木こりのおじさん

増田朋美

木こりのおじさん

秋が深まり、紅葉が見頃の季節になってきた。そうなると、紅葉を見に行こうと言うことで、多数の観光客が梅ヶ島にやってくる。静岡の橋の端にある、本当に、田舎という表現がピッタリの、この梅ヶ島温泉では、早い時期から、客を確保しておかないと、その年の財源が確保できないと言われる。特に最近では、田舎風の旅館ではなく、洋風ホテルのほうが人気になっていて、ひろ子の勤めている旅館は多くの客を確保できないでいる。

最近はひろ子の勤めている中村旅館も、支配人さんたちや、女将さんたちが、洋風ホテルに建て替えようと計画しているようである。でも、大女将の中村幸子さんは、日本の伝統的な湯治の文化を維持しなければだめだと言って、それに応じない。従業員側としては、はやく決着をつけてもらいたいものだが、、、。

今日も、ひろ子が、またおなじみさんばかりでつまらないなと思っていた頃。突然、中村旅館の固定電話がなった。

「はい、中村旅館でございます。ああ初めてのお客様ですね。え、明日ですか?わかりました。どちらの方ですか?ああ、富士の方なんですね。そういうことなら、ご準備してお待ちいたしております。お名前はえーと、影山様。わかりました。お待ちしています。」

若女将の中村美穂さんは、そう言って電話を切った。

「ご予約どなた?」

幸子さんがそうきくと、

「はい。富士の方だそうで、影山杉三様と、磯野水穂様という、男性二人でいらっしゃるそうです。なんでも、病気の治療のために、こちらに来るそうで。」

美穂さんは、そういった。

「ということは、昔ながらの湯治目的で来てくれるということね。そういうお客様は貴重ですから、大事にしてくださいよ。」

「女将さん、インターネットで予約が入ってます。」

別の仲居が、パソコンの画面を見ながら言った。

「えーとお名前は、望月美和さんという方で、一人息子の望月朗くんという、小学校1年生の男の子を連れています。同じく、精神疾患の治療のために来るそうです。」

「ということは、明日は初めてのお客様が2組も見えるんですね。それでは、粗相のないように、手際よく、おもてなししましょうね。」

幸子さんが、リーダーらしく、中居たちに向かっていった。ひろ子も、初めてのお客なんてどんな方だろうかと、想像を巡らせてしまったのであった。でも、望月美和という女性はどこかで聞いたような名前だ。テレビがない生活してるけど、望月美和の名前は聞いたことがある。

その翌日、中村旅館の前で、介護タクシーが一台止まった。出てきたのは、今どきめずらしい着物を着たお客だった。一人は車椅子に乗っていて、もう一人は、いかにも疲れ切った顔で、なんだか疲労困憊しているような感じの人であった。でも、どこかの外国の俳優さんみたいな美しい顔をしている男性で、とてもきれいな人だった。

「初めまして、僕は影山杉三で、こっちは、親友の磯野水穂さんで、それから、」

車椅子の人がそう言うと、

「あの、ご予約されていますか?」

美穂さんは、そう彼に聞いた。

「予約はしていないけれど、昨日電話したんだけどな?」

車椅子の人は変な顔をした。

「ああ、あの影山様ですね。お二人で来訪されるという。」

「そうだよ。杉ちゃんって言ってね。僕、本名で呼ばれるのは好きじゃないんだよ。今日から、転地療養のためこさせてもらった。じゃあ、よろしくお願いします。」

車椅子に乗った杉ちゃんがそう言うと、

「わかりました。では、影山様は、萩の間へお入りください。」

と、美穂さんはそう言って、ひろ子に杉ちゃんたちを萩の間へ連れて行くように言った。それと同時に、一台の高級車が、中村旅館の前に停車した。

「初めまして。望月です。望月美和と、息子の望月朗です。」

そう言ってやってきたのは、一人の女性と、小さな男の子だった。小さな男の子も、やはり歩行困難なのか、足を引きずって歩いていた。

「到着遅くなりましてすみません。どうしても切れない仕事がありましたので。」

「お前さんが望月美和さんか?」

と、杉ちゃんは言った。

「望月美和さんってあの有名な医者の望月美和さん?」

「ああ、聞いたことありますね。確か、静岡がんセンターでしたっけ。そこに勤めていらっしゃる。」

水穂さんが、すぐそう言った。確かにそのとおりだと思った。新聞でも彼女は大きく取り上げられている。確か、女性でありながら、手術の天才とか、そういう項目が並んでいた気がする。

