第二話 未来予知
しんと静まった境内で、九朗がページをめくる音だけが聞こえてくる。
「――――つまり君は、お姉さんに訪れる不幸な未来を阻止して改変したい、ということだね」
ぱたりと、九朗が本を閉じて顔を上げる。
「素晴らしい姉妹愛じゃないか。感動したよ」
そう言うわりには見事なまでに完璧な作り笑いだ。
ページをめくっている間、九朗はずっと無表情で、顔を上げた途端作ったような綺麗な笑顔になるのだ。
読めない相手だ。何を考えているのか分からない相手は得意じゃない。
「信じてくださるのですか」
「ああ。これだけこと細かく記されていれば、信じる気にもなる。それに、否定するにしても根拠がないからね」
「根拠?」
「君の見た未来が偽りであると断定できる材料だよ。未来にこれらの出来事が起こらないと証明することは、現時点の僕にはできない」
思わず千里は反論する。
「でも、それなら起こり得るとも言えないわ」
「そう。だから、信じた者勝ちってわけさ」
どうやら九朗は千里の荒唐無稽な話を信じる気になってくれたらしい。
「それに僕は、非科学的な話は好きな方だからね。未来予知に千里眼、霊能力……そういうのって、無いよりあった方が面白いだろう?」
千里はへぇと気の抜けた返事を返した。
自分から未来予知の話をしておきながらだが、千里はそういったものに対しては否定的だ。
けれど、無いよりあった方が面白いというのは、考えたことのなかった視点だった。
「それならば、面白いから話を聞いてくださったのですか?」
九朗が満足してくれるような面白い内容だったとは、あまり思えない。他人の身の上話なんて、好む人はあまりいないだろう。
「それもあるけれど、最初に言っただろう。君があまりにも思い詰めた顔をしているものだから、気になってしまって」
「思い詰めたりなんてしていません」
「自分を地獄に落としたがるような人間が思い詰めていないとは考えられないけれどね。ご家庭の事情に首を突っ込むつもりは無いけれど、君は少々自罰的すぎるのではないかな」
軽やかな口調で、けれど千里の目を見つめて離さず、彼はそう言った。
「自罰的……?」
「だってそうじゃないか。君は自分の意思で悪さをしたわけじゃないのに、罰を受けたがっている。不幸せになりたい人間なんてこの世にはそうそういないよ」
「……いいえ、私と母のせいで姉は不遇な目にあっているのですから、私は不幸になって当然です」
千里がきっぱりと言えば、九朗は肩を竦めてそれ以上追求してこなかった。
「しかし、京矢がお嬢さんに一目惚れというのは面白い話だね。確かにお嬢さんは可愛らしいけれど、あの偏屈で嫌味な男が恋に溺れるなんて、ふっ……!」
自分から場を明るくしようとしたのか知らないが、九朗は途中で吹き出すと、それ以降笑いが堪えきれない様子だ。
「あの?」
「ああ、ダメだ! 想像しただけで面白すぎる。あの偏屈男が一目惚れなんて、面白いに決まってるじゃないか」
「そ、そんなに……?」
佐倉京矢という人物について、千里は未来の姿しか知らない。
人当たりの良い好青年で、未来の千里には穏やかに接してくれていた。
だが、九朗の反応を見るに、今の時代の佐倉京矢は未来とは全く違う性格なのだろう。偏屈男、なんて言って笑っているではないか。
「すまない、馬鹿にしてるわけじゃないんだ。君も奴に会えばすぐ分かるよ」
「園村さんは、佐倉京矢さんとご友人なのですよね」
「そうだね。友人と言えばそうだし、ただの隣人と言えばそうなる。同じ下宿屋に住んでいるんだ」
確かに、最初に佐倉は隣人だと九朗は言っていた。
「御曹司なのに、今は下宿をしていると……」
初めて知った情報だ。
未来で出会った時点では、佐倉京矢は家業である商社の跡取り息子として華やかな暮らしを送っていた。
「小石町の下宿屋だよ。狭いけど、日当たり良好で壁も薄くない。京矢も静かな場所での暮らしが良いと言っていたね」
ここからそう遠くない場所だ。思っていたよりもずっと近くに居たなんて。
