第9話 ケロピーの皮手袋

 集会場を出ると、斜めから差し込む光が目に入り、堪らず腕で顔を覆った。遅れて、表通りの喧騒が耳に押し寄せてくる。目が明るさに慣れたころには、さっき来た時よりも、人の熱が強く肌に伝わった。


 捕食菌バクタ―討伐の依頼は正午に北門前。昨日、ヘルナーに背負われながら通った門のことだ。ただ、まだ陽は登りきっていない。


「捕食菌討伐を受けられるなら、道具屋でケロピーの皮手袋を購入された方がいいですよ」


 依頼を受けたとき、アンはそう助言してくれた。

 集合時間まで、マルスは道具屋を探しながら街を散策することにした。だが表通りにはそれらしい店が見つからず、気づけば幅の広い木橋の前に出ていた。対岸には、昨日見た教会のような背の高い建物が見える。


(でもこの辺り全然、人がいないな)


 表通りの人波に比べ、橋の上にはちらほらしかいない。しかも、荷物を運んでいる者ばかり。橋でつながっているのに、大きな隔たりがある。そんな奇妙な感覚を覚えた。


「マルスくーん!」


 対岸側から、聞き覚えのある元気な声が飛んできた。

 上着を羽織った白いワンピース姿の女性が、両手に大きく膨らんだ布袋を提げたままぶんぶんと手を振っている。片方の袋からは葉物野菜が飛び出していた。

 そこへ風が舞い――彼女は慌てて布袋でスカートの正面を押さえ、はにかむ。


(あれって、ミルキー?)


 この町でマルスを知っている人は限られている。なのに、編み込みの入った髪のせいか、服装のせいか、どこか雰囲気が違って見えた。


「あはは、見えちゃった?」


 彼女は布袋でスカートを再度押さえ、舌をペロッと見せた。無邪気な仕草と声の調子で、ようやく彼女が酒場のミルキーだと確信できた。ただし、問いには、「……一瞬だったから」と濁すに留めた。


 葉物野菜が飛び出した布袋を持ちながら中央通りを歩く。

 半ば強引に「道具屋さんの場所を教えるから、近くまで持って!」と、渡された手荷物は想像以上にずっしりしていた。

 

 それ自体は、別に構わない。

 ……だけど、彼女が隣りにいるだけで、一人で歩いていた時には感じなかった視線が、やけに気になった。ただ、ミルキーがそれを感じている様子はない。


「冒険者になれたんだね」

「なんでわかるの?」

春夏しゅんかの時期にケロピーの皮手袋って言ったら、かな。私も捕食菌退治やったことあるし」

「えっ!? 実は冒険者だったり?」


「ちがうちがう」

 ミルキーは笑いながら否定した。


「『火祭りひまつり』っていう大きなお祭りがあってね。その行事の一つなんだよ」


 その目が楽しげにきらめき、言葉が弾む。

 彼女は火祭りの風習を、嬉しそうに語り始めた。


 春から夏にかけて、捕食菌が繁殖する。その日だけは暮らしの安全を祈って、日中から町じゅうに松明の火が灯る。退治を終えたあとは、その火で肉や魚を炙り、皆で囲む――そんな風習だ。


「へぇ……」

「最近は増えてるらしくて、前もって冒険者にやってもらってるみたい。私たちはタダ働きだから冒険者ずるい!」


 ころころ変わる表情を横目に、マルスは気づけばラブランタンの前まで来ていた。


「いやー、助かったよ~!」

「ミルキー??」


 とぼけた顔をする彼女に、マルスは薄目でじとっと抗議を送る。

 さすがに気まずくなったのか、最初からそのつもりだったのかはわからないが、ミルキーは荷物をひょいと奪い取り、「ちょっと待っててね」と店内へ駆け込んでいった。

 やがて戻ってきた彼女が差し出したのは、皮手袋だった。


「はい、ケロピーの皮手袋! 前回使ったお古だけどまだ使えるよ」

「いいの?」


 緑色で、もちっとした質感がある。


「実は食材買いすぎちゃって、マルスくんいてくれて助かった! そのお礼だよ」

「ありがとう! 大事に使う」


 ミルキーが納得したように頷く。手袋が熱や傷に弱いこと、裏通りに道具屋があることも教えてくれた。


「うん、それじゃあ今夜もラブランタンをよろしくね~!」


 そう言われたら、今夜も泊まらざるを得ない。もちろん朝食セット付だ。『冒険者ずるい』以上に、ミルキーずるい。いや上手い。今の自分には真似できないやり口だと、感心するしかなかった。


