『 親愛なる隣人 ~ サキガケの力 ~ 』

桂英太郎

第1話

〈 序章 〉

「サキガケ」の力。私がその名を知ったのは小学校高学年の頃だ。当時の私は学校の図書館だけが安息の地であり、一方教室はうすら地獄だった。

 子どもがそのまま大きくなったような担任教師と親の生き様が見え隠れする児童集団は、さながら舵の折れた難破船のようでありながら、その船(なか)においても舳先(へさき)の向け方については小競り合いが絶えなかった。私が悲惨だったのは望む望まざるに関わらずいつの間にかその只中に放り込まれてしまうこと。とどのつまり、そこは当事者が存在しない世にも奇妙なミラーワールド。そんな場所で自我に目覚め始めた私は早くも人生に幻滅を覚えざるを得なかった。そこで出会った未知なる言葉「サキガケ」。私はその存在に長く翻弄されることになる。

 私の名前は森川(もりかわ)千尋(ちひろ)。


 そうは云っても元々教室は社会の縮図と云えるだろう。それに気づかされたのも私が学校の図書館でいろんな本を読んでいたせいだと思う。当時の私は皆がよく読む物語(フィクション)ではなく、どちらかと云うと歴史ものが好みだった。私にとって歴史こそがロマンであり、自分を振り返るに足る格好の教科書だったわけだ。

 だがそんな歴史の書籍を読み漁るにつれ、私は今も変わらない人間社会の暗部に気づかされるようになった。そしてその闇(?)の力によって歴史そのものも実は大きく歪められていることにも。

 中学に上がるとむしろ私はそんな歴史の裏側にこそ真実があると確信し、学校、それから市の図書館、場合によっては県立の資料館にまで足を伸ばすようになった。家は昔から在る旧家で何かとしきたりにうるさい家だったが、私のそんな個人的趣向にはほとんど無関心で、後を継ぐ必要もない私には人生で一番気軽で自由気ままな時期だったと云える。


 中学3年の春。県の資料室で調べ物をしていると見慣れない言葉にぶつかった。それは古代史に関わる文献の中で思い出したかのように記載が散らばっていた。ところがその詳細については書かれておらず、最初読み飛ばしていた私も次第に気になり始めた。そして同時にその「サキガケ」と云う言葉を以前どこかで聞き覚えがあることを思い出していた。

「サキガケ…サキガケ…」

 しかしその先はなかなか思い出せなかった。おぼろげながら思い浮かぶのはそれが一人で本を読んでいる時ではなく、意外にも教室で他の誰かと話をしている情景(シーン)と云うこと。誰だったっけ?いや、そもそもその子と何の話をしてたんだろう?私は自分のぼやけた記憶の筋を辿ろうとするが、そうすればするほど頭に靄がかかっていくようだった。

 仕方なく私は自分でその「サキガケ」の記載を他の文献で探し続けた。そのうち私は悟り始めた。それが何か言葉にできぬもの、或いは言葉にしてはならぬものをどうやら指しているらしいことを。そしてそれに気がついた時、私は不意に思い出した。自分が初めてその言葉を耳にした時のことを。


「そこには綺麗な石があるの。見に行ってみない?」

 そう言って私を誘ったのは、クラスでもあまり評判の良くない加藤(かとう)嘉子(よしこ)と云う名の女の子だった。嘉子はいつもくたびれた格好をしており、痩せて見るからに貧相な女の子だった。小6になって初めて同じクラスになったが、それ以前から名前と顔だけは知っていた。と云うのも嘉子の家は親がとんでもないぐうたらで、度々トラブルを起こし地域でも有名だったからだ。

「私、山で同じようなものを見たことがある」

 私が借りてきたばかりの図鑑を教室で眺めていると、不意に嘉子が声を掛けてきた。そこに掲載されていたのは所謂遺跡物の写真。嘉子はその中の一つを指差していた。私は口を開くのも憚られた。彼女の身体からは何とも云えない異臭が漂っており、開けば思わず「臭い」と言ってしまいそうだったから。私は曖昧な表情で彼女を見た。そして微笑んだ。すると彼女も少し表情を緩め、更に近くまで来て私の本を覗き込んでくる。私は何気にパニックになりかけた。そして周囲に助けを求めようとするが、その時私はすでに自分も教室内で孤立しかけていることを思い出した。6年に上がってからの私はますます読書にのめり込み、自他共に認める「変わり者のお嬢様」キャラに甘んじていたのだ。見ると周りからはこの突発事故への奇異な眼差しが向けられていたが、どうやらそこに救いの手は期待できそうになかった。

 結局私は休みの日に嘉子と待ち合わせ、向陽山=通称「うつせみ山」までピクニックに行く約束をする羽目となった。嘉子は帰り道の途中まで追っかけてきて私に言った。

「そこにはね、サキガケの岩があるのよ」

「?」

 私は一瞬自分が何か別の言葉と聞き違えたのかと思った。サキ…崖?

