第18話 そして、お偉いさんが列をなす
地下水道から地上へ出ると、すでに夕方だった。
鉄の扉を開けた瞬間、夕焼けの眩しさに目がくらむ。
だが、それ以上に眩しいものが、目の前で待っていた。
「おお……おおお……!」
水質管理局長、ゲイル氏だ。
彼は俺たちの姿――ではなく、俺たちの後ろから生還した部下、ハンスを見て、駆け寄ってきた。
「ハンス! 無事か! 怪我は!」
「きょ、局長……」
ハンスは恐縮して身を縮めた。
「すみません、俺、泥まみれで……」
「馬鹿者! 泥などどうでもいい! 生きていてよかった……!」
神経質そうに見えた局長が、汚れも気にせずハンスを抱きしめた。
その目には涙が浮かんでいる。
「よかった……勇者に置いていかれたと聞いて、もう駄目かと……」
「こいつらが助けてくれました」
ハンスが俺たちを示す。
「俺のスキルを使って……俺を、ただのゴミ捨て場じゃなくて、案内役にしてくれました」
ゲイル局長は、俺たちに向き直った。
その顔から、朝のような焦燥と、Fランクへの侮りは消えていた。
あるのは、純粋な敬意だ。
「……感謝する。《つぎはぎ亭》の諸君。君たちは、部下の命と、王都の衛生を救ってくれた」
「仕事ですから」
俺は短く答えた。
「それに、ハンスの『痛み』のおかげで、最短ルートで解決できました。彼がいなければ、今頃まだ泥沼で遊んでたでしょう」
「謙遜するな。勇者が逃げ出した場所だぞ」
局長は、ハンカチで目元を拭った。
「君たちの仕事ぶりは、配信で見せてもらった。泥の巨人の核を撃ち抜く魔法。汚れを防ぐポーション。そして何より、部下を見捨てない姿勢……」
局長は、懐から一通の封筒を取り出した。
分厚い羊皮紙に、王家の紋章が入った封蝋がされている。
「これは?」
「推薦状だ。王都の『特別技術顧問』として、君たちを推挙する」
「……顧問?」
ユノが目を丸くする。
「ただの相談所ですよ?」
「ただの相談所が、王都の水源を守ったのだ。文句は言わせん」
局長は断言した。
「勇者よりも、君たちの方がよほど信頼できる。この国には、こういう『泥をかぶれるプロ』が必要だ」
俺の頭の中に、赤い注釈が浮かぶ。
――社会的信用の獲得。
――王都行政機関とのコネクション成立。
――ランク:Fから『特例』へ。
悪くない響きだ。
その時だった。
「おいおい、大げさだな、局長」
場の空気を読まない、軽い声が響いた。
夕日の逆光を背に、キザなポーズで立っている男たちがいた。
輝く鎧。なびくマント。整った顔立ち。
勇者アインと、そのパーティだ。
「勇者……」
ハンスがびくりと震えて、局長の後ろに隠れる。
俺の横で、メイリの手のひらに小さな火花が散った。
「何の用だ」
俺が前に出ると、アインは鼻で笑った。
「いやあ、配信見たぜレオン。お前、まだそんなドブさらいみたいなことやってたのか」
アインは、扇子で鼻をあおぐ仕草をした。
「で、聞いたぜ。あの泥人形、倒したんだって? 礼を言いに来てやったんだよ」
「礼?」
「ああ。俺たちが午前中にあいつを痛めつけて、弱らせておいたからな。おかげでお前らごときでも倒せたんだろ?」
アインは、さも当然という顔で言った。
「だから、その推薦状と報酬の半分は、俺たちがもらうのが筋ってもんだ。美味しいとこだけ持っていくのは良くないぜ、元仲間としてな」
……なるほど。
ここまで清々しいと、怒りを通り越して感心する。
自分の失敗を「弱らせておいた」と変換する脳内補正スキル、ある意味Sランクだ。
ルナが、こっそり魔導具をアインに向けた。
配信はまだ続いている。
「……君は」
口を開いたのは、俺ではなくゲイル局長だった。
局長の声は、氷のように冷たかった。
「アイン殿。君は、地下で何をしたと言った?」
「あ? だから、魔物を弱らせて……」
「嘘をつくな」
局長が一喝した。
「ハンスから聞いている。君たちは魔物と戦ってすらいない。『汚いから』と逃げ出し、動けなくなったハンスを置き去りにした!」
「ちっ、あいつ余計なことを……」
アインが舌打ちする。
「おいおい局長、たかが下っ端一人の言い分を信じるのか? 俺は勇者だぞ? 国を救う英雄だぞ?」
「英雄なら、部下を捨てたりしない!」
局長は一歩も引かなかった。
「君は『汚い』と言って逃げたそうだが……今、君からは香水の匂いしかしないな」