「ええ、そのとおりです。この度は、朗をよろしくお願います。」

と、美和さんは、そう言って頭を下げた。

「しばらく、こちらでお預かりしていただくことになりますが、なにかあったら、お伝えしていただければ。」

そう言うと、歩くのが不自由そうな朗くんは、よろしくお願いしますと頭を下げた。

「では、望月様は、桜の間に案内させていただきます。桜の間はこちらです。」

別の仲居が、美和さんと朗くんを連れて、桜の間へ連れて行った。杉ちゃんたちが宿泊している萩の間と、ちょうど隣通しであった。杉ちゃんたちも、ひろ子に案内されて、萩の間へ入れてもらった。

夕食の時間は6時であると、ひろ子たちは、お客に連絡を入れて、あとはお客を自由にさせておいた。その間、控室では、萩の間へやってきた、美しい男に、他の仲居たちは、驚いていた。どこかの海外の俳優が偽名を使ってやってきたのではないかとか、療養のためになぜここを選んだのかということばかり喋っていた。それがあまりにうるさいので、美穂さんが、何を喋っているのと叱責したくらいだ。美穂さんは、水穂さんの客室係は、ひろ子にやってもらうといった。一番地味な存在のひろ子が、一番目立つお客の相手をするということになって他の仲居たちは羨ましがっていた。

杉ちゃんたちが、娯楽室へ行ってみると、部屋の隅で小さな男の子が、何もすることがないらしくぼんやりしていた。

「お前さんは、どこから来たんだ?名前はなんていうの?」

杉ちゃんが小さな男の子に声をかけた。杉ちゃんの喋り方はまるでヤクザの親分みたいな喋り方だったので、少年はちょっと怖いなと言う顔をした。

「大丈夫ですよ。決して僕達は悪いようにはしませんから。その年格好からすると、小学生ですね。学校行ってる?」

水穂さんは、優しく聞いた。小さな少年は、ちょっと俯いて、

「僕、望月朗。学校は、行ってない。」

と、答えた。

「そう何だね。それは寂しいでしょうね。お父さんやお母さんには、そのことをちゃんと話してる?」

水穂さんが聞くと、少年は小さくなって首を横に降った。

「何だあ、ちゃんと言わなくちゃだめじゃない。そういうことなら、お前さんの人生がかかってんだから、もっと適した学校に行きたいって、主張しなさいや。」

杉ちゃんがでかい声で言った。

「だって話しても無駄だもん。」

小さな男の子は、そういうのであった。

「無駄って、ちゃんと話さないと、いつまでも放置しておいたら、お前さんの人生、だめになっちゃうよ。それでも良いのか?」

杉ちゃんが言うと、朗くんは、申し訳なさそうに言った。

「わかりました。そういうことなら、今は聞かないでおきましょう。杉ちゃんも、乱暴な喋り方をやめたほうが良いよ。」

水穂さんに言われて、杉ちゃんが言った。

「そういうことなら、僕らと遊ぼうか。決して悪いようにはしないからさ。まあ、ここには娯楽室っていったって、本ばっかりで、ゲームもなにもないけど。そういうことなら、手遊びでもしよう。よし、それじゃあ、木こりのおじさんだ。一緒に歌ってみよう。いくよ。緑の森影に響く歌は、木こりのおじさん精出す音。」

杉ちゃんが、良い声でそう歌うと、朗くんは、ワッと涙をこぼして泣き崩れてしまった。

「どうしたの?なにかわけがあるのかな?」

水穂さんが優しく彼に聞くと、

「木こりのおじさんの歌を歌っただけ何だけどなあ。ほら、ぎーこぎこぎこトーントトントントンって、面白いだろう。」

杉ちゃんは不思議そうに言った。

「ええ、あれはもともとチロル地方の民謡で、ペーターが泉に行くという歌です。木こりのおじさんというタイトルではありません。」

水穂さんが豆知識を披露して慰めるが、朗くんは更に涙をこぼしてしまった。

「僕のパパも本当の木こりのおじさんだった。」

と朗くんは言った。

「は?それは本当か?お前さんのお母ちゃんは、すごい有名な医者だろう?それと木こりのおじさんが結婚したってなったら、本当に格差婚だぞ。」

杉ちゃんがそう言うと、朗くんは声を絞ってなくという表現が適しているように泣き出してしまったので、

「そうなんだね。じゃあ、本当だったんだ。」

水穂さんが静かに言った。

「本当だったんだね。君のお父さんは、木こりのおじさん、つまり、林業をやってたのね。」

水穂さんがそう言うと、朗くんは、小さな声で頷いた。

「それにしても、これは、すごいことだぞ。だって芸能人の癌とか平気で治してるような女が、木こりのおじさんと一緒になったと言うんだったら、それは、大喜利のネタにでもなるんじゃないのか?」

