第三話『青年と花』

 ダンジョンの奥へ進むにつれて、花の香りが鼻にまとわりつく。


 通路は暗闇に沈んでいて、ほんの数歩進むだけで夜の底に落ちたみたいだった。

足元なんてほとんど見えない。

僕は壁を手でなぞりながら、慎重に進んだ。


 ──暗闇がふっと途切れた。


 広間だ。

天井の裂け目から降り注ぐ光に照らされ、

その真ん中で巨大な花がひとつ、静かに咲いていた。


 紫の花びらは濡れた宝石みたいにきらめき、

根元から伸びる棘付きの蔓はぐねりとうねっている。

まるでその花を守る柵みたいだ。


「……え」


 花のそばに、チュウルとカプリコットが倒れていた。

ほんのさっきまで元気に追いかけっこしてたのに、ぴくりとも動かない。


 息が詰まりそうになる。

 これ……絶対にただの花じゃない。


 僕は息を整え、そっと後ろを振り返る。

逃げ道の確認は大事だ。そこだけは忘れない。

……大丈夫。来た道が──


 ──ぼこっ……ぼこぼこぼこっ!


「えっ!?」


 通路が茨で塞がれていく。

棘だらけの蔓が生き物みたいにうごめき、

あっという間に通路を封じ込めてしまった。


 ぞわりと背中に悪寒が走り、思わず前を向く。


 その瞬間──



 空気を裂く音。



 考えるより先に体が動いて、横へ跳んでいた。

地面を転がり、膝に走った痺れに歯を食いしばる。


  ついさっきまで僕の体があった場所に、太い茨が叩きつけられて横たわっている。

 もしあれを正面から受けていたら……いや、考えるのはあとだ。


 息を荒げながら顔を上げる。


 巨大な花の中心から、白い大蛇がぬるりと首をもたげていた。

舌をチロチロと揺らしながら、まっすぐ僕を見つめている。

その動きに合わせて、花も蔓も同じリズムでうごめいた。

──まるで全部がひとつの生き物みたいだ。


 チュウルも、カプリコットも……こいつにやられたんだ。


「……な、なに、これ……」


 知らない魔物。

強さなんて分からない。

でも、ひとつだけ分かる。



 こいつは僕を生かして帰す気がない。



 心臓が、痛いほど速く打ち始めた。

怖い。でも──

逃げ道が塞がれた以上、後ろはない。


 だったら……前を見るしかない。


 僕はぎゅっと拳を握り、

小さく息を吸って、吐いた。


「……やるしか、ないな!」

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