ひよりと さよならのわすれんぼドロップ

樫木佐帆 ks

第1話 ひよりと さよならのわすれんぼドロップ

ひよりは、まいにちびょういんのベッドですごしています。


からだがよわくて、ながいあいだおそとにでていません。




「ねえ、おかあさん。そらって、どんなあじがするの?」




ひよりがそうきいたとき、


おかあさんはすこしだけこまったようにわらいました。




「そらのあじ? うーん……ひよりには、どんなふうに見える?」




「きょうは、バニラアイスみたい。


でも、あめのひはソーダのグミになるの」




おかあさんは、なにもいわずにひよりのあたまをなでました。


そのてはやさしくてあたたかいけれど、


どこかとおくにいるようなかんじがしました。







ひよりのへやのまどからは、


おおきなくもがながれていくのがみえます。




そのくもたちは、ときどきケーキに見えました。


ふわふわのしょくパンのうえに、


バタークリームがとろけているみたいなかたち。




「わたし、いつかそらのケーキをたべてみたいな」




ひよりはそうつぶやきながら、


てのひらをまどにあてました。




そとにでることはできないけれど、


そらならいつもひよりのまどのそとにあります。







あるよるのこと。




ひよりはめがさめて、まどのそとをみました。


おそらはまっくらで、


とおくにぽつんとほしがひとつひかっています。




「……あれが、ケーキのライトかな」




なんとなくそうおもって、


まためをとじようとしたそのとき——




カーテンのすきまに、


なにかあおいひかりがうつりました。




「ん……?」




ひよりはそっとからだをおこして、


まどにちかづきました。




そこには、あおいコートをきたふしぎなおとこのこが、


まどのそとにたっていました。




おとこのこはひよりにきづくと、にっこりとほほえんで、


なにかをてにもっていました。




それは、ちいさなまるいふくろ。




「やあ。これ、ひよりにあげるよ」




「……え?」




「“わすれんぼドロップ”。なめると、わすれたいことがすこしあまくなるよ」




ひよりはそのふくろをそっとてにとりました。




からだのなかに、かなしいきもちがあふれてきたとき、


ひよりはひとつだけドロップをなめました。




すると、あまいあじがひろがって、すこしだけかなしいことをわすれられました。




「ありがとう、あおと」




おとこのこはうなずいて、ふくろからもっとたくさんのドロップをとりだしました。




「もっとほしいなら、しょうがないな。これをつかいなよ」




ひよりはあおとからわすれんぼドロップをたくさんもらって、


これでつらいこともすこしずつわすれていけるかもしれない、と思いました。




そうして、ひよりとあおとのふしぎなものがたりがはじまったのでした。



ひよりは、わすれんぼドロップをたくさんもらってから、


つらいことがすこしだけやわらいだようにかんじていました。




でも、からだのいたみはまだつづいていて、


まいにちがんばっていました。




あるひ、あおとがいつものようにまどのそとにあらわれました。




「ひより、きょうはどう?」




ひよりはすこしだけわらって、こたえました。




「まだつらいけど、ドロップをなめるとすこしだけらくになるよ」




あおとはにっこりわらって、ふくろからまたドロップをとりだしました。




「これ、ひよりがほんとうにかなしいときだけつかってね」




ひよりはそれをうけとり、ありがとうといいました。




それからも、あおとはまいにちあらわれて、


ふたりはすこしずつなかよくなっていきました。




でも、ひよりはあおとにききたいことがありました。




「ねえ、あおと……なんでまどのそとにいるの?」




あおとはちょっとだけかおをくもらせて、こたえました。




