第15話 終わりを待てるか
汗が、ぽたりと地面に落ちる。
そのたびに松明の火が大きく揺らめいた。
滑り落ちそうになったのは、もう何度目かもわからない。
しかも、それを支えているのは一人ではない。ダイ、アイカ、シシド――三人がかりで押さえているにもかかわらず、だ。
地面に散らばるそれらは、赤、青、黄色と、無数の色で床を埋めている。まるで洞窟の底に、毒々しい宝石だけをばら撒いたみたいだった。
「おい、いつになったら終わるんだよ……!」
「わかんないよ。でも――」
「握るだけだ」
火を手放した瞬間、触手は一斉に襲いかかってくるだろう。
松明の炎はじりじりと小さくなり、残された時間を目に見える形で削っていた。マルスたちは、目前まで迫った死に、かろうじて抗っていた。
「最後まで絶対に手放すな!!」
バルデナードの一喝が飛ぶ。
彼自身は、いつ牙を剥いてくるかわからない触手に備えて大剣を構えていた。松明を支える役割まで担えば、前線が崩れる。それは誰の目にも明らかだった。
(クソ……)
どくん、どくん、と心臓が脈打つたび、焼けた腕まで脈に合わせて疼いた。
熱は引かない。むしろ皮膚の下で膨れ、行き場を探すみたいにじわじわと広がっていく。
マルスは苦悶に顔を歪めた。
もう立っているのもやっとで、今は腰を落とし、三人の必死の抵抗を見守ることしかできない。
「……私は意識を失っていたのか」
横たわっていたヴァーゼル卿が目を開く。
土に汚れた白いローブを払うこともせず、彼女はすぐに顔を上げ、この異様な光景を見つめる。
そして――ダイ、アイカ、シシド。三人はやり切った。
松明の火が油の染み込んでいない柄の部分まで達し、ふっと消える。
持つ意味を失った木の棒が、三人の手から離れてゆっくりと床へ落ちた。とん、……ととん。乾いた音だけが、洞窟の奥へ細く響いていく。
触手はその落ちた松明に追従し、ぴたりと止まった。
マルスはごくりと唾を飲み込む。
本当はそんな音ひとつ立てたくなかった。目だけを動かして周囲を見る。皆も同じように固まっている。バルデナードは今にも大剣を振り下ろせる構えのまま、しかし踏み込まず、鋭い眼光だけを獲物へ向けていた。
火の音すらない。本当の静寂だった。
やがて、泉の中央でさざ波のように揺れていた
水面は再び静まり、そこには来たときと同じ、澄んだ泉だけが残される。
「た、助かった……の?」
アイカが小声でそう漏らす。
「いいか。一秒でも早くここから出ることを考えろ」
撤退だ。
そう理解した瞬間、張りつめていたものが少しだけ緩み、腕の激痛がいっそう鮮明になって押し寄せてきた。脚はまだ動くはずなのに、立ち上がることすらできそうにない。
「僕、しばらく……無理かも」
「チッ、荷物以下になりたくなかったら寝てろ」
吐き捨てるようなその一言を最後に、マルスの意識は一転して闇へ沈んだ。
◇ ◇ ◇
……。
見慣れてはいない。
だが、見たことのある天井だった。
鼻をくすぐるのは湿った水の匂いではなく、乾いた木の匂いと、かすかな香の残り香。
マルスははっとして体を起こそうとし、腕に力を込めた――次の瞬間、焼けつくような激痛が走った。
「いッ!?」
思わず息が詰まる。
起き上がるのを諦め、震える腕を持ち上げる。肘から先、指先まで包帯が幾重にも巻かれていた。
そこでようやく、これは回帰ではないのだと理解する。
(ここは……教会?)
「まだ動かしちゃダメだよ!」
「ふぁーあ……ようやく起きたな」
顔を向けると、アイカの顔がずいぶん近かった。
その向こうで、ダイが大きな欠伸を噛み殺している。シシドは壁に背を預け、腕を組んだままこちらを見ていた。
それだけで、胸の奥に張りつめていたものが少し緩んだ。
「あ、あの後どうなったの?」
「特に何事もなかった。……まあ、だから全員こうして帰ってこられたんだけどな」
ダイの返事はどこか歯切れが悪かった。
話を聞くと、シシドがマルスを背負い、途中までダイとアイカがヴァーゼル卿を支えながら下山したらしい。帰り道では、あれだけ群れていた
「ヴァーゼルさんに会ったら礼くらい言っとけよ。結構なお布施、払ってくれたんだぜ」
ここが教会なのもそのおかげらしい。
腕の痛みが引くまでは、まだ数日はかかるだろうと告げられていた。
「あと、他にはなんて言ってたっけ?」
「『
「そうそう! 今、冒険者ギルド、人でいっぱいなんだから」
その言葉にマルスはようやく深く息を吐いた。
討伐隊。
それだけの規模で動くなら、きっと終息へ向かうだろう。少なくとも自分たちだけで抱え込む話ではなくなった。
「でも、俺らには参加資格すらないけどな~」
ダイが無理に口角だけを上げて言う。
軽く流したような口ぶりなのに、その悔しさだけは隠しきれていなかった。
「何言ってんのよ。もうグールもキングバクターもお腹いっぱい……」
アイカもすぐに返したが、声の勢いは最後まで続かなかった。
みなの顔に同じような影が差す。力不足。バルデナードが最後に言った『お荷物』と吐き捨てられた言葉が蘇る。
(……何も、僕らが戦う必要なんてない)
そう思う。討伐隊が組まれるなら、なおさらだ。
なのにこの釈然としなさはなんだろうか。火祭りと捕食菌、汚染された鉄、食人鬼。どれも無関係とは思えないのに、まだ一本の線には繋がっていない。
「あっ、そうそう! ロロが『待ってる』ってさ」
「はぁ……終わったって伝えたぜ?」
「俺やアイカの言うことも聞かなくてな~」
ララーナ冒険隊でここにいないのはロロだけだった。
汚染された魔物に備えるための解毒薬。もう無駄になるかもしれないと伝えられても、彼女は作業をやめなかったのだろう。
無茶を頼んでしまったという後ろめたさは、もちろんある。けれど、それ以上にマルスの胸に広がったのは不思議な安堵だった。
(やっぱり、まだ終わっていない)
何をすればいいのかはまだわからない。
討伐隊が動けばそれで片がつくのかもしれない。自分たちの出る幕なんて、本当はもうないのかもしれない。
それでもロロが動き続けていることだけは、なぜか正しい気がした。
(早くロロのところに行こう)
その思いとは裏腹に教会の外へ出られるまでには二日を要した。
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