 どちらにしろ私はそれ以上彼女に尋ねることはしなかった。早く一人になりたい。一人になって嘉子の纏わりつくような存在感から解放されたい。そう思った。ところが嘉子と別れた後でも私の心中は変わらず不穏なままだった。何より経験したことのない刺激(臭い)で脳がオーバーヒートしかけていたのだ。そして私は早くも週末に向かって暗鬱な気持ちを抱え始めていた。


 しかし、結果的にその約束が果たされることはなかった。嘉子が当日の朝現れなかったからだ。連絡もなかった。週が明けた月曜の朝、担任が嘉子の家が引っ越したことを告げた。急なことで皆に挨拶もできないことを嘉子が残念がっていたとも。不審に思った私は一方でやはりホッと胸を撫で下ろしていた。良かった。これでまた一人、思う存分読書に没頭することができる、と。


 そうだ。私は「サキガケ」のことを彼女、加藤嘉子から聞いたのだ…。

 同時に私は嘉子のあの体臭までも思い出していた。饐えたような彼女独特の臭い。それは彼女の薄倖を繕うかのように強烈な存在感を周囲に知らしめていた。思春期初頭の私にはそのことが殊の他裏寂しく思え、またそら怖ろしくもあった。その段階で既に3年近く経っていたが、私はそれらの思いと共に「サキガケ」と云う言葉まで記憶の底深くに置き忘れていたらしい。自分でも引っ張り上げるのに一苦労してしまうほどに。

 早速週末を利用して私は「うつせみ山」まで行ってみることにした。場所自体には特に何らかの謂れがあるようには思えない。普通に市民公園でもあるし、日常的にジョギングやハイキングコースになっているような所だ。私がその話をしていると、たまたま遊びに来ていた従妹が「自分も行きたい」と言い出した。特に反対する理由もないので「じゃあ、一緒に行こう」となった。

 従妹の家は神職だ。昔から私の実家とは付かず離れずの関係にある。なので当時も私たちはほとんど姉妹のような付き合いをしていた。年齢(とし)が近かったせいもある。だが大きくなるにつれ、私たちは自分たちが持つ精神的土壌の違いと云うものをその都度知ることになる。この「うつせみ山」の件もそうだった。

 その日私たちは近くのコンビニの前で待ち合わせて出発する手筈となっていた。ところが約束の時間になっても従妹は現れなかった。当時私たちはまだ携帯電話を持ち合わせておらず、仕方なく従妹の家に電話すると程なく当人が出た。

「ごめん、お父さんが行っちゃダメだって」

「どうして?」

「私も訊いたんだけど、何だか訳分からない事を言って相手にしてくれないの」

 従妹はほとんど泣き出しそうだった。私は従妹の父、「うつせみ神社」の禰宜である叔父の顔を思い出していた。普段はごく普通のオジサンだが、不意に途轍もなく頑固になるところがある不思議な人だった。あの叔父が反対してるんなら仕方がないな。出直すか…。私は緑の受話器を持ったまま胸の内でそう決めかけていた。

「チーちゃんもなるべくなら行かない方が良いって」

 従妹が付け足すように言った。私はそれを聞いて尚不審に思った。叔父は基本私たちに何かを「禁ずる」ことはなかった。たとえ神社に行って境内でイタズラしてもほとんど笑って注意する程度のものだった。その叔父が中学に上がった私たちにわざわざそんなことを言うのは珍しかった。

「何か良くない事でもあるのかしら?」

 私は一応訊いてみた。

「分からないけど、でもそうなのかも知れない」

 従妹はそれで電話を切った。

 私は迷った。そしてあの加藤嘉子のことを思い出していた。突然家族と共に引っ越していった元クラスメート。その彼女から聞いた「サキガケ」と云う言葉。そして私は今、その「サキガケ」と云う存在が気になって仕方なくなっている。そもそもどうして彼女がその存在について知っていたのか。まだ小学生だったのに…。

 とりあえず私は一人で「うつせみ山」に向かうことにした。空は若干の曇り。かえって暑過ぎずに良い。私はコンビニで買い込んだ商品(パン、ジュース、お菓子など)を小さなリュックに詰め、バス停へと向かった。乗り込んだバスはそれなりに混んでいて、私は後ろの席に座り自分も週末の賑わいの一部であることを珍しく楽しんだ。


 結論から言うとその日はごく普通のピクニックとなった。久し振りの「市立うつせみ山公園」は特に目新しいこともなかったが、そこからは宮前の風景が一望でき、籠りがちな私には思わぬ気分転換となった。そして結局「サキガケ」なるものの手掛かりには行き着くことができなかった。

 叔父さんはどうして反対したんだろう?

 それ以降、むしろ私はその事が気になった。一体この山には何があると云うのだろう?そして「サキガケ」の本当の意味とは何なのだろう?

 以後私は高校、大学へと進み、自分なりに歴史の絡みを紐解いてきた。その中で分かってきた事もあれば、余計に闇が深くなったこともある。「サキガケ」においてはまさに後者の方だ。随分専門家の話も聞いてみた。しかし期待した情報は誰からも得られなかった。逆に何故そんな瑣末に拘るのか、そう問い返されることもしばしばだったが、私自身長い間それに答えることができなかった。

 だが今はこう返すことができる。「私は運命に導かれてただ一つのことを追っていただけなのだ」と。ただ一つのこと。そう、「サキガケ」は私にとってそれを追う為のまさに先駆けであったのだ。


 うつせみ神社はすでに代替わりをして今は義兄(実際は従弟)が跡を継いでいる。叔父はあっさりと隠遁生活だ。別に変わったところはない。私はと云えば、今や一族全体の中でも「変わり者」として浮いている存在だ。時折親が見合い話を持ってきて閉口するが、それはそれで親孝行だと観念している。

 これから私が語ることはもしかしたら私の遺書のようなものかも知れない。しかし私はこれを人に読ませようとは思わない。普段からものを書くのを生業としている自分にとって、これは人に読んでもらえる類のものではないと思うから。

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