第7話:監査官は二度ベルを鳴らす(現実への帰還)


「その子が、『バグ』の原因?」


小原(おはら)さんと名乗った黒スーツの女性は、氷のように冷たい瞳で私を見下ろしていた。

その視線には、敵意というよりも、もっと無機質な……まるで壊れた家電を見るような色が混じっている気がした。


「……バグって、なんのこと?」


私が慧吾の袖を握りしめたまま尋ねると、彼女は呆れたように小さく息を吐いた。


「言葉も通じないのね。これだから『未学習』の個体は……」

「小原さん! 彼女の前でその話はやめてください!」


慧吾が私の前に立ちはだかり、彼女の言葉を遮った。

その背中は強張っていて、繋いだ手にはじっとりと嫌な汗が滲んでいる。

慧吾、すごく動揺してる。

やっぱり、この人はただの知り合いじゃない。

「未学習」とか「個体」とか、難しい言葉を使ってマウントを取ってくるあたり、きっとすごく頭のいい、慧吾の元カノに違いないわ!


「工藤くん。あなた、随分と『入れ込んで』いるようね」


小原さんが、コツ、コツ、とヒールの音を響かせて近づいてくる。


「レポートは読ませてもらったわ。出力係数は安定している、と報告があったけれど……実際はどうかしら? 貴官の管理能力、そしてこの茶番じみた『恋人ごっこ』にも、そろそろ限界が来ているんじゃない?」


こいびとごっこ? 茶番? 私の頭の中で、何かがプチンと切れる音がした。


(この人……私たちの愛を、バカにした……?)


「……ちがう」


胸の奥から、熱い塊が込み上げてくる。

嫉妬?

怒り?

それとも、慧吾を奪われるかもしれないという恐怖?

感情の波が抑えきれなくて、私の体温が一気に上昇していくのがわかった。


ジュワッ……。


「……っ!?」


小原さんが驚いて一歩下がった。

私が触れていた慧吾のジャケットの裾から、白い煙が上がっている。

それだけじゃない。

私の背後にあるエントランスの自動ドア。

その強化ガラスの表面が、飴細工のようにぐにゃりと波打ち、ドロリと溶け始めていた。


「ハ、ハグミ! 落ち着け!」


慧吾が血相を変えて振り返る。

彼の顔は真っ青で、まるでこの世の終わりを見たような表情だった。


「だ、だって……慧吾、この人が……!」

「わかってる! わかってるから! この人は……そう、保険の勧誘だ!」

「……え? 保険?」

「そうだ! すごくしつこい勧誘員なんだ! だから俺も困ってたんだよ! な、小原さん!?」


慧吾が必死の形相で小原さんに目配せをする。

小原さんは、溶けかけた自動ドアと、発光し始めた私の髪を見て、こめかみに青筋を浮かべながらも、引きつった笑顔を作った。


「……ええ。そうよ。今日は、新しいプランの……『契約見直し(リセット)』の提案に来ただけ」

「けいやく、みなおし……?」

「そう。でも工藤くんが『今のままでいい』って言うなら、今日は帰るわ」


小原さんは懐から手帳を取り出し、何かを書き込みながら、慧吾に鋭い視線を投げかけた。


「……ただし、一週間後。次の『定期検査』までに改善が見られなければ……」


彼女はそこで言葉を切り、私を見て冷酷に言い放った。


「その時は、強制的に『解約(はいき)』させてもらうわ。……覚悟しておいて」


彼女は踵(きびす)を返すと、逃げるように、けれど威厳を保った足取りで自動ドア(の下半分が溶けて空いた穴)をくぐり抜けていった。


ロビーに静寂が戻る。 残されたのは、焦げ臭い匂いと、へたり込んだ慧吾と私だけ。


「……慧吾」


私は、まだ熱が冷めやらぬ体で彼に抱きついた。


「あの人、帰ったね。……慧吾は、契約しないよね? 私以外のもの(保険)なんて、いらないよね?」


私の体温はまだ高いはずなのに、慧吾は火傷も恐れずに私を抱きしめ返してくれた。

その体は、小刻みに震えていた。


「……ああ。契約なんてしない。俺には、お前だけで手一杯だ……(物理的に)」


最後の方はよく聞こえなかったけれど、慧吾の心臓の音は、さっきまでとは比べ物にならないくらい早かった。

きっと、元カノを追い返して、私への愛を再確認して興奮しているんだ。


「大好き、慧吾。……あついね」

「ああ……頼むから、もう少し冷えてくれ……(切実)」


私は彼の胸に顔を埋めた。

一週間後の「定期検査」?

そんなの、二人の愛を見せつければ楽勝だよね。

私たちは、誰にも引き裂けない「運命の恋人」なんだから。

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