先程まで実在するかも分からない人物だったのに、ここまで情報を得られるとは大きな進展だろう。
「良かったら今度会わせてあげようか。会えばお姉さんと結婚させたいと思わなくなるかもしれないけれど」
そう言われて思わず勢いで頷きそうになったものの、すんでのところで千里は止まる。
いきなり会ったところで向こうからしたら赤の他人で、姉と結婚して欲しいなんて言われたところで不快になるだけだろう。
それに、出会ったばかりの九朗にそこまでしてもらう理由がない。
「園村さんが優しいお方なのは分かりましたが……」
「他に目的があるんじゃないかって疑ってるんだろう?」
千里が言うべきか迷っていたのを、九朗は見透かしていた。
「上江大路にある『セイレーンの館』という占い所を知っているかい?」
「いいえ」
唐突な言葉に、千里は首を振る。
上江大路のような繁華街にはたまに出かけることもあるが、千里の性格では占いには興味が向かない。
その占いが今の話に何の関係があるのだろうと思っていれば。
「実はそこでは、『異郷倶楽部』という異能力や様々な神秘にまつわる事象を語る同好会が運営されていてね。僕も会員なんだ」
九朗が言うには、館の主がそういった怪異譚や超常現象などを好む人物で、同好の士が集まっているのだと。
「もちろん、非営利の健全な団体だよ。要は、同じ趣味を持つ仲間が不思議な話を持ち寄って語り合うだけの場所さ」
「ええと、百物語やこっくりさんをするような……?」
千里は首を傾げながら、女学校でいつ頃か流行ったおまじないを思い出す。
同級生から人数合わせで誘われたこともあった。
「そうそう。そういう感じ。いい歳した大人たちが集まってオカルティズムに興じているわけさ」
まさしくそういう人間が義理の父親であるわけだが、九朗の言う通りならば当主が興じている怪しげな団体とは違うのだろうか。
「なんだったか……君のお父上が傾倒している研究団体。『オルペウス』だったかな」
「創造会『オルフォイス』です」
「それだ。僕も小耳に挟んだことはある。近頃は怪しげな団体が乱立してばかりで困ったものだね」
会の名を口にしただけでも、憎しみが抑えきれそうにない。
なんとか表情を元に戻したところで、九朗は学生手帳にさらさらとメモ書きをすると、一枚ちぎって渡してくれた。
「興味があればここへおいで。『セイレーンの館』の住所だ。必ず君の力になると約束しよう」
住所に加え、簡単な地図まで書かれている。
「僕のことが信用出来なくても、この館の主ならきっと君に道を示してくれるだろう」
だから、一度は来てみろということか。
九朗は目的は果たしたと言わんばかりに、手を振りながら去っていく。
(セイレーンの館、ね)
海外の神話に登場する生き物だったか。
美しい歌声で人を惑わす海の怪物とやらだったと、どこかで読んだ覚えがある。
占いなのに客を惑わすような店名なのかとちょっと思ったのは口には出せないけれど。
なんにせよ、今の千里は惑わされている場合では無い。
もし今日の出会いが未来を変える転換点になったとしても、それがどちらに転ぶかは誰にも分からないのだ。
千里の目的は単に姉と御曹司を結婚させることではない。
姉を救い、母と自分を朝霧家から縁を切ることだ。
手段と目的を間違えてはいけない。
(それにしても、小石町ねぇ)
ゆっくりと境内を出て、帰路に着く。
小石町。懐かしい場所だった。
昔、千里は母と小石町のあばら家で暮らしていた。
母の機嫌に振り回されてばかりで、辛い記憶の方が多い日々だった。
何日も帰ってこない母を泣きながら膝を抱えて待っていたこともあった。
家の裏に着いたら、人がいないことを確認して勝手口から静かに上がる。
まるで、他人の家に侵入しているような居心地の悪さ。
朝霧家に来てから千里は時々思うのだ。
叶うなら、あの頃に戻りたいと。
朝霧家のわがままな義妹 雪嶺さとり @mikiponnu
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