予報コーナー。
お天気キャスターのお姉さんが、池袋のサンシャイン通りを背に、ハンカチで汗を拭っていた。愛らしい着ぐるみと一緒に。
――この暑いのに、着ぐるみの中の人大丈夫かな?
熱中症で倒れない?
「現在の気温は三十五度、路面温度はさらに高く……」
そこで、言葉が途切れた。
ノイズじゃない。
放送事故でもない。
フッ、と。
彼女の身体が、掻き消えたのだ。
カラン、と乾いた音がテレビのスピーカーから響く。
マイクだけが、アスファルトに落ちて転がった。
「え……?」
これって学校で起きた……。
脳裏にあの事件の様が蘇る。あの時は探偵さんの活躍で皆助かったけど……。
この人達は……。
日焼け止めのチューブを握ったまま、私の動きが止まる。
スタジオのアナウンサーが凍り付く気配。
画面越しにも、空気が凍るのが分かった。
カメラマンが動揺したのか、映像が激しく揺れる。
その画面の端で――起きた。
信号待ちをしていたサラリーマンが。
スマホをいじっていた女子高生が。
次々と、「枠」の中から消滅していく。
悲鳴はない。
ただ、プツン、プツンと。
存在の接続が切断されていくような、あまりにも静かな消失。
まるで、夏の陽炎みたいに。
現実そのものが、熱で溶けてバグったみたいだった。
私のスマホが、テーブルの上でブブブと震えた。
通知音が重なる。
SNSのタイムラインが、悲鳴で埋め尽くされる。
『推しが消えた』
『街頭ビジョンのCM、誰もいない』
『ビデオ通話中の母さんがいなくなった』
すべて、「画面の中」で起きている。
私は「ひっ!」と短い悲鳴を上げて、慌ててテレビのリモコンを掴んだ。
電源ボタンを連打して、黒い画面に戻す。
ハァ、ハァ、と息が上がる。
消したはずの黒いテレビ画面が、人を飲み込む「穴」に見えて仕方がない。
なにこれ。
影が……街中に拡がってる!?
慌てて立ち上がる私のスマホがピロンと鳴いた。
探偵さんだ!!
【地面を見ながら歩いて来て。色が違う影は踏まないで】
【このエリアには近づいてはいけない】
メッセージと共に地図の画像が添付されている。
その中にはくっきりと赤く塗られたいくつかの区画があった。
了解です。
心の中で敬礼をしながら、私は身支度を急ぐ。
早く探偵さんのところに行かなきゃ!
◇
一歩外に出ると、暴力的な熱気が襲ってきた。
肌にまとわりつく湿気。
アスファルトからの照り返し。
世界全体が、ドロドロに腐りかけているような不快感。
言われたとおりに危険なエリアを避け、影に注意しながら東口へ。
池袋東口公園。
「……どうやら、予想より少し早いね」
木陰のベンチに座った探偵さんが、涼しい顔で言った。
その格好は、いつもの黒いロングコート。
見ているだけで熱中症になりそうだ。
その手には、チョコ菓子。
パッキーをポリポリ齧る音だけが、セミの声に混じって響く。
よく溶けませんね、それ。
みると梓さんも来ていた。
「真弓さん、無事で良かった」
「うん、何だか街が大変なことになってるよ!」
私と、梓さん。
二人を見上げ、探偵さんはスマホの画面を私たちに向けた。
そこには、ネットニュースの速報が表示されていた。
『謎の集団失踪、アプリ“にくゑ”に関連か』
探偵さんが、パッキーの先端でその見出しを指す。
「おかしいと思わないかい?」
「……え? 何がですか?」
「警察はまだ、アプリとの関連性を公式に発表していない。なのに、マスコミは既に『にくゑ』という名前を報じている」
探偵さんは、冷ややかに笑った。
「誰かがリークしたんだよ。意図的にね」
「リークって……何のために?」
「にくゑの名前を広めるため?」
梓さんが慄然としたように口を開く。
「うん、そうだね。梓くんの話だと名前それ自体に力があって少しずつ世界を汚染してゆく神様みたいだし」
探偵さんは空中に四角形を描く。
「呪いというのは、認識されることで拡散するウイルスのようなものだ。口コミや都市伝説として広まるのが自然だが……それじゃ遅すぎる」
パキリ、とチョコを噛み砕く音。
「だから、マスコミを使ったんだ。テレビやネットで一斉に『にくゑ』という名前を連呼させれば、数千万人単位で『認識』が発生する。爆発的な感染パンデミックの完成だ」
現代社会のインフラを、呪いの拡散装置として利用する。
その発想に、私は背筋が寒くなった。
けれど、ここで探偵さんの目が鋭くなる。
「だけど、ここには矛盾がある」
視線が、梓さんに向く。
「梓くん。君の大切な人……清音という女性は、どんな人物だい?」
突然話を振られた梓さんは、焦れたように唇を噛んだ。
「……清音は、ずっと村の神事に関わっていたわ。スマホなんて持ったこともないし、東京のことだって何も知らない。純粋で、無垢な……村の娘よ」
「だろうね。だからこれはきっと彼女の知恵ではない」
探偵さんは頷いた。
「閉鎖的な村で育った『巫女』に、こんな真似ができるはずがない。マスコミへのリーク、SNSでの拡散誘導、現代メディアを悪用したバイラル・マーケティング……彼女の知識にはない戦術だ」
つまり、と探偵さんは結論づける。
「彼女のバックには、現代社会のメディア構造を熟知した『プロの扇動者』がいる。清音さんを利用し、このパニックを演出している黒幕がね」
プロの、扇動者。
その言葉の響きに、空気が重くなる。
ただの怪異じゃない。
誰かが悪意を持って、東京を地獄に変えようとしている?
けれど。
梓さんの反応は、探偵さんの推理を称賛するものではなかった。
彼女は、苛立ちを隠そうともしなかった。
長い黒髪を、乱暴にかき上げる。
その顔色は、暑さのせいだけじゃなく、激情で紅潮していた。
「理屈なんて、どうでもいいわ」
低い声。
地を這うような殺気。
うわ、こっちも怖い……!
彼女の瞳に、黒幕の正体なんて映っていない。
あるのは、執着だけ。
「犯人の手口も、メディア戦略も、私には関係ない。知りたいのは一つだけよ」
梓さんが、探偵さんに詰め寄る。
胸倉を掴みかからんばかりの勢いだった。
「……清音はどこ!? この穢れの中心はどこなの!」
探偵さんは動じない。
ただ静かに、北の方角へ視線を流した。
その視線の先には、陽炎に揺れる池袋の街並みがあった。
「恐らく、この事件の先に彼女はいるよ。それが君の知っている彼女かどうかはわからないけれど」
探偵さんの言葉に梓さんは唇を噛みしめた。
「でも、行こう。これ以上後手には回れないよね」
そう言って探偵さんは歩き出す。
私たちはその後を、急いで追いはじめたのだった。
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