第4話『異界』
『さて、マスター。とりあえずここを出ましょう。いまのマスターに残された時間はそう多くないデスからね』
「時間が、ない?」
いまだ卵の殻を出ようとしないドラゴンの幼体──瞳に浮かぶ銀河の様な煌めきから名付けた【ギンガ】をどうするかと、困り果てていた旺馬は首を傾げる。
『精霊遊戯が開催されるのはいまから半年後デス。それまでに、各陣営は準備をして遊戯に備えるのデス』
「各陣営って、確かそれぞれの大精霊を信奉する国の事だよね? えっと、命の大精霊の国は……」
予め記憶に植え付けられていた知識の中から旺馬は該当するものを探す。
そして、それが命と融和の国【エデン】である事を思いだした。
『まだ端末の機能が万全ではないので、世界地図は表示できませんが、エデンまでの道のりの案内は可能デス。さっそく、エデンの首都エリュシオンへと向かい、準備をしましょう』
「わかった。ところで、なんで半年なんだい? その、僕のお母さんはあまり残された時間がなくて……」
『その点は安心してください。この世界は時の大精霊の力によって、マスターの世界とは違う時間の流れになってます。
こちらでの一ヶ月はマスターの世界の一日程度デスよ。それに、マスターのお母様の命は、命の大精霊様が保証してくれるのデス。
なので、マスターは安心して他の参加者を倒すことだけを考えるデスよ!』
「そうなんだ……うん、わかった。それじゃあ、とりあえずギンガを……」
連れていこう。そう旺馬が口にしようとしたが、先程までそこにあったギンガ(を内包した卵の殻)の姿がない。
ふと視線をさ迷わせると、どうやって動いたのか。ギンガは洞窟内の岩影に隠れてしまっていた。
「はぁ~……これは困ったなぁ。抱えて移動しようにも、さすがにギンガは大きすぎるし」
『困った生き物デスねぇ……ドラゴンは当たりだと思ったのデスが、どうにもハズレのようデスね。あぁ、だから赤いカプセルだったのデスか』
「ドラゴンって、レアなのかい?」
『そうですね、一般的な強さで言えばドラゴンの混じり物である亜竜種といえど、普通の人間であれば束で掛かっても返り討ちにあいます。
それがましてや純竜種であれば、英雄クラス……それこそ、精霊遊戯の参加者でも簡単には倒せない代物デスよ。その卵だとスーパーレアやウルトラレアとも言えるのデス』
「へぇ、英雄がね……って、ちょっと待って!? 他の参加者の人たちって、そんな凄い人なの?」
『勿論デス! 精霊遊戯は世界のあり方を決める重要な戦いデス。あらゆる世界から、代表となる者を連れてくるのですよ。
あ、勿論マスターも凄いのデスよ? 命の大精霊様が直々にお選びになられたのデスから!』
「安心できる部分がない……なんで、僕が選ばれたんだ?」
旺馬は疑問を口にする。
特にこれといって優れたものがなく、誇れるものなどない。ただの中学生である自分が選ばれる要素など、考えれば考えるほどに浮かばないのだ。
そんな旺馬の様子に、ミコトは微笑んで優しく言い聞かせる。
『命の大精霊様は、マスターの心の内……どんな命に対しても、真摯に向き合う姿に心打たれたのです。
マスターの生来の優しさと、お母様に対する生への渇望が、大精霊様をマスターのもとへ導いた。そう仰られていましたよ。
確かにマスター自身の能力は、平凡な子どものそれでしょう。しかし、命の大精霊様の選ぶ基準は決してそういった表の面では測れない部分にあるのデス』
「僕の、内側……」
『そう、マスターの内に秘めるものデス。だから、誇ってください。貴方は、命の大精霊様に選ばれたニンゲンであるということを。
さぁ、さっきも言いましたが時間は待ってくれませんよ! マスターは先程この世界に来ましたが、早い参加者ではすでに二年前くらいからこの世界に来てますからね』
「に、二年!? そんな、差が大きすぎないかい?」
『それは諦めてくださいとしか言えないデスねぇ……参加者の選定は、時には運によるところも大きいのデス。
特に命の大精霊様の場合、人の内面をみて判断します。なので、どうしても他の大精霊よりも参加者の決定が送れてしまうのデス。
でも、大丈夫デス! その分、命を司る大精霊様の力は、他の大精霊を遥かに凌駕するものデスから!』
そう言って胸を張るミコト。
だが、実際はその力で手に入れたギンガは臆病で使い物になりそうにないわけで。
