第2話

レジィが通話ボタンを押した瞬間、スピーカー越しに気の抜けた声が流れた。


「レジィさー、明日までの提出物ってやった?」


「え?あ~、うん。やったよ~。もうお昼のうちにちゃちゃっと片付けちゃった~」


「まじかぁ……あたし、すっかり忘れてた」


「えぇ~?そうなんですかぁ?わたしは昼間にフブユキ先輩から連絡来て、"深夜に枠取るなら今のうちやった方がいいよ~”って言われたから速攻やったよ~」


「えっ……あの狐、あたしには何にも言ってくれなかったのに!?」


「あははは、マリナ先輩のところには連絡行かなかったんですねぇ~」


そこへ、ひかねが横から口を挟む。

「いや、普通に今やれよ。ギリギリじゃねぇか」


「……あれ?ひかね、いるの?」


「いるよー。ていうか今“配信中”だよ?」


「はい、今ばっちり配信中だよ~♡」


「は゛っ!?えっ?配信中?ちょっ……これ、のってるの!?」


声が一オクターブ跳ね上がる。

レジィは肩を震わせて笑い、ひかねは腕を組んで無言で頷く。

>>(マリナ先輩www)

>>(完全に素の声で草)

>>(深夜の悲鳴が染みわたる)


マリナは慌てて咳払いした。

「えぇ~、あぁ~……んじゃお疲れ~!」


「えぇ~~~切らないでよぉマリナ先輩~♡」


「ほら、せっかく来たんだから話してけよ」


「いやいやいや……こんなの絶対ダメでしょ!?」


レジィが机を指でとん、と叩きながら悪戯っぽく言う。


「大丈夫だよ~、可愛い悲鳴だったし~。ていうか、逃がさないよ?」


「やめ……ほんと忙しいの!提出物しないと!」


「今やってるの?」


「そうそう!」

>>(草草草)

>>(やってて草)

>>(提出物配信)


ひかねが薄く笑う。

「いやそれ、もう詰んでるだろ。もう手遅れだからあきらめよう☆」


「うるさい!まだ間にあう!!」


「あ~、マネちゃん泣いちゃうね~、"あんなに締め切りは守って"って言われてたのにねぇ~」


「ぁ、いゃ、やめて。マネちゃんごめんなさい」


マリナは提出物が間に合わずマネージャーに叱られる未来を想像したのか、声が一段小さくなり、言葉の端々に申し訳なさが滲んだ。


◆    ◆    ◆


「……あのさぁ、配信してるならちょっと一回入りなおしていい?」


「え~?いいけどぉ~?」


「いったん切る!」


通話が途切れ、レジィとひかねが笑いながら顔を見合わせる——数秒後、再度着信音が鳴る。

──そしてマリナの勢いのよすぎる第一声が弾ける。


「沈んだメンタル急速浮上ぉ~↑↑婚期を逃すなロマンス全速前進フルスロットル! 深海マリナですぅっ!」


レジィとひかねは一瞬の沈黙のあと、机に突っ伏す勢いで笑い出した。


「ふふっ……いや……それやり直す意味あった……!?w」


「“なかったことにします”みたいな顔で入ってくるなよ!!」


二人の反応にマリナはむくれ顔だ。


「必要なの!テンション作るのに!」


「あははは、なるほどねぇ~。ルーティンってやつ?」


「あ、そうそう。ルーティンティン」


「……っ、ティンを2回言うなw」


「あははは」

>>(草草草)

>>(ティンティンは駄目だろw)

>>(ティンティンは草)


「そういえばさ、この前みさき先輩とコラボしてたよね?」


レジィが軽い調子で切り出す。


「んー、したした。なんだっけ、ゲーム配信だっけ?」


「えぇ~いいなぁ~。スタジオでも会ったの?」


「いや~?オンラインだったから直接は会ってないよ」

>>(やってたやってた)

>>(そういえばやってた)

>>(復帰後初コラボだったね)


「……なんかねぇ……戻ってきてくれたときさ、ほんと、泣くの堪えたんだよね」

マリナが小さく吐息を混ぜる。


「分かる~。あれは……胸にくるやつ」


レジィの声は、ふっと沈んだ余韻に浸るように細く揺れ、言葉の終わりがそっと溶けていくほど柔らかだった。


「卒業した人が“戻ってくる”って……ほんとは、すっごく大変なことなんだよ」


マリナの声は、いつもの張りのあるテンションよりも少し低く、深夜の空気に馴染むように静かだった。


レジィもひかねも、静かに耳を傾け、小さく頷いた。


「一度離れてさ。生活も環境も気持ちも変わって……

 それでも『またやりたい』って、なかなか言えない。

 言えるとしても、そこに戻る勇気って……ほんとにすごいと思うんだよね」


「だから、ほっしーちゃんが戻ってきてくれたとき……思ったんだよ。

 あぁ……私たちのところに戻る理由を、まだちゃんと持っててくれたんだって」


しんみりとした沈黙がふわりと場を包み、その中でレジィは、かすれた息をそっと震わせるように微笑んだ。


「……ちょっと~、それ反則だよ……そんな言い方されたら泣くって……」


「……そうかもね……軽く言えることじゃないんだよね……」

>>(泣く)

>>(深夜にエモい話やめろ)

>>(みさきが戻ってきて本当に良かった)


ひとしきり余韻が流れたあと、マリナが急にぱっと声を明るくした。

「……っていう話をしてたらさ、提出物ほんとにヤバいの思い出したんだけど」


「あはははは」


しんみりした空気を払しょくするように明るい笑い声が配信から聞こえてくる


「戻るね、もう本当にすぐやらないとマネちゃんに怒られるから!!」


「マリナ先輩、がんばれ~♡」


「わたしも応援しとく。……たぶん無理だろうけど」


「言うな!!」


最後にマリナは、気まずさをごまかすように小さく笑って言った。


「じゃ、戻るわ。提出物……殺す」

>>(提出物に殺意向けるな)

>>(マリナ先輩ファイト)

>>(草草草)



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