竹伐る‐二‐
憂鬱な気分で花の茎切る。穴が開いてしまうのではと思うほどの視線が突き刺さる。花を剣山に刺すと『違う!』と鋭い声が飛ぶ。もう何回目だろうか、甲高い声で色の組み合わせや刺し方が雑だと注意しているが、違いがさっぱり分からない。
目の前に座る骨ばかりのこの女は二言目には『妹君は素晴らしかった。』とのたまっているが、あの子には『母君は素晴らしかった。』と散々言っていたのを知っている。
耳の痛くなるような声を聞き流し、生けていると次の稽古の先生が来たと女中が呼びに来たため逃げるように退室した。
茶道・香道・舞踊・お琴など何度も先生が入れ替わり立ち代わり屋敷を訪れ、稽古をしては帰っていく。誰もかれも注意の後は同じようなことばかり。
たった一日で飽き飽きとした気持ちが私を襲う。
翌日もまた翌日も朝の早い時間から稽古をしていたが、ある程度まで納めるとそれからは全く上達しない。
「お嬢様。全く身が入っておりません。妹君はいつもそれは、それは真剣に学んでおいででしたよ。」
「はい。申し訳ございません。」
「謝るばかりではなく、手を動かしてください。」
耳が痛くるような注意を聞きながら琴を弾くが、抑揚がないとまた怒られる。
先生たちのお叱りに気分が落ち込むが、それよりもあの子が文句の一つも言わずにこなしていたことを自分は何一つできないことが申し訳なくて、胸が痛む。毎晩何かが腹をはい回るような嫌な感覚に眠れずなぜだか涙が止まらない日々が過ぎる。
その日も先生にお叱りを受けながら稽古をしていたが、屋敷内の雰囲気というか空気に違和感を感じた。廊下を行き交う女中たちの足音一つ一つに聞き耳を立ててしまい、先生たちには今まで以上にお叱りと嫌味をもらってしまった。
全く身が入っていない状態に先生が呆れて『今日はここまでにしましょう』と部屋を出て行ってしまったが、そんなことよりもこの違和感の方に興味が向いてしまい部屋の前を通る女中を一人捕まえる。その顔にはありありと『しまった』という表情を浮かべていたが、気にせずに尋ねた。
「ねぇ、今日は騒がしいようだけど何かあるのかしら?」
「お嬢さまはお気になさらず。」
それだけ言うと、頭を下げ逃げるように廊下の向こうへいってしまう。
あちらかと女中たちの行く方へついて行く。
(この先は確か離れしか…。)
辿り着いた離れには女中たちが次々に荷物を運びこんでいる。
夢中になってみていると、背後から声自分を呼ぶ声が耳をかすめた。
「お嬢様。まだお稽古の時間かと思いますがどうしてこちらに?」
振り返ると少し焦ったような表情の女中頭がこちら見ている。
「お稽古の途中だけど先生は出て行ってしまったし、家中が騒がしいようだったから様子を見に来たの。離れにいろいろ運んでいるようだけどお客様でも来るのかしら?」
「お嬢様は気にせずお稽古を続けてください。」
「でも、お客様がいらっしゃるのであれば私もご挨拶しなければならないでしょう?どなたがくるかだけでも…。」
「必要であれば旦那様からご説明があるはずです。今はお部屋にお帰りください。」
背中を押され、急かすようにその場から遠ざけられてしまう。部屋に戻され、襖を占められた。しばらくすると、自習用にと琴が運びこまれ、見張り役であろう誰かが襖の前に座り込んだ気配がする。それほどまでに私に見せたくないものは何か、気になるがよほど私に見せたくないことだけは確かなようだ。
(仕方ない、おとなしくしていよう。)
この運び込まれた琴の音色が途切れたら襖の前にいる気配が声をかけてくるという寸法だろう。ここまで厳重だと逆に気になるところだが、無理やり聞き出して父上のご機嫌を損ねてしまってはよくない。おとなしく琴に手をかけた。
おとなしくしていたことが功を奏したのか特段咎められることもなく、夕餉を済ませ布団に入るころには襖の向こうにいた見張りはいなくなっている。
このまま寝てしまおうと思ったが、昼間の離れがやはりきになって目が冴えてしまった。布団から出ると、羽織も持たずに襖をそっと開け部屋の周りに誰もいないことを確認して抜け出す。板の冷たさが足裏から体中に駆け巡ったが、気にせず離れに向かう。
周りを警戒しながら歩いていると、進行方向とは違う場所から物音がしていることに気が付いた。物音に導かれるように足が向く。
「旦那様。こちらでございます。」
女中頭が明かりを持ち、父上を先導している。いつもであれば寝ているはずの父上が廊下にいるということは、今晩のお客様は只者ではないはずだ。もしかしたら明日ご挨拶をするかもしれない。『ご挨拶の時に失礼があってはいけない』という義務感を言い訳に父上の後を追った。
辿り着いたのは裏口だ。数人の女中たちが並び、父上と女中頭も門の前に立っていた。
顔が心なしか強張り、震えているような女中頭とは対極にじっと門を見つめている父上は微動だにせず、その表情も変化はない。
ゆっくりと裏口の門が開いた。周囲を警戒してか、扉の片方だけが開きまず入ってきたのは父上の忠臣である旗本の男だった。父上の願いを忠実に叶える彼のことを父上が出迎えるのはわかるが、こんな夜更けにやってくる理由がない。すると、彼は足元に提灯を下げると敷居を照らした。そこにそっと下駄がおろされる。側にいた女中が手を差し出した。そこにそっと添えられた手は、皺もなくわかい女性のものだった。足を踏みしめ、敷居をまたいで門をくぐる。提灯が持ち上がり、本当のお客様が照らされた。