旺馬は吐きたくなったため息を飲み込んで、ミコトに問う。
「移動するのはいいんだけど、ギンガどうするの? このままじゃ、置いていくしかないけど……」
『おぉ、それを置いていくなどとんでもない! ギンガを失えば、あとはマスターに残された道は自力で恐ろしい魔物を屈伏させ、配下にする方法しかないデスが……できます?』
「うん、無理! 僕自身、全然運動とか苦手だし、武術なんてもっての他だからね! 仕方ない……ギンガを抱えていくか」
『大丈夫デスよ、マスター。端末をギンガに翳して、【リターン】と唱えてください』
「リターン……? わかった。【リターン】!」
ギンガへとスマホを翳し、旺馬は呪文を唱えた。するとギンガの体は光輝く粒子の塊となり、そのままスマホの中へと吸いとられていってしまった。
『これでギンガは端末の中に保存されました。この状態であれば、従えている生物を重さや大きさなど関係なく、携帯しておくことができます。
ただし、あくまでもこれは保存する術デス。その状態をそのまま引き継ぐため、怪我や死亡した状態で保存しても、回復などはしません。
回復機能は順次解放される機能の中にあるので、それまでは致命傷は避けて、もし怪我をした場合は手当てをしてあげてください』
「そうなんだ……けど、これでとりあえず移動は大丈夫そうだね。それじゃあ、エデンに向けて出発しようか」
『了解デス! では、まずはこの洞窟から出てすぐにある森を抜けましょう。その後、エデンへと向かう街道があるので、行商の引き車などに乗せて貰うのがいいでしょう』
スマホの画面では、ミコトが簡略化された地図を表示しながら、これからのタスクを載せてくれている。
それを読みつつ、旺馬は洞窟の先……光の方へと歩みを進めていく。
そうしてしばらく歩いていると、だんだんと洞窟の湿った土の臭いの中に、草の爽やかな薫りが混じり始めた。
旺馬は逸る気持ちを押さえながらも歩みの早さをあげ、洞窟の入り口から飛び出した。
眼前に広がるのは、大きな草原であった。
若草が萌え、見たことのない草食動物が闊歩する。
何処までも広がる大きな青空には、何か巨大な鳥なのか、それとも別の生物なのか。
知識にはないものが悠々と飛びまわり、旺馬はいよいよ自分が異世界にやってきたのだと、自覚するのであった。
『どうデスか? はじめて見る、異世界の光景は』
「…………正直に言って良いかい? もう…………さいっこうに凄くワクワクする!!」
命の大精霊に連れられ、母を助けるために異世界に飛び込んだ。
それは使命や義務に似た気持ちであったし、戦いに身を投じることへの不安もあった。
しかし、それでも旺馬も一人の男児。眼前に広がる光景に、胸が踊らないわけがなかった。
『お楽しみのところ、申し訳ないのデスが……これから進む森の中は、あまり安全とはいえないのデス。なので、くれぐれも油断しないようにお願いします』
「別のルートは無いんだよね?」
『他のルートは、少しいまのマスターには厳しいと思われます。もしギンガがマスターを背に乗せて飛べれば、話は違うのデスが……少し難しいデスね』
「仕方ないさ。怯えている子を無理矢理言うこと聞かせたくないもの。少し怖いけど、頑張って森を抜けよう」
そう決意した旺馬は、ミコトのナビに従って森へと足を踏み入れた。
この時旺馬は、『怖い生き物がでても、逃げることに徹していればなんとかなるさ』などと、楽観的な事を考えていた。
都会でしか生きたことのない、本当の野生というものに触れたことのない子どもの考えである。
そんな甘い考えは、一瞬で裏切られる事となった。
◆◆◆
「はぁ、はぁ、はぁ……い、嫌だ! 嫌だっ!!」
必死に森を走る旺馬。その頬や腕には浅い切り傷がいくつもできており、脇腹の辺りには血が滲み、苦悶の表情を浮かべる。
森に入った旺馬は、周囲から聞こえてくる獣の足音や息づかいを、なんとか集中してやり過ごしていた。
これ自体はとても良い事で、そのお陰で強力な肉食獣と顔をあわせずに済み、旺馬は森の出口に歩みを進めていた。
しかし、森の驚異とは何も、獣だけではない。
音もなく近づいてくる蛇や、複眼を光らせ虎視眈々と獲物を狙う虫などもいるのだ。
旺馬は獣にだけ意識を向けすぎて、身を隠していた大木の上から接近する虫型の魔物に気づけなかった。
虫型の魔物は【スレッジビートル】という、小型の肉食生物である。