   ◇ ◇ ◇


(実は石材なんじゃないか……)


 表通りの屋台で買った10Gのパンをガリガリと噛み砕きながら、マルスは北門へ向かう坂道を登っていた。緩い傾斜だからか、脚よりも顎の疲れの方が気になってくる。

 気分転換に後ろを振り返ると、昨日の夜には見えなかった街の全景が見えた。


(そうだったんだ)


 橋の上で覚えた違和感の正体が、ようやく形を持つ。北と南を繋ぐ大きな橋を境に、遠目だからこそわかる〝差〟が、はっきりと浮かび上がっていた。

 畑や木造の建物が並ぶ北側に対して、南側は色とりどりの屋根が連なり、頑丈そうな壁と堀でぐるりと囲まれている。そこだけ、ひとつ別の〝豊かな世界〟のように見えた。


(なんだろう……綺麗すぎる気もする)


 少し土煙があっても、北側の方がマルスにとってずっと身近に感じた。きっと、村を出る前とは正反対の感想だろう。それだけ神々の楽園チュートリアルの暮らしは豊かだった。でも、生まれ故郷がとても遠いところにあるからか、今は南側が非現実的な場所に見えてならない。


 地に足を着けた今の暮らしの方が本物――。


 〝イケナイ〟と、頭の中で警鐘が鳴り響く。マルスが、マリウスを呑み込もうとしている。固いと思っていた信念も、いったん噛み砕いてしまえば、ただの糧になって消えていく。どちらも自分のはずなのに。


 本当の自分なんて、どこにもいないのかもしれない。

 ――そこで考えるのをやめた。


 不格好な石門を前にする。あらためて見ても、急造というには古く、整備もされていない。まるで門など必要ないかのような扱いだ。


(少し早かったのかな?)


 他の冒険者の姿はまだない。集合場所を間違えたのかと、わずかに不安になる。すると、北門を潜り抜けた先から、体格のよい男が歩いてくるのが見えた。


(あの人は……)


 目が合うと、男ははっとした表情で駆け寄ってきた。無精髭を生やした中年の男。彼の名は受付で聞いた気もするが、思い出せない。昨夜のヘルナーではない方の門番の男だ。


「君は昨日の……なにをしにここへ? 冒険者ギルドには言っておいたが」


 視線を合わせるように男がしゃがむ。マルスは「行ったけどダメだった」と首を横に振った。


「そうか……ったくあの堅物め」


 彼はそれだけ呟き、肩を落とした。こうなることがわかっていたのかもしれない。


「今も、ちらっと周りを見てきたんだがな。特に変わりはなかった。まあ、何かあったら俺がギルドに伝えるから心配するなよ」

「ありがとう――でも」


(やっぱり、このままじゃダメだ)


 はっきり伝えるべきだ。してもらえることに期待して、子どものように待って、勝手に裏切られた気持ちになってしまう。勇気を持つなら今だ。


「自分の足で見つけるって決めたから、もう大丈夫です」


 革袋から認識票を取り出し、彼に見せた。男は目を見開き、降参するみたいに手を挙げて笑った。


「君は冒険者になったのか……! ははは、こりゃ参った」


 差し出された手を、マルスは取る。安心感のある固く分厚い手だった。痛いくらいの熱い握手を交わす。今度は――マルスが先に名乗った。


「錫級のマルスです。捕食菌退治に来ました」

「俺はバートン。これから頑張れよ、新人ルーキーのマルス」


 彼の目尻が緩む。前を向いたマルスを後押しするような、そんな優しさと期待の入り混じった笑みだった。何気ない名乗りのはずが照れくさい。でも、父から大人として認められたときと同じくらい嬉しかった。


「さてと、帰るかな」


 彼は肩を落とし、ふぅと長い息をつく。


「バートンさん、ありがとう!」

「ははは、またな」


 大きく背伸びをしながら、ゆっくりとした足取りで帰っていった。


 ほどなくして、冒険者たちが北門前に集まりだす。マルスは握手の余韻が残る右手を握り直し、初めての依頼の始まりを静かに待った。

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