第1話 ユマちゃんとテスト勉強


「……はっ!」


 ユマは、机に伏していた体を、あわてて起こした。

 寝ぼけ眼で周りを見ると、推しのポスターに、お気に入りのぬいぐるみが視界に入る。

 いつもの可愛い自分の部屋だ。

 口から少しだけ、よだれが出ていたので、袖口で拭う。


「……寝ちゃってた!」


 ユマは高校二年生。そろそろ進路を真剣に考えなければならない時期だ。

 部活もバイトもやっていないのに成績は危うく、今回のテストは本気でやばい。

 学校から帰ってきて、制服のまま机に向かって意気込んだ。

 夕飯も親におにぎりを頼んで部屋まで持ってきてもらったくらいだ。やる気だけはあったのだ。しかし、腹ごしらえをした後に寝てしまったらしい。

 頭の下になっていたノートを見ると、見事に真っ白だ。

 数学の参考書は、開いてあるだけだった。


「ヤバ……全然できてない」


 意味もなく、参考書をパラパラとめくる。

 めくっているだけで、なんとなく「やった」気になってくる。

 

「誰か助けて〜〜」


 スマホの時計を見ると、すでに夜の11時。

 友人に助けを求めるには遅い時間だった。


「って言っても、 もうこんな時間…………寝るか!」


 ユマは、潔く諦めてベッドへダイブした。 

 その時──。


  ──カサッ


 視界の端で、何かが動いたような気がした。


「ん?」


 顔を上げるが、目の前は自室の薄ピンクの壁。


「気のせいか……」


 もう一度、布団に顔をうずめるが、やはり気配を感じ顔を上げる。

 

  ──カサカサッ


 ベッドと壁の隙間から覗く、二本の触角。

 壁を這うそれは、胴体が黒く光る六本足の生物──Gだった。


「きゃあああああああああああっっ‼︎」


 悲鳴が家全体を揺らす。

 その声を聞いた双子の兄、ショウとリョウがドアを蹴破る勢いで飛び込んできた。

 

「どうした!?」

「お兄ちゃん! で、で、でで、出たーーーーーーーー!!!!」


 ユマは思わず涙目で兄たちに飛びついた。


「出たって、オバケでも出たか?」

「いや、違うだろ。3日くらい溜まってたって──」

「ちゃうわボケ!! 誰がそっちの事情話してんねん!!」


 兄たちのおとぼけに、ユマは思わずケリを入れて関西弁でツッコんでいた。


「あのアレが出たの!!」

「あのアレ?」

「黒くて、すばやいヤツ!」

「ああ、なんだゴ────」

「「言うなーーーーっ!!」」


 リョウがその禁忌の名を発しかけた瞬間、ユマとショウの声が完全にハモった。

 その単語を口にしたら、もう本当に泣く自信があった。

 

「その名前は禁句!!」

「そうだぞ、コンプライアンスに反する!!」

「いや、どこの法令だよ……」


 ショウの的外れな一言に、リョウは苦笑する。

 

「もう、いいから。 お兄ちゃんたち、やっつけてよ」

「はいはい」


 リョウは呆れながら、ティッシュの箱を手にする。

 作戦開始とばかりに、ショウが切り出した。

 

「で? ヤツ──コードネームGはどこへ行った?」

「多分、ベッドの下に……」

「よし、ショウ、そっちからおびき寄せてくれ。俺が、こっちで討つ」

「了解」


 二人は、それぞれベッドの両端に立ち、息の合った動きを見せる。


(普段は頼りないお兄ちゃんたちだけど、こういう時は助かるなぁ〜)

「リョウ! 行ったぞ!!」

「オッケーぃ!!」


 ティッシュの箱を武器にしていたリョウは、それを黒い物体に目掛けてスパン! と振り下ろす。しかし黒い影はスッと横に滑り、攻撃をかわす。

 

「くっ、外した……!」

「あー、何やってんだよ!」


 リョウの攻撃をかわしたGは、予想外の方向へ走り出した。

 音も立てず一直線にユマへ向かってくる。

 

「ぎゃーっ! こっちくんな!!」

「ユマ!!」

「てやーー!!」


 ユマは、その辺にあった雑誌を手に取り、思い切り振り下ろす。

 ティッシュの箱よりも、スパン!と小気味いい音が部屋に響いた……のだが、勢いがありすぎたのか、雑誌が破れてしまった。

 それを見たリョウが、頭を抱えて絶望する。


「うおーっ、俺の秘蔵書が!!」

「あっ、これ リョウ兄のだったんだ?」


 よく見ると、雑誌はグラビアアイドルが表紙の男性向けのものだった。

 なぜユマの部屋にあったのかは知らない。

 