杉ちゃんは、笑い出したくなるように言ったが、

「杉ちゃん、人の事情で笑っちゃいけない。きっと大人の身勝手で、彼もすごく傷付いていると思うよ。」

と、水穂さんが言った。

「それで、その木こりのおじさんとは、今でも仲良くやってるの?」

杉ちゃんが聞くと、

「ううん。もうさようならしちゃった。」

と、朗くんは言った。

「そうなんだねえ。つまるところ離婚したのか。まあ、いろんな芸能人も格差婚は長続きしないって言うが、そういうことだったわけね。」

杉ちゃんがそう言うと、

「そうなの。本当はね。ママが勝手にパパを追い出したの。もう、木こりのおじさんは必要ないから、家を出てっくれって勝手にいったの。それでね、ママは今お仕事行ってるって言うけど、実際のところはそうじゃないんだよ。本当は、ママは、大事な人がいて、その人と会いに行ってるんだ。だから、僕のことは、どうでもいいんだ。だってママが、パパを追い出してここから消しちゃったようなものだから。」

と、朗くんは小さな声で言った。

「消しちゃった?つまり、そういうことか。お前さんのお母ちゃんは、木こりのおじさんと結婚して、お前さんのお母ちゃんになったが、でも、完成が合わず離婚して、木こりのおじさんは自殺に追い込まれたのか。はあ、これはまずいぞ。いくら法的罪には問われないとしてもだよ。これは、ねえ、ちょっとやってることと、実際の生活とあまりにも合致しない。」

杉ちゃんがでかい声でそういった。朗くんは小さな声で、

「僕のせいなの。」

と言った。杉ちゃんがなんでお前さんのせいなんだと聞くと、

「だって、僕が生まれて、僕のことを、いい学校にいかせたかったママと、公立学校で十分というパパが喧嘩して。」

と朗くんは言った。

「そうかそうか。そういうことなら、確かにそう感じてしまっても仕方ないよね。きっと君のせいではないと言っても通用しないでしょう。だけどね、朗くん。君のママもパパも君のことをどうでもいいと思ってそうしたわけではないと、わかってほしいな。きっと、パパもママも、まだ、成長してなかったんだね。そういうことなら、もう少し、おとなになったら、理由がわかってくると思うよ。今は、ゆっくりそのときを待ってようね。」

水穂さんは、静かに、彼に言った。

「大丈夫だよ。今はできなくたって良いんだ。きっと君が、パパやママの事情を聞いて、許してあげられるようになるには、すごい時間がかかると思うけど、きっといつかわかる日が来るから。大丈夫。人間は、そういうふうにできて居る。」

「そうだねえ。きっとそうなれるよ。大丈夫大丈夫。そして、それを乗り越えてやっていけるのが男らしいって言うもんじゃないのか?」

杉ちゃんもそう彼に言った。一方で、朗くんはどこに行ったのかなと探していたひろ子は、杉ちゃんたちと、朗くんが、娯楽室で話しているのを立ち聞きしてしまった。そして、朗くんのお母さんが、林業をしていたお父さんより別の男性ができて、お父さんを自殺に追い込んでしまったことを、聞いてしまった。これは、もし、報道関係のひとにでも話したら、すごいスクープになってしまうかもしれないと思った。

「ごめんください。只今戻りました。急に具合の悪い人が出て、大変でした。朗を長らく待たせてしまってすみません。」

と、お母さんの望月美和さんが、急いで中村旅館に戻ってきた。彼女の相手は、中村美穂さんがした。

「ああ、朗くんなら今、お客さんと一緒です。随分楽しそうに話してますよ。」

美穂さんはそう言って、彼女を娯楽室へ連れて行った。聞こえてきたのは朗くんの泣き声で、それに応じて、水穂さんが、お母さんとお父さんを許してあげようねと慰めてあげているのも聞こえてきた。美和さんが、娯楽室のドアをそっと開けると、銘仙の着物を着た水穂さんが見えたので、

「ちょっと待ってください!あなた、うちの朗をたぶらかして何をするつもりですか!」

と思わず言ってしまった。

「ああ、お母ちゃんが帰ってきたみたいだな。まあ、スキャンダルのことは言わないでおくが、それでも、朗くんには大きなキズを残したことにもなるな!」

と、杉ちゃんがでかい声で言った。

「なんですか、穢多の分際で、あたしたちに声を掛けるなんて。こんなひとと、一緒に止まらせる旅館なんて、大したものじゃありませんね。もうちょっと安全なところに泊まらせてあげたほうが良かったわ。それでは、すぐ行きましょうね!」