「ふしぎだよね。でも、ぼくはずっとここにいるんだ」




ひよりはすこしわからなくて、またききました。




「どこに?」




あおとはすこしだけてをあげて、そらをさしました。




「このそらのむこうに」




ひよりはそのとき、あおとのことをもっとしりたいとおもいました。




そして、あおとといっしょに、もっとたくさんのそらのケーキをみつけることをゆめみるのでした。



ひよりは、まいにちのなかで、あおとといっしょにすごすじかんがいちばんたのしくなっていました。


あおとはいつもやさしくて、ひよりの話をよくきいてくれました。




あるひのあさ、ひよりはベッドのうえでゆっくりめをさましました。


からだはまだとてもつかれていたけれど、こころはすこしだけあかるくなっていました。




「ねえ、あおと」ひよりはそっとことばをはなしました。


「あのね、わたし、すこしだけつかれちゃったみたい……」




あおとはやさしくほほえんで、ひよりのてをにぎりました。


「そんなときは、わすれんぼドロップをなめてごらん。きもちがすこしらくになるよ」




ひよりはふくろからドロップをひとつてにとりました。


あまいあじがひろがり、かなしいきもちがすこしやわらぎました。




「ありがとう、あおと」ひよりはふしぎそうにわらいました。


「そらのケーキ、まだたべられないけど、きっとあおととたべられるよね」




あおとはうなずいて、ふたりはまどのそとをながめました。


そらには、ふわふわのくもがながれて、まるでケーキのようにみえました。




「ひより、ぼくはね、ずっといっしょにそらのケーキをみつけたいんだ」




そのことばに、ひよりのこころはぽかぽかとあたたかくなりました。




でも、からだのいたみはまだつづいていて、


ひよりはそのことをおもいだすたびに、すこしせつないきもちになりました。




そんなとき、あおとはいつもそっとそばにいて、


ひよりのかなしいきもちをわすれさせてくれました。




「ひより、ぼくたちがあえるのは、ほんとうにすこしのあいだかもしれない」




あおとはそういったけれど、ひよりはこわくありませんでした。




「だいじょうぶ。わたし、あおとがいるから、ずっとがんばれる」




ふたりはてをにぎりあい、


これからもずっといっしょにいることを、こころにやくそくしました。




そらのむこうにあるケーキをめざして、ふたりのぼうけんはつづいていきました。




あるあさ、ひよりはいつもよりもやわらかく、しかしつよいあめの音にめをさましました。


まどのすきまから、しずくがぽつぽつとおちるのがみえます。ゆっくりとしたあめのリズムが、ひよりのこころにすっとしみこんでいきました。




「きょうはあめだね」




ひよりはやさしいこえでささやきました。からだはまだとてもつかれているけれど、こころのなかにはなにかあたたかいものがわいていました。




あおとはまどのそとで、あおいコートをきらきらとひかせながら、やわらかくほほえみました。




「ひより、あめのひのそらは、まるでソーダのグミみたいなあじがするんだって、いってたね」




ひよりはこくりとうなずきました。




「うん、そう。あめのひは、そらのケーキがちがうあじになるんだ。ふしぎだよね」




ひよりはてをまどにあてて、しずくのながれるそらをじっとみつめました。くもはみえません。あめがそっとそらをうるおしています。




「ねえ、あおと。きょうはすこしだけ、たくさんのわすれんぼドロップをなめたいきぶんなんだ」




あおとはふくろから、そっといくつかのドロップをとりだしました。ひよりにわたすと、ふたりのまわりにやさしいあまいあじがただよいはじめました。




「でも、むりはしないでね。きみのからだは、きみだけのたいせつなものだから」




ひよりはゆっくりとうなずき、ひとつずつドロップをていねいになめていきました。あまいあじがひろがるたび、つらいきもちやかなしいおもいがふわっととけていくようでした。