小型と言えど、体長は30cm~50cmにもなる。日本の常識しか知らない旺馬にとって、その大きさはまさに驚異であり、脅威であった。
スレッジビートルはパッと見では大きなカブトムシの様にも見える。
しかし、顎の部分には肉や骨を砕くための強靭な牙を備えており、また発達した前足の先には獲物を切り裂くための爪がある。
飛行能力も高く、獲物を見つけるとその甲殻の内にある七色の羽を震わせ、猛スピードで迫り来るのだ。
樹上から音もなく旺馬に迫った一匹のスレッジビートルは、そのまま旺馬の頭を貫かんと足を振るった。
しかし、流石にそこまで近づかれれば、旺馬でも気がつくというもの。
寸前でそれを回避し、頬に傷を負いながら地面を転がった。
だが、不幸なことにその先にもスレッジビートルがおり、脇腹を爪で抉られてしまったのだ。
激しい痛みを我慢しながら、それでもなんとか立ち上がった旺馬は震える足に渇を入れ、走り出した。
そんな姿をスレッジビートルは嘲笑うかのように、付かず離れずの距離を保ちながら飛行する。
スレッジビートルは姿形こそ虫ではあるが、知能を持った魔物である。
既に
旺馬の耳に聞こえる羽音は、なんとも不気味な音であった。命を狙う存在が近づいてくるという恐怖。
人生でいままで味わったことのない、真に追い詰められるという状況。
いまにも発狂しそうになるのをなんとか止められたのは、それでも自分には叶えたい願い……待ってくれる人たちの存在であった。
(死にたくない! 死にたくない! 僕はここで、死ねない!!)
生への渇望。
死への恐怖。
二つの感情が混ざりあい、旺馬はふと足を止めた。
「僕は、死ぬわけにはいかないんだ……」
そうして自分の心臓に手を翳した旺馬は、現れたスマホを握りしめる。
「ミコト。ギンガを出す呪文を教えて」
『イエス、マスター。召喚の呪文は──』
旺馬の脳内に呪文が浮かび上がり、それを口にする。
「【コール】!!」
握りしめたスマホから、光の粒子が迸る。
それは徐々に集まって形を作り、やがた1つの大きな卵を形作った。
「…………本当に、ごめん」
そして、あろうことか旺馬は、ギンガをそのままに背を向け走り出してしまった。
逃げる獲物をどうするか。いや、それよりもこの目の前に現れた卵をどうするか。
逃げた獲物はあの傷だ、いずれ力尽きるだろう。ならば、いまはこの目の前の獲物だ。
そう考えたスレッジビートル達はその場で地面に降り、ホバリングをしながら様子を見ることに決めた。
だが、現れたその物体──ギンガ入りの卵の殻は、微動だにしない。
スレッジビートルはお互いに目線でやりとりをし、とりあえずその物体を攻撃してみる事に決めた。
一度空中へ再び飛び上がった一体が、滑空しつつ前足の爪で卵へと攻撃を加える。
ギャリっと金属の擦れるような音と共に、卵の殻にはヒビが走る。
それでも動かない卵に、スレッジビートル達はこの獲物は無抵抗だと悟り、次々に突撃を繰り返す。
一体一体の攻撃は、そこまで強烈な物ではない。しかし、それが複数となれば、無抵抗なギンガにとってはたまったものではない。
徐々に崩壊していく殻から、遂にギンガの姿が露になった。
スレッジビートルはその姿を見て、牙をカチカチと合わせ鳴らす。
虫に笑う機能などないが、ギンガの目には獲物を前に笑う悪魔の様に映った。
「……きゅぅ」
だが、まだ生まれたばかりのギンガには、それをやり過ごす術も、打ち払う力もない。
これが仮に、ギンガ以外のただのドラゴンであれば、虫の魔物程度に後れはとらない。
しかし、ギンガは命の大精霊が用意した特別な個体であり、その力を振るう為の大事な鍵は、ギンガを置き去りにして何処かへいってしまったのだ。
カチカチとなる牙の合唱が、まるでギンガを取り囲む嘲笑の渦のようであった。
そして、いよいよ一体のスレッジビートルがその牙をギンガへと向けた、その瞬間。
「いやあああぁぁぁぁッ!!」
突如、その顔面を殴打されたスレッジビートルは、回転しながら吹っ飛んでいき、近くの木に当たって地面に落ちた。
「ごめん、待たせたッ!」
そう言ってスレッジビートル達からギンガを庇うように仁王立ちしたのは、先ほど逃げたはずの旺馬であった。
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