「それより、Gは!?」


 ショウが状況を戻すように声を上げる。

 三人で部屋の床、壁、ベッドの下……目に入る場所を必死でキョロキョロ探し回るが、どこにも黒い影は見えない。


「……いない!?」

「逃げたか!?」

「でも、どこに?」


 ユマはもう一度部屋の隅々まで見るが、やはりいない。


「い、いない……」


 仕留めた証がないとなれば、まだ安心はできない。

 

「どこ行ったの!?」

「まあ、いなくなったんだし、もういいんじゃない?」


 焦るユマに対して、あっけらかんとリョウが言う。

 

「良くないよ! まだこの部屋にいるって事でしょ!? このままじゃ、寝られないよ!」


 寝ている間に現れたら、ましてや布団の上に来られたら絶望的だ。

 ユマは涙目になって訴えた。

 

「お兄ちゃん……。お兄ちゃんの部屋で寝させて」


 ユマがそう言うと、二人は一瞬固まって、目を大きく開いた。

 

「……どっちの部屋で!?」


 ユマに迫るように、二人同時に叫んだ。

 二人の間に、バチバチと火花が散ったように見えた。

 

「ここは公平にジャンケンと行こうか」

「望むところだ」


 ポキポキと指を鳴らしながら向かい合う双子。

 なんとなく、背景に炎が見える気がする。

 なぜ虫退治より気合いが入っているのか。

 

 その時──なんとなく違和感を覚えた。

 

「……ん?」


 背中がゾクっとする。

 ヤツだ、ヤツがいる。でも、どこに?

 姿は見えないのに気配を感じる。


 太ももの辺りで、何かがもぞりと動いた気がした。


(まさか──)


 サアッと血の気が引く。

 

「す──」

「す?」


 双子の声が重なる。

 言いたくない。認めたくない。

 でも、この恐怖を自分ひとりで抱え込めない。

 勇気を振り絞り、肺いっぱいに空気を吸い込んで──

 

「スカートの中ーーーー!!!!」

「えええええええっ!?!?」

「今助けるぞ!」


 リョウがすかさずスカートの裾をつまんだところを、ショウが引き止める。

 

「いや、妹のスカートを捲るって兄としてどうなの!?」

「馬鹿野郎! このままじゃ、Gにユマの貞操が奪われるぞ!!」

「いや、奪われないからね⁉︎」

 

 リョウがスカートを引っ張るのに、ユマも必死で押さえ込む。

 貞操も大事だが、兄にスカートを捲られるのも嫌だ‼︎

 

「あーもう、アテになんない!」


 覚悟を決めてユマがスカートを振ると、ボトッと音を立てて、黒い悪魔が床に落ちた。


「今だ!!」


 すかさず、リョウが手に持っていたティッシュ箱で攻撃する。

 箱をそーっとどけると、天に召されたGが、いた。

 全身の力が一気に抜ける。

 

「ありがとう、お兄ちゃんたち」

「いや、これくらいどうってことないよ」


 そう言って笑いかけると、兄たちは途端に顔を赤くした。

 単純だなぁ……と思いながらも、ちょっとだけ可愛い。

 しかし、その空気をぶった切るようにショウが唐突に言った。

 

「でも、やっつけちゃったら、さっきの寝る話は?」

「そうだ、ジャンケンだ!」

 

 リョウも思い出したように振り向き、手をグーの形にし始める。

 ……が。

 ユマはベッドの上に立ち腕を組んで、双子を冷たい目で見下ろした。


「……は?」


 仁王立ちで、にっこりと微笑み圧を強める。

 

「何言ってんの? 退治したんだから用済みでしょ」


 ベッドから降りて、二人の背中を押す。

 

「おやすみ、お兄ちゃんたち」

「え、ちょ、まっ──」


 ユマは、問答無用で二人を部屋から追い出し、バタンと扉を閉めた。

 

「ふぅ、これでやっと──」


 寝られる、と思った瞬間、ユマは思い出す。

 

「テスト勉強どうしよ〜〜〜〜!!」

 

 部屋にユマの絶叫が再び響き渡った。

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