太陽が尽きるまで

沙知乃ユリ

太陽が尽きるまで

白い。一面が真っ白だ。何も見えない。いや。白があるんだ。


おや、よく見ると、白の中に灰色の線が毛虫のように動いている。


さらに目をこらす。すると、白と灰色の隙間から建物が見えた。

人も車も見えた。


見渡す限りが白と灰色の濃淡に沈んでいて、町の規模はわからない。

もしかしたら、世界中が町かもしれない。


白と灰色は、町中にある背の高い三角形から溢れ出しているみたいだ。

あれは電波塔なのだろうか。

それとも、もっと別の“何か”なのだろうか。


道路は電波の霧で白く曇り、人々は手探りで信号機を探していた。

どう見ても不便そうなのに、彼らは困った顔をしていない。


眺めていると、あっ。人同士がぶつかった。


ぶつかった二人は、足の小指や肩の一部を欠けさせて、また歩き出した。

今度は車同士が衝突した。

車はタイヤやフロントが壊れたのに、また何事もなかったように走り出した。


大丈夫なのだろうか。

彼らは気にしていないように見える。

けれど、どこか少し痛そうにも見える。


さらに眺めていると、白と灰色は電波塔以外からも生まれることがわかった。

電波や人、車がぶつかると、元よりもさらに大きい白と灰色が生まれ拡散していく。


そうして電波の白と灰色は、どんどん大きく、濃くなっていった。


この町はたぶん、もうずっと前から何も見えていなかったのだろう。

白と灰色は今日も息をして、町をそっと曇らせていた。


そこに生きる彼らは、何も感じていないようだった。


あれ。一箇所だけ、白と灰色の無い空間があるぞ。


町の外れ。小さな窓と煙突がついた、みどりいろの小さな家。

家の脇には、ささやかな畑が佇んでいた。


しゃがんで草むしりをしている人がいる。

泣いているような、笑っているような表情の仮面をつけていた。


目の部分は閉じていて、きっと何も見えていない。

だからなのか、その人は何をするにもゆっくり動いていた。


ゆっくり草を抜き、疲れたら休む。

お腹が空いたらパンを食べ、暗くなったら眠る。

そこだけは、時間がゆっくりと流れていた。


ときどき鳥が飛んできて軒下で休み、

ときどき蜂が来て花粉を運び、

ときどきミミズが畑の土から出てきて、また帰っていく。


あるとき、白と灰色の霧の中から、たまたま人が迷い込んできた。


仮面の人はゆっくりと近づき、水の入った紙コップを差し出した。

迷い人は水を飲み干し、ホッとした様子で座り込んだ。

少しして、迷い人はきょろきょろと周りを見る。

仮面の人を探しているようだ。


いつの間にか仮面の人は家に戻っていた。


諦めて霧へ帰ろうとした迷い人は、立ち上がった。

しかし、一歩が踏み出せない。

そのとき紙コップが震えた。紙コップの底から一本の糸が伸びていた。

糸は、家の中へ続いていた。


迷い人は紙コップを耳元にあてた。

固くなっていた表情が、泣き笑いのようにやわらいでいく。

迷い人は霧の中へ戻っていった。

その歩みは、来たときより少しだけまっすぐだった。


しばらくすると、また別の迷い人が来た。

仮面の人は同じように紙コップを与え、迷い人は霧へ帰る。

それが何度か続くうちに、ある変化が起きた。


仮面の家のまわりに、いつの間にか小さな家が建った。

その周囲には霧がなく、ゆっくり動く人々が暮らしていた。


ときどき紙コップを耳に当てては、声を届け合っていた。


いつの間にか、あの泣き笑いの表情は、

この場所に暮らす人々にとっての“あたりまえ”になっていた。


ここでは、世界の速度だけがそっと変わっていた。


町と霧を、遥か上空から観察する気配があった。

空を越え、大気圏を越え、衛星を越える。


暗黒の空間に銀色の円盤が停止していた。

正確には惑星の自転に同期して移動していた。

内部には二体の銀色の生物。眼球だけをわずかに動かし、念話する。


当該惑星は、電波による支配が九十九パーセント進行。

計画は順調。


しかし、霧が侵入できない空間を確認。

時間を進めても霧は遮断されたまま。

偶然の可能性を棄却。


目視で確認する。


仮面だ。

一点だけ、完全な静寂を保つ領域を同定。


仮説:「仮面の発生を防止すれば、霧の進行が百パーセントに達する」。

同意。時間を巻き戻し、仮面の存在を抹消する。


抹消完了。支配率は百パーセントに達するはず。


早送り。

九十九パーセント。

九十八パーセント。

九十七パーセント。

さらに低下。


仮面を再度視認。

再度抹消。

再度検証。


仮面の再発生を確認。

別個体からの自然発生。


仮説:「仮面が水面下で蔓延している。感染源は不明」。

同意。


仮説:「現状の課題の原因不明。分析不能。修正・対策は不可能」。

同意。


仮説:「計画の継続は無意味」。

同意。


仮説:「仮面の範囲不明。別次元への感染リスクあり。焼却処分が妥当」。

同意。


銀の円盤は惑星の引力を離脱した。

加速し、光速に達する瞬間、黒いカーテンへ滑り込み、消えた。


銀の円盤が去ったあとも、惑星は変わらず回り続けた。


恒星を十回めぐるうち、

電波の霧はさらに濃くなった。


恒星を百回めぐるうち、

人々は霧の中に消えていった。


恒星を千回めぐるうち、

世界は静かに摩耗していった。


糸電話の線は細く伸びていった。


恒星をいくらめぐっても、

焼却処分の日は来なかった。


仮面をかぶった者たちだけが糸電話を伸ばしあい、

静かに声を送り続けた。


太陽が尽きる日まで。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

太陽が尽きるまで 沙知乃ユリ @ririsky-hiratane

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画