「当たり前だろ、勇者が臭かったら幻滅されるだろ」
「いいや。臭うぞ」
局長は、アインを指差した。
「君からは、腐った根性の匂いがプンプンする。……それに比べて」
局長は、俺たちを見た。
ハンスは泥だらけ。俺たちも、フィオのポーションがあったとはいえ、薄汚れている。
だが、局長は誇らしげに言った。
「彼らは、ドブの中で戦ってきた。だが、その魂は君よりよっぽど清潔だ」
「な……!」
アインの顔が引きつる。
「帰ってくれ。水質管理局は、君のような『不潔な』勇者には仕事を頼まない」
それは、明確な拒絶だった。
王都の役人が、勇者を門前払いにする。前代未聞の事態だ。
「お、俺を追い返すのか!? 王家に言いつけてやるぞ!」
「どうぞご勝手に。私も、今回の件はすべて報告させてもらうつもりだ。『勇者の職場放棄』と『Fランク冒険者の功績』をセットでな」
アインが言葉に詰まる。
周りを見渡せば、いつの間にか野次馬が集まっていた。ルナの配信を見て駆けつけたのか、みんなスマホのような魔導具片手に、アインを冷ややかな目で見ている。
《うわ、ダサ……》
《手柄横取りしようとして失敗してる》
《局長かっこいい》
《勇者、帰れよ》
誰かの魔導具から漏れた音声が、静かな夕暮れに響いた。
「くそっ……覚えてろよレオン!」
アインは顔を真っ赤にして、捨て台詞を吐いて背を向けた。
マントを翻して去っていく背中は、ちっとも英雄らしくはなかった。
「……スッキリしましたね」
ユノが、小さく息を吐いた。
「ああ。物理的に殴るより、よっぽど効いた顔をしてたな」
俺は局長に向き直った。
「助けていただいて、ありがとうございます」
「礼を言うのはこちらだ。……それに、私は事実を言っただけだよ」
局長は、少し照れくさそうに眼鏡を直した。
「さて、報酬の手続きと、今後の『顧問契約』の話をしようか。積もる話もある」
◇
その夜。《つぎはぎ亭》では、ささやかな祝勝会が開かれた。
マルタが差し入れてくれたパンと、おじさんがくれた野菜で、テーブルがいっぱいになる。
「かんぱーい!」
ジュースの杯がぶつかり合う。
ハンスも、すっかりきれいな服に着替えて参加していた。
「本当に、ありがとうございました」
ハンスが、何度も頭を下げる。
「俺、明日からまた管理局で頑張ります。局長が、『お前のスキル用の防護服を開発予算に入れよう』って言ってくれて」
「よかったな。お前のスキルは、使い方次第で王都の守り神になれる」
俺は言った。
「自信を持て。お前は勇者より役に立ったんだ」
「……はい!」
ハンスが、照れくさそうに笑った。
カウンターの隅では、セレスが分厚い封筒の中身を確認していた。
「……今回の報酬、すごいです。勇者への違約金も上乗せされてるので、お店の改装費が出ますよ」
「ミミックたちの食費も確保ですね!」
カナが、テツとガブにパン屑を与えながら喜ぶ。
「あと、これ見てください」
ルナが、光の板を見せてきた。
今日の配信のアーカイブ再生数が、とんでもない桁になっている。
「コメント欄、“ざまぁ”と“神回”で埋まってます。フォロワーも倍増しました」
「一躍、時の人だな」
俺は苦笑した。
窓の外、王都の夜景が見える。
あの中で、勇者アインは今頃、歯ぎしりをしているだろうか。
それとも、まだ自分の非を認められずに、誰かに当たり散らしているだろうか。
どちらにせよ、流れは変わり始めた。
勇者の物語から降ろされた俺たちが、今、王都の真ん中で評価され始めている。
クソスキルだらけのFランク相談所が、国の「顧問」になるなんて、どんな三流小説でも書かない展開だ。
「レオンさん」
ユノが、隣に来て同じ夜景を見上げた。
「ハッピーエンドに、一歩近づきましたね」
「まだプロローグが終わったくらいだろ」
俺は肩をすくめた。
「お偉いさんと繋がったってことは、これからもっと面倒な案件が降ってくるってことだ」
「ふふ。望むところです」
ユノが、悪戯っぽく笑った。
「どんな面倒な依頼でも、私たちが書き換えてあげましょう。……みんなで」
店の中の賑やかな声。
俺は、その騒がしさを心地よく聞きながら、グラスを傾けた。
さあ、次はどこのどいつが、「仕様の穴」を抱えて飛び込んでくるのか。
準備だけは、しておいてやろう。
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