第17話 影の痕跡

 黄昏の残照が街を覆う。

 サンシャイン通りから東へ。

 千晶ちゃんが消えた場所――六ツ又陸橋を通ってホテル街へ向かう。


「やぁ、ここから見る夕日はとても綺麗だね」


 陸橋の上から目を細め、探偵さんは街と鉄道を見下ろす。

 時々通る電車の音が、黄昏の中で細い糸みたいに震えている。


「ですよね、たまに遠回りしてここから街をみるんですよ」


 暢気なやりとりとは裏腹に、探偵さんはやたら地面を注視していた。

 何か探しているように。


 傾いた太陽が照らし出す陸橋を越えて西口のラブホテル街。

 探偵さんに促されるまま、人通りの少ない路地へと入る。


 夕暮れの色が薄れて、街灯とネオンが灯り始めている。

 それは、私が"夢"で視たあの場所とまったく同じだった。


(ここ……本当に……)


 見覚えがあるどころじゃない。

 "幻視の景色そのまま"だった。


 探偵さんはしゃがみ込み、アスファルトを静かに触っていた。


「真弓くん……見てごらん」


 指先でなぞられた部分だけ、道路の質感が違っていた。

 黒く、波紋のように歪んで固まった跡。


「これ……」


「融解だよ。アスファルトが、一瞬だけ"溶かされた"跡」


 私は息を飲んだ。


 だってこれ――

 幻視で"千晶ちゃんが溶けた場所"と同じだ。


「……千晶ちゃん、ここで……」


「消滅させられた。影と一緒に、ね。でも影は地面に逃げた」


 探偵さんの声は静かだった。


「これが――あったよ」


 探偵さんは手袋越しに、溶解跡の"中心"をそっと持ち上げた。


 一筋の髪の毛。

 千晶ちゃんと同じ色。


 足元が冷たくなる。


「……幻視……じゃなかった……」


 喉が勝手に震えた。

 幻視の中で見た光景。

 黒い影に包まれる千晶ちゃん。

 梓さんの弓。

 光の矢。

 霧のように消えた彼女。


「あれは……」


「うん、現実だったんだね」


 ――やっぱり……あの光景は……。

 と、探偵さんは立ち上がり、ショックを受けている私を見た。


「ところで真弓くん――君はあの幻視の中で、どこから光景を見ていたんだい?」


「え……?」


「君の視点の位置だよ。上から?  横から? それとも……」


 上ってどこよ? 横ってどこよ?

 心の中でツッコミながら記憶から逆算する。

 私は記憶を辿って――


(あの時、わたしは……)


「……あの辺り、だったような……」


 私は、路地の奥を指差した。

 千晶ちゃんがいた場所から、少し離れた位置。


「なるほど。じゃあ、そこに立ってみてくれる?」


 言われるまま、その場所に立つ。

 ――ここからだと梓さんからは死角になるんだ。


「もう一度、見た光景を思い出してごらん。できるだけ詳しく」


 目を閉じる。

 幻視の記憶が、鮮明に蘇ってくる。


 黒い影に包まれる千晶ちゃん。

 梓さんの弓。

 光の矢。


「……千晶ちゃんの姿しか……見えませんでした……」


「他には?  周りの景色とか、音とか」


「……いえ、何も……」


 でも――

 そういえば。


「……あ」


「うん?」


「……視線が一瞬下にずれたんです。自分の足元を見たような……」


「それで?」


「……スニーカーが見えました。白い……女性用の」


「スニーカー、ね」


 その声音に、何か含みがあった。


「……どういう……」


「うん、真弓くん、スマホ貸してくれる?」


「え……はい……」


 言われるがままに、スマホを取り出す。

 探偵さんはスマホを受け取ると、

 慣れた手つきで画面を操作し始めた。


「え……何を……」


「色々あってね。まぁ、探偵だから」


 画面には、警視庁の行方不明者データベースが表示されていた。


(え……そんなの見られるの……?)


 探偵さんは地図を表示し、この三日間の失踪事件の発生地点を確認している。

 画面をスクロールしながら、探偵さんは小さく唸った。


「……やっぱり」


「やっぱり……?」


「この三日間の失踪事件、すべて君の通学ルート周辺で起きてる」


 地図上に表示された赤いピン。

 それは確かに、私の家から学校までの道沿いに集中していた。


「これは……」


「偶然じゃない。影は、この周辺。特に君の学校周りをマークしてる」


 その言葉に、心臓が跳ねた。


「どうして……?」


「それはまだ分からない。でも――」


 探偵さんが言いかけた、その瞬間――

 空気が歪んだ。

 視界の端から、黒い"塊"がぬるっと滲み出す。


(また……!)


「下がって!」


 探偵さんが私の前に出た。


 黒い影は形を持たず、でも"人だった何か"の感触を残したまま、

 地面にへばりつくように広がり、私の足元へ伸びてくる。


 幻視と同じ。

 いや、これは幻じゃない。

 本物だ。


「触れられたら終わりだよ、真弓くん。足元には注意してね」


 探偵さんは、私の前に立ち、ポケットから細長いお菓子の箱を取り出した。

 パッキー。

 コンビニやスーパーで売ってる、チョコがついた細長いお菓子だ。

 中袋を破り、パッキーを一本取り出した。


(それで……一体……何を……?)


 そして探偵さんは、手に持ったパッキーをくわえる。


「甘いものを食べてる時くらい、静かにしてほしいんだけどね」


 えっーと、この影、何も話してないよね?

 と間の抜けた感想を脳裏に思い浮かべる。


 と、次の瞬間。

 黒い影が私たちに向かって躍りかかった。

 躍りかかってきた黒い影、いや、それはうねうねと動く黒い肉の塊。


「え!?」


 ――だけど。

 

 ピタリ、と。

 ぬめぬめとひかり、のたうっている赤黒い肉塊は、探偵さんが持ったパッキー一本に食い止められていた。

 細く脆い焼き菓子は、しかし圧倒的な質量を物ともせずにそれを食い止めている。


 私はその光景を、あり得ないその光景を、息をするのも忘れて見つめていたのだった。

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