黒曜石のような艶やかな髪が提灯の明かりを受けて輝いていた。視線を足元に置いていたため伏せられていた瞼が持ち上がると、その瞳はまっすぐと正面を射抜いており、背筋を一直線に伸ばし凛とした佇まいで静かに歩を進める。その姿は月から降りてきたように神々しいものだった。
女中頭を先頭にして一行は屋敷の中に入っていく。門に残り、荷物を運び入れている女中たちに気づかれぬように後を追う。予想通り、たどり着いたのはあの離れだった。彼女はそのまま離れに入り、旗本の男と父上は何やら言葉を交わしている。彼女の正体が気になり、身を乗り出そうと片足に体重をかけたところで、床板が大きく軋み二人が即座に視線をこちらに走らせた。気づかれたことに恐怖が襲い、足が動かなくなる。父に怒られる想像が頭の中を支配し、膝の力も抜け落ち気が付けば廊下に座り込んでいた。
急に目の前が強い光で照らされる。自分の前に汚れ一つない足袋を履いた足があることに気が付く。生唾を飲み込みながら顔を持ち上げると、いつもより数段深く眉間の皺を刻んだ父上が立っていた。旗本の男は刀に手をかけ予想外だと言わんばかりに私を凝視している。
「こんな夜更けにこのような場所で何をしている。厠からは遠かろう。」
「も…申し訳ございません。物音がしたものですから、賊であったら大変だと様子を見に来たのでございます。父上で安心いたしました。」
自分の浅はかな好奇心を悟られぬよう、一生懸命に口角を上げて父上から視線を逸らさぬようつま先で床を掴むように力を込めた。
「そうか、それは心配をさせたな。見ての通り客人だ。」
「はい、そのようで。」
「わかったのであればさっさと部屋に戻れ。大奥に入る大切な身である自覚が薄いのではないか?あれのように病にでもなって死んではかなわん。おい!」
父上は離れのほうへ声をかけ、女中頭を呼びつけ顎をしゃくると彼女は私にようやく気が付いたようで、驚いた後近くの若い女中を一人呼び寄せ私に付き添わせた。
部屋まで戻ると女中は私が布団に入るところを確認して出て行く。
布団をそっと口元まで引き上げ、瞼を下すと先ほどの光景を思い出す。彼女の月から降りてきたかぐや姫のごとく美しい姿が瞼の裏に浮かんだ。
彼女の姿を思うと、胸が締め付けあれるような痛みに襲われる。そして、自分の吐息が徐々に荒くなるのを感じた。
気が付けば、閉じた瞼の向こう側から陽の光が差し込む。重たくなった瞼をどうにかこじ開け、体を持ち上げる。ちょうど襖の向こうから声をかけられた。
いつもの女中が部屋に入り着替えを行う。髪を整えていると女中頭がやってきて父上が呼んでいると声をかけた。
昨晩のことであろうとあたりをつけるが、あの美しい彼女についての説明か、真夜中に部屋を抜け出してしまったことに対するお咎めか。
彼女のことを知れるかもしれないという喜びと、父上の叱られるかもしれないという怯えの入り混じるなんとも気持ちの悪い感情で腹のあたりがずくりと重くなり、胸のあたりに石ころのようなものが入り込む感覚に足取り重く、父上の部屋に向かう。
父上の部屋に入ると、いつもの位置に母上はおらず、部屋の隅にはあの美しい彼女がひっそりと置かれていた。
その姿は、美しい工芸品のようだった。夜のように美しい真っ黒な髪、陶器のようなすべらかな肌に桜のような唇どこをとっても『美』という言葉が相応しい。
彼女の視線は私に向いており、その瞳と交わった瞬間彼女はその桜をゆっくりと押し上げて、私に笑いかけたのだ。顔に熱が集まるのを感じる。熱くそれでいて心地の良い熱だった。それと同時に胸のあたりが波打つように何かが蠢いている。
「お前を呼んだのは、この者をお前の側仕えにするためだ。」
「側仕えでございますか?」
「そうだ。大奥に上がる者たちの多くは側仕えを伴うのが慣例であるため、こちらで選定した。」
「彼女は見たところ女中ではないようですが?」
私の疑問に父上は『よくわかったな』と言わんばかりに笑うと、肘置きに体を預けると手招きをして近くに寄るように私を呼ぶ。
「良いか、よく聞け。あれはな、お前の代わりに将軍の子を身ごもるための胎だ。」
「胎にございますか?でも嫁ぐのは私で将軍の子を産むというお役目は私のものでは?」
「あぁ。そうなるのは望ましいが、お前は将軍よりも年増であるからな、万が一ということもあろう。それに聞いておるぞ、稽古に全く身が入っていないとか。」
「それは、その…。」
「まぁ良い。将軍のお眼鏡に適わなかったとき、あの者が将軍の子を産む。そしてその子はお前の子として将軍にお見せするのだ。よいな。」
「それは、将軍への虚偽になるのでは?」
「そうならぬよう取り計らうのはお前の仕事だ。」
父上の目は鋭く、反論は許さないとばかりにこちらを見つめている。じわりといつの間にか握っていた掌は水が湧き出ているかの如く濡れていた。
「承知いたしました。精一杯努めます。」
私の返答に満足そうに頷くと、退室の許しを出す。
部屋から退室すると、彼女も一緒に部屋から出てきた。そして、私の部屋まで一緒に戻ると、そのまま部屋の中まで入ってくる。
私の目の前で三つ指をつくと深々と頭を下げた。
「本日より、末永くお世話になります。どうぞ良しなに。」
顔を少し上げ、私を見上げるその視線に何かが体を這い上がる。一瞬全身が震えた。
「ええ。末永く、よろしく。」
花魁道中~若竹~ 桶谷 雨恭 @ok_ukyou
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