第9話

 どうやら叔父はそのまま外へ出掛けてしまったらしい。もしかしたら自分は厄介な姪として嫌われてしまったのかも知れない。仕方なく私は会社に戻ることにする。途中から雨が降り出す。ニュースでは他の地方での大雨情報を流している。このところ毎年のように豪雨災害が(それも全国至る所で)発生している。その都度土砂崩れや河川氾濫等の被害もまた甚大だ。棲みにくい世の中。今、社会がそうなりつつあるのは間違いないだろう。

 それにしても叔父の様子は明らかにおかしかった。在り態に云えばまるで別人のよう。そして私は初めて叔父の孤独を見たような気がする。

 編集室に戻ると私は自分のパソコンに溜まったメールを確認する。中身はほとんど削除するしかないような部類だが、一件だけ気になるものを見つける。

「帰ってきた失踪者の行方」

 思わずメールを開きかけて一度はPCウイルスを疑う。しかし失踪者が戻ってきた事例は今のところ記事にしていない。つまり直接関係者以外は知らないはすなのだ。私はメールを開く。差出人に覚えはない。

「記事を読ませて頂いている同業者の端くれです。私は宮前の失踪事案について独自に調査を進めています。おそらくあなたは帰ってきた失踪者のその後について知りたいと思われているのではないでしょうか。興味深い情報があります。添付した画像をご覧頂き是非当方までご連絡下さい」

 私は躊躇する。やはり危険ではないか。どうやら相手は同業者を騙りつつこちらの出方を探っている向きがある。添付画像はそのエサかも知れない。私は用心しながら一先ず返信を試みる。

「一度お会いしたいと思います。どうすれば良いですか?」

 こちらは敢えて対面を要求する。

 考えてみればそろそろ外部の人間でも気がつくだろう。私は試しにネット検索を行うが、ヒットするのはウチのタウン誌情報ばかり。だとすると相手は一般紙関係ではないと云うことか…。

 私の興味は何気に高まる。相手はこの事案に流行り廃り以外の思惑を持っている。本当に一度会ってみる価値はあるのかも知れない。


「叔父さん、どうしてる?」

「うん、相変わらずよ。今は出掛けてるけど、珍しいわね」

 電話の相手は兄の嫁であり、私の従妹。つまり中学のあの日、一緒に「うつせみ山」へ行くはずだった叔父の一人娘=早苗だ。今は出産を控え実家に戻っている。普段は一緒に森川の家に住んでいるからこうやって電話で話すことはほとんどない(連絡は大抵LINEで済ます)。私の中にあの日の朝のことが思い出される。

「叔父さんにもう少し話を聞きたくてね。この前は結局振られちゃったから」

「何しろはぐらかしの天才だからね。でもチーちゃん、まだ例の失踪事件の事調べるの?」

「どうして?」

「何となく私も深入りするのは良くない気がしてね」

 早苗はそう言って少し笑う。「ほんとに何となく、なんだけど」

「仕方ないよ。こっちも商売だから」

 そう応えながらも私は早苗の感覚を嗤うことができない。「じゃあ、叔父さんによろしく言っといて」

 自分から電話を切る。そこには不義理を重ねながらも、もう一歩も引くことができない私がいる。だが私はこうも感じている。それは裏を返せば出口が見えつつある証拠ではないのか。自分はまさにその奔流に呑まれ、抗いようもなく突き動かされているのだ、と。


 私は様々な人たちに会う。ごく稀に「帰ってきた失踪者」にあたることもある。私はそれこそ意気揚々と会いに行くが、周囲の当事者が言う通り大方本人は「数日間旅行に行っていただけ」の感覚でいる。連れてこられたことに不満を口にする者もいる。私はいささか拍子抜けしながら彼らの話に耳を傾ける。海の話がよく出てくる。山の話も。どうやら「旅行に行っていた」と云うのはあながち脚色でもないらしい。

「誰かと会いましたか?」

「いろんな人と。でも会わなければ良かったな」

「どうして?」

「重みが出てくるから」

「重み?」

「そうすると色々焦点が定まってくるんですよ。帰らなきゃいけない気持ちになってくる。不思議ですけどね」

「それが旅行?」

「そう云うことになりますね」

 或る失踪者は言った。私は訊く。

「もしその出会いがなかったらどうなっていたと思いますか?」

「飛んでいたと思いますね」

「飛ぶ?飛ぶとは?」

「分かりません。ただ口にしただけです」

 一方で周辺の当事者たちの戸惑いもまた様々だ。私は彼らをじっと観察する。どちらかと云うと私の関心はむしろ失踪者本人よりもこの当事者たちに在る。その理由は彼らがまさに私自身に思えるからだ。実社会の片隅において生活を継続することに汲々とし、かと云って自らを変えることには臆病で、それを刺激してくる外界には猜疑心と怖れ、或いは敵意を顕わにするか弱い生き物。それが私たちだ。

 私は最後に失踪者本人に次のような質問をする。

「あなたにとって今は?」

 すると或る者がこう答えた。

「悪くありません。でもいずれ状況はまた変わるでしょう。これは大きな流れなんです。自分はその一部でしかない。そのことが今回よく分かりました」

 私はその言葉に思う。間違いない。この人は何かをその目で見てきたのだ。そして敢えて戻ってきた。失踪は決して只の旅行ではなかったのだ。しかしその何かを語る失踪者はいなかった。彼らはそれに関しては実に注意深く、時に大胆に話題を避けながら話を繋いでいるようだった。私はそれをわざと引き戻すようにして質問をしたが、そうすることで彼らは完全に口を噤んでしまう。結果的に私もその何かについては迂回してインタビューせざるを得なくなった。今、彼らの周辺に見え隠れする迎え人の存在についても同様に。


 辰宮と云う男は意外と小柄な男だ。名刺にはルポライターと書いてあるが、風貌はどちらかと云うと農協の営農指導員のよう。

「だいぶ僕も調べました。そろそろ記事にまとめようと思うんですが、何処か心許ないと云うか、何かが決定的に足りない気がするんです。そこで森川さんにご連絡したと云うわけです」

 辰宮は訥々と、それでいて或る種の圧を発しながら話す。友達がいないタイプだろうと私は想像する。

「果たしてお役に立てるかどうか」

「でもあなたはこうして来た」

「ええ。辰宮さんはどうしてこの件に興味を持たれたんですか?」

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