世、妖(あやかし)おらず ー磔光芒(はりつけこうぼう)ー
銀満ノ錦平
1
ふと秋の夕暮れを隠し、夕日の色に染まった橙色の雲が目に映ったので何となく空を眺めた。
雲の隙間から陽の光が差し込み、十字架の形を象ってるように見える。
その光景は意図的なものではなく、自然と偶然が作り上げたパノラマであるが、そういうものは結局人間が勝手に作り上げた感性が自然の偶然と合致した際に自己的に感動してしまうだけで、本来は雲の隙間から発した陽の光が偶々十字の形に穴が空いていた場所に当たって、地に神々しく注いでいるだけに過ぎない。
しかし十字というのは私はあまりいいイメージが無い。
私の知識の偏りもあるかもしれないが、十字で思いつくのがどうしても磔を連想して仕方ない。
昔見た絵画や浮世絵、映画や漫画でも印象に残ってしまうのが十字に建てられた棒に磔にされ、エグい殺され方をしている描写がどうしても目に入ってしまって、それがどうしても脳裏に焼き付いてしまう。
特に木製の十字は何処か不気味さに拍車が掛かっていて、これを墓場や平地で目撃してしまうとのなら即座にその場から退散するかもし法にも引っ掛からなければ破壊して燃やしてしまいたいほどなのであるが、それに比べて物体ではく隙間から溢れる光が形を成しているだけならば別に怖がる必要がないので、別に見てもトラウマがよぎる事もなく、美しい光景として写真や動画を撮ったりして、お守りというかスピリチュアルアイテムのような扱いで大切にアルバムにしまって保管しているのだ。
例えば過去に、端麗な十字の隙間を作った雲からこれまた綺麗な秋空の夕陽の光が差し込み、地を注いでいる光景を目撃した時なんかは、つい気が高揚してしまってその場で暴れてるのかと思われるくらいに燥いでしまっていたのは恥ずかしくも良い思い出として刻まれている程である。
それ程の神々しさが伺える景色で感動できる感性を持たせてくれた神様に感謝を述べながら猛烈な勢いで写真を撮っていた。
この光景が、神が発したご加護でもなければ啓示でもなく、あくまで偶然に形作られた産物であることは納得はしているものの、それでも俺は高度な感性を承った人間という生き物として生きている以上は、人間の知性で構成された人工的だろうが自然的だろうが姿形を得たものに感動し、心が高揚する思量を持った存在としてこれからもこの感動をしていくんだと思うと、本当に人間として生まれてよかったのだと空を眺めながら冷たくも生を感じる秋風を肌で感じ取りながら日々の人生を充実していた…筈だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます