第20話 遭遇

「それと……」


 探偵さんが、溶けた地面の縁を指で触れた。

 まるでそこに“温度”が残っているかのように、

 慎重に、丁寧に。


「この痕跡は新しい。

 昨夜、ここで起こったんだろうね」


 空気が凍りつく。


 昨夜――

 ミサたち三人が消えた、その時。


(ここで……ほんとに……?

 影が……三人を……)


 頭が真っ白になりかけた瞬間、

 探偵さんがこちらを振り返った。


「真弓くん、気をしっかり」


 その声に引き戻される。

 探偵さんはいつもの飄々とした笑みではなく、

 真剣な眼差しで私を見ていた。


「君は、まだ見える世界の入口に立ってるだけだよ。

 ここから先は、もっと深くて暗い」


「……もっと、深い……?」


「うん。――影は“きっかけ”に過ぎない。

 本当の異常は、まだ姿を現してない」


 その言葉に、久我さんが

 驚いたように目を見開いた。


「僕は、職業柄色々奇妙な出来事を取材してきたけど

 実際に人が失踪するなんてことは希な話だよ?」


「――かも知れないね」


 久我さんの言葉に探偵さん静かに答える。

 ――って希にはあるんだ、怪異とか失踪とか!? 本当に?

 だから、こんなに落ち着いてるのか、久我さん。


 夢であの光景を見て、そして実際に影に遭遇して、そして梓さん。

 確かに、もう私が今まで知っていた世界はどこにもない。


「真弓くんは帰ってもいいよ。

 でも……君は来るだろうね」


 探偵さんの声は優しかった。


「はい……行きます。

 私……知らなきゃいけない気がして」


「うん。その答えで十分だよ。一緒に行こう」


 探偵さんはそう言って微笑んだ。

 ――随分後に、私はこの言葉を思い出すことになる。



 融解した地面を見つめていると、

 胸の奥がじりじり焼けるみたいに痛んだ。


(……千晶ちゃんのときと、本当に同じだ)


 事件じゃない。

 事故でもない。

 ただの失踪でもない。


 “何かがいる”。

 それを、認めざるを得なくなってきている。


「さてと」


 探偵さんが立ち上がる。

 影が地面にゆらりと伸びて、その細い路地にひとつの線を引いた。


「この痕跡は新しい。

 つまり――“まだ近くにいる”」


「近く……って、影ですか?」


「影か、影を操っている何かか。

 あるいは影を追っている誰かだね」


 その言葉が落ちた直後だった。


 ――カサ。


 路地の奥の暗がりで、

 何かがわずかに動く気配がした。


「っ……!」


 反射的に身体が固まった。

 久我さんが私の前に立ち、探偵さんは微かに目を細めた。


 一瞬、風かと思った。

 でも違う。


「……誰かな? あまり人がましい気配じゃないね」


 探偵さんが低く呟く。

 胸がどくんと跳ねる。

 息が喉に張り付いて、どうしても空気が吸えない。


 暗がりが、ほんのり揺れた。

 森の暗がりの中、僅かに届いている月の光に影が照らされる。


 数歩分、軽い足音がした。

 靴底がアスファルトをこすって、静かに近づいてくる。


 その瞬間、私は気づいた。

 女性。

 白いスニーカーを履いた女性だ。


 木々の隙間から漏れる街灯と月の光に、彼女の姿が照らし出された。


 細く、冷たい光を纏ったような美貌。

 長く伸びた絹糸のような黒髪が夏の夜風になびいている。

 ウチの高校のものではないセーラー服。


 少し背は伸びているけれど、間違いない。

 こんな美人を見間違えるはずはない。


「……あなた……清音さん……?」


 虚木清音さん。

 私の遠い親戚。

 虚木村の村長の娘さんで、村の巫女。


「……」


 無表情のまま、

 清音さんは私たちをまっすぐ見つめていた。


 探偵さんも久我さんも声を出さない。

 路地全体の空気が、まるで凍ったみたいに感じた。


「君が……終焉を呼ぶものか?」


 探偵さんが静かで、淡々とした声で問いかける。

 でもその奥に――怒りとも違う、焦りのような感情がほんの少し混じっていた。


「――お前は異物です。この世界に存在してはならない」


 平坦な声で、違和感のある言葉で探偵さんに呼びかける清音さん。

 ――清音さん……だよね?

 でも本当に?


「清音さん、どうして東京いるの?」


 私の問いかけに、清音さんは、こちら視線を送る。

 何だか――違う。

 村で私に親切にしてくれた清音さんじゃ、ない。

 この人は、誰?

 

「あなたは……誰なの? 本当に清音さん?」


 返事はない。

 清音さんは、私を見ている。

 でも、見ているだけだった。


 その沈黙が、嫌な予感に変わる。

 沈黙が、森の中に落ちた。


 清音さんは何も答えなかった。

 瞬きひとつせず、ただこちらを見ている。


「……清音さん?」


 もう一度、声をかける。

 でも返事はなかった。


 代わりに――

 足元の影が、ゆっくりと“増えた”。


「……っ」


 一本だったはずの影が、二本、三本と枝分かれしていく。

 木の影じゃない。

 街灯も月も、こんな影は作らない。


 地面から、ぬるりと黒いものが滲み出す。

 人の形をしているようで、していない。

 輪郭が定まらない“何か”。


「下がって」


 探偵さんが、私と久我さんを庇うように一歩前に出た。

 懐から取り出すのは、パッキーの箱。

 内袋を破り、一本を取り出す。


「……まずいね。数が多い」


 ポキリ、とバッキーを囓りながら出す声は落ち着いているけれど、

 その言葉の選び方で分かった。

 本当に、良くない。


 影は一体だけじゃなかった。

 五体、七体――

 森の暗がりのあちこちから、次々と現れる。


「清音さん……これ、あなたが……?」


 問いかけても、清音さんは何も言わない。

 ただ、影の群れを従えたまま、こちらを“観測”している。


「二人を守りながら戦うのは……分が悪いかもね」


 探偵さんが小さく呟いた。


「真弓くん、ライターくん。動かないで」


 その背中が、いつもより少し大きく見えた。

 でも――

 影は、じわじわと距離を詰めてくる。


 その時だった。


 ――ビィーン、ビィーンと。

 夜気を震わせる不思議な音が木々の中に鳴り響いたのは。


 閃光!


 続けざまに、森の奥から白い光が影に向かって奔った。

 一瞬遅れて、バシュウと、空気を裂く、鋭い音が耳を貫く。


「……え?」


 次の瞬間、

 影の一体が、音もなく消えた。


 溶けるでもなく、崩れるでもなく。

 まるで最初から存在しなかったみたいに。


「今のは……」


 探偵さんが、素早く視線を走らせる。


 光が闇を切り裂き、

 影を次々と貫いていく。


 当たった影は、例外なく消滅した。

 悲鳴も、抵抗もない。


「……矢? いや、違う……これは……」


 久我さんが、呆然と呟く。

 そして、森の奥から足音がした。


 ビィン、と。

 空気を震わせる弦の音が鳴り響く。

 次の瞬間、光が走り、また影が消えた。


 溶けたわけでも、壊れたわけでもない。

 ただ、そこにあったはずの存在が、なかったことになる。


「……え?」


 ――ビィィィン。

 また、弦の音。

 影が、もう一体消える。


「これ……この光って……」


 音と共に光が闇を走り、影が消滅してゆく。

 私はその光景を、幻視のそれと重ねて見つめていたのだった。

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