美和さんは、そう言って、朗くんを無理やり水穂さんから引き離そうとしたが、それと同時に、水穂さんは咳き込んで倒れ込んでしまった。口元から、赤い朱肉のような液体が漏れてきた。杉ちゃんの方は、あれまあ、こんなところでと呆れた顔をしていたが、

「ママ、おじさん、おじさんを助けて!」

と朗くんが言った。

「何を言ってるの。このひとは、おじさんではなくて、あたしたちが手を出して良い立場じゃないのよ。だから、あなたのことを、誤魔化していったのよ。全てはあなたをたぶらかして、どこかへ連れて行って、慰謝料でも取ろうとかそういうことを考えていたんじゃないの。そういうことなのよ!」

美和さんはそう言っているのであるが、

「そんなことない!おじさんは、僕のことちゃんと見てくれて、ちゃんと話を聞いてくれて、ちゃんと僕に話をしてくれたんだ。そんな大人、僕は初めて見た。だから、おじさんは悪い人じゃない。」

と、朗くんは水穂さんのことをそう説明した。

「だからおじさんを助けて!ママはお医者さんだもの。助けることだってできるよね!」

小さな朗くんはそう言っている。

「望月美和先生。水穂さんを助けてください。」

と、ひろ子は、そう望月美和先生に言った。

「あたし、朗くんの言ってたこと、全部聞いてしまったんです。あなた、林業をやってた男性と結婚したけど、うまくいかなくて離婚して、結局自殺に追い込んだそうですね。そういうこと、聞いてしまったんですから、報道機関に話してしまおうかなと思ってるんですけどね。」

と、ひろ子は、そう言ってしまう。美和先生は、悔しそうに、ひろ子を見たが、ひろ子も、杉ちゃんも、彼女の負けだと言う顔をしていた。美和先生は、小さな声で一言、

「止血薬、持ってるのかしら?」

というと、

「おう!あるとも!」

と杉ちゃんが言った。

「じゃあ私、萩の間から持ってきます!」

ひろ子が言うと、杉ちゃんは、枕元においてあると言った。ひろ子は鉄砲玉のように走って、萩の間に行った。確かに布団の枕元に薬の袋があったので、それを持って戻ってきた。ひろ子は杉ちゃんにそれを渡し、自分は水の入った柄杓を水穂さんに渡した。水穂さんは、咳き込みながら、それを受け取って、薬と一緒に飲み込んだ。そうすると、やっと咳き込むのは収まってくれて、喀血の発作も止まってくれた。

「ああ良かったねえ。それでは横になって休もうぜ。」

杉ちゃんがそう言うと、ひろ子は水穂さんを立たせて急いで萩の間へ戻った。

「まあ、たいしたことないわ。今は、大したことないものだから。そのうち定期的に診察を続けて、薬を飲み続けていたら、きっと良くなるでしょうね。」

美和さんがそう言うと、朗くんは、小さな声で、

「本当は違うんでしょ?」

と、美和さんに言った。

「本当は、あのおじさん、もう助からないんでしょう?だってママがそう言ったよ。そういう身分の人だから助けられないって。」

「まあ、そういうことなのかなあ。同和問題ってそういうもんだからなあ。銘仙の着物を着ているやつはそうなるもんだからなあ。」

杉ちゃんが現状を言うと、

「そうなんだ!僕、本当に申し訳ないことしちゃった。」

と朗くんは、涙をこぼした。

「良いのよ。朗が悪いわけじゃない。身分の低いというひとは、そうやって、あなたのことたぶらかしてるだけなのよ。何も申し訳ないなんて、言わなくてもいいの。あんたは、ちゃんと、ママと一緒にいればいいの。」

美和さんが言うが、

「でもおじさんは、ママのことを許してあげようって言ってくれたんだ。だから、ママがそういったことも、許さなければいけないんだ。僕は、それでもちゃんとする。」

と朗くんは言った。

「でも朗くん。お母さんであっても、ひどいこと言われたんだったら、素直に嫌だって言っていいのよ。それに、同和問題をどうのという方が間違いんだから。」

美穂さんが、朗くんにそういったのであるが、朗くんはなにか考え込むような顔をした。少し考えて、朗くんはこういうのであった。

「僕は、きっと、僕の周りの人達はいい人だって信じてる!」

「そうだねえ。」

と、杉ちゃんもそういったのであった。みんな大きなため息をついた。やがて杉ちゃんが木こりのおじさんの歌を口ずさみ始めた。

「緑の森影に響く歌は、

木こりのおじさん精出す音、、、。」

誰もやめろとは言わなかった。だけど木こりのおじさんのうたは非常に虚しいものを感じさせた。




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木こりのおじさん 増田朋美 @masubuchi4996

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