あおとはそのすがたをながめながら、そっとひよりのてをにぎりました。




「ありがとう、あおと」




ひよりはうつくしいそらのむこうをみつめて、つぶやきました。




「そらのケーキ、まだたべられないけど、きっといつかあおとといっしょにたべられるよね」




あおとはやさしくうなずき、ふたりはしばらくのあいだ、あめの音をききながらそらのむこうをながめていました。




でも、そのよる、ひよりのこころにはふとしたきもちがあらわれました。




『わたしのからだは、いつまでつづくのかな……?』




せつないきもちが、またこころをかさねていきました。




ひよりはそっと、わすれんぼドロップをとりだしました。




あおとはじっとみつめて、そっとやさしくいいました。




「ひより、ぼくはいつでもきみのそばにいるよ。わすれんぼドロップがきみをたすけるなら、ぼくもつきあうよ」




ひよりはすこしだけほっとしました。




そして、ふたりのあいだにあるやさしさは、ゆっくりと、でもしっかりとつながっていきました。




ひよりが、わすれんぼドロップを飲み込んだその晩のこと。




あめはやんで、そらがひっそりと しずまりかえっていました。


まどのむこうでは、みずたまりが きらきら 星のようにひかっています。




ひよりは、ベッドのうえで ひとり じっとしていました。


おかあさんは まだ もどってきません。


おいしゃさんたちも きょうは なにも いわなかった。


あの、こそこそとした せなかのかげ。


すこしずつ、ちいさくなっていく こえのトーン。




「……なにも、きかなくて よかった」




ひよりは、てのひらをぎゅっと にぎりました。


さっき あおとに もらった ドロップは、もう あとふたつだけ。




「ふたりで たべるって やくそくしたのに……」


でも、あおとは どこにもいませんでした。


まどをみても、そらをみても、こえはきこえません。




「いなくなっちゃうの……?」




そのときです。




「そんな顔、ひよりらしくないな」




まどのそとに、ぽん、と おとのようにあおとのこえが あらわれました。


そして、しずかにカーテンがひらいて、あおいコートの おとこのこが たっていました。




「おそかったじゃん……」




ひよりがつぶやくと、あおとは てをあげて こたえました。


「ごめん。ちょっと、ドロップをとりにいってたんだ」


そういって ふくろをさしだすと、ひよりのひたいが すこしだけ うごきました。




「それ……ぜんぶ?」




「うん。ひよりの ぶんも、ぼくの ぶんも。たくさんあるよ」


「でも、いっぱい なめすぎると、たいせつなことまで わすれちゃうからね」




ひよりは、そのことばに すこしだけ とまどいました。


そして、ゆっくりとふくろをひらいて、ひとつ、ドロップをくちにいれました。




つめたくて、あまくて、ちょっとだけ なみだのあじがしました。




「わたし、ほんとうは こわいんだ」




ひよりのこえは ふるえていました。


「このまま いなくなるのが、こわいの。あおとと はなれるのが、こわいの」




あおとは すこしのあいだ なにもいわず、ひよりのそばに よりそいました。


そして、ちいさなこえで つぶやきました。




「ひより、ぼく……」




でも、そのことばは、さいごまでは いきませんでした。


そのよる、ひよりは はじめて あおとのてをにぎったまま、


しずかに ねむりにつきました。




そして、ドロップのふくろのなかには、あとひとつ。


とくべつな いろのドロップが のこっていました。




そのあさ、ひよりは とても しずかなきもちで めをさましました。


あおとのぬくもりは まだ ゆびさきに のこっていて、


ゆめだったのか ほんとうだったのか、わからないまま てのひらをみつめました。




ベッドのとなりには、ちいさなふくろ。


そのなかに、ひかるようにして いっこだけ のこっていたドロップ。




それは、ふつうのと すこしだけ いろがちがっていました。


うすいあおに、しろいすじが すーっと とおっていて、


まるで そらの とおりみちのようでした。




「……これが、“とくべつなやつ”?」




ひよりは そっと くちびるに ちかづけましたが、


なめることは しませんでした。




——これをなめたら、たいせつなことまで ぜんぶ わすれてしまう。




そんな気がしたからです。




そのひの ひるさがり。


ひよりは ベッドにすわって おそとをながめていました。


そらは ひろくて、まぶしくて、しろいくもが ふわふわ うかんでいます。




「きょうのくもは……」


「……チーズスフレかな。ふわふわで、とろけてそう」




つぶやいたとき、カーテンのうごくおとがして——


あおとが、いつものように まどのそとに あらわれました。




でも、ひよりは きょうは わらいませんでした。


ゆっくりと ベッドから おりて、あおとのほうへ あるいていきました。




「ねえ、あおと」




「うん?」




「ほんとうは……あおと、もう、いないんでしょ」




あおとは、くちを つぐみました。


ひよりのめは、まっすぐに あおとを みつめていました。




「わたし、しってた。……たぶん、さいしょから」


「なんでかっていうと、あおとのて、つめたかったもん」


「わたしのて、すごくあついから。……くらべたら、すぐわかっちゃう」




それでも、ひよりは てをさしだしました。


つめたい、だけど やさしいて。


そのてに さわりながら、ひよりは ぽつりと いいました。




「わたしね、あした しゅじゅつなの。うまくいくか わかんないって」




「……そうなんだ」




あおとのこえは、やさしかったけれど、すこしだけ ふるえていました。




「でも、こわくないよ。……いまは」




「どうして?」




ひよりは、ポケットから とくべつなドロップをとりだしました。


ひかるそれを ひかりにかざして、ゆっくりと てのひらにのせました。




「こわくなったら、これを なめることにしたの。あおとのこと、ぜんぶ、わすれちゃうかもしれないけど」




あおとは びっくりしたように、めをみはりました。




「それでいいの?」




「うん。……でも、ぜったい なめないって やくそくはしないよ?」




ひよりは いたずらっぽく ほほえみました。


「だって、それくらい よわくても、いいでしょ?」




あおとは すこし めをとじてから、


ふかく うなずきました。




「うん。……それでいいと思う」




ひよりは それをきいて、そっと とくべつなドロップを


また ふくろのなかに もどしました。




それは、まだ ひよりのこころのなかに


ひかりつづける ちいさなよるの おまもりでした。



しゅじゅつのひの あさ。


ひよりは おかあさんと てをつないで まどのそとを ながめていました。




くもは とても とおくて、


きょうは しずかな ミルクのにおいが そらに ただよっているようでした。




「ねえ、ひより。こわくない?」




おかあさんが そうきくと、


ひよりは すこしだけ かんがえてから、ゆっくり うなずきました。




「ちょっとだけ。……でも、だいじょうぶ。


 こわくなったら、なめるやつが あるから」




ひよりは パジャマのポケットを ちいさく たたきました。


なかには、“とくべつなドロップ”が ひとつだけ はいっています。




それは まだ、つかわれていませんでした。









しんさつしつの てんじょうには、


くうきのあなから ほそく ひかりが さしこんでいて、


ひよりは まぶたを とじたまま、それを そらだと おもいました。




そして、しずかに こころのなかで つぶやきました。




——いま、あおとは どこにいるのかな?




そのときでした。




なにもないはずの せなかごしに、


ひよりは かすかな こえを きいたのです。




「……きたよ」




「……あおと?」




ふりかえると、そこには、


いつもと おなじ、あおいコートの おとこのこが たっていました。




「……きょうなんだね」




「うん」




ふたりは それいじょう ことばをかわさず、


ただ くすりのような においのする しろいへやで、


ひよりは あおとの てを ぎゅっと にぎりました。




そのては、やっぱり つめたかったけど、


ひよりは もう なにも こわくありませんでした。




——そして、しばらくして、すべてが しずかに とまったとき。









めをさますと、そこは ふしぎなくらい ひかりにみちた ばしょでした。


しろくて ふわふわした くもが あしもとに ひろがっていて、


すこしあるくと ふにゃっと あしが うもれました。




「……あれ?」




ひよりは ゆびさきに さわった ちいさなふくろを かたむけました。


なかには、いままで ためていた ドロップが、ぜんぶ はいっていました。




あかいの、きいろいの、しろいの、


そして——さいごに、あおと しろのすじが とおった、


“とくべつなドロップ”。




「……そっか」




ひよりは なにも いわずに、


それらを いっぺんに、くちに いれました。




——あまくて、すこし かなしくて、でも やさしい。




なみだが こぼれそうになったけれど、


それも いっしょに とけていきました。







「ひより、いこう」




あおとが てを さしのべました。




「そらのケーキ、たべに」




ひよりは うなずいて、


ふたりは くものうえを あるきはじめました。




そのさきには、


バニラと チーズスフレが まざったような しろいケーキ。




そして、


ひかるような あまいにおいの そらが、


どこまでも つづいていました。






おわり。







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