第14話 炙れ、炙れ!!

「クソがっ!」


 バルデナードが背負っていた大剣を横薙ぎに振るう。


 触手をただ切り裂いただけではない。

 その一撃は、その場の空気ごと両断したかのような風圧を生み、幾重にも枝分かれした細い管をまとめて吹き飛ばした。


 壁に叩きつけられた触手は、弾けるように粘液を散らす。

 どろり、と濁った液が壁面を伝い落ちていった。


「はは、やるじゃないか」

「早く打開策を考えろ!」

「同時進行さ!」


 ヴァーゼル卿の周囲が、今度は赤く明滅した。

 その色を見た瞬間、マルスは直感する。火だ。母がもっとも得意としていた属性だからこそ、見間違えようがなかった。


「"Heat Waveヒートウェイブ"!!」


 頬をかすめたのは、風というより熱そのものだった。

 ヴァーゼル卿の手が向けられた先で、捕食菌の王キングバクターの触手がじゅっと肉の焼けるような音を立てる。熱波の壁が立ち上がり、これ以上の接近を許さない。


「あちちっ」

「みんな! 後ろなら大丈夫だよ!」


 滑り込むようにして、全員がヴァーゼル卿の背後へ集まった。


 焼け爛れた触手は異臭を放ちながら粘液へと変わり、涎のようにぼたぼたと床へ垂れていく。

 けれど、それで終わりではなかった。次の触手、さらに次の触手が、波のように絶え間なく押し寄せてくる。攻撃は止まらない。むしろ、苛烈さを増していくばかりだった。


 ぴしり、と乾いた音がした。


 ヴァーゼル卿の眼鏡に亀裂が走る。


 我慢比べは長く続かない。

 先に限界へ近づいたのは、当然ながら――ヴァーゼル卿だった。


「マナが持たない!!」


 普段はどこか余裕を崩さない彼女の、聞いたことのない切羽詰まった声だった。


 この場でまともに通じる攻撃を与えられるのは、火を扱えるヴァーゼル卿だけ。

 その事実が、かえってマルスの胸を冷やした。


(火……?)


 次の瞬間、ひらめきというより、ほとんど反射で手が動いていた。


(火だ!)


 無いよりはまし、程度の思いつきだった。

 けれど、今はそれにすがるしかない。


 マルスは袋へ手を突っ込み、一本の棒を引き抜いた。

 松明だった。当然ながら、火はついていない。


 松明を握りしめたまま、マルスは腕を精いっぱい伸ばし、ヴァーゼル卿の熱波の前へ踏み込む。


「い"、い"だい"っ」

「馬鹿が! なにやってんだ!」


 バルデナードの怒号は耳に入った。

 だが、気にしている余裕はない。


 熱い、ではなかった。

 皮膚を焼き潰されるような、鋭い痛みだった。


『火で炙れ、焦げつく前が食べごろだ』


 ミラ婆の言葉が脳裏をよぎる。


 皆が魔石灯をつけたとき、忘れたと誤魔化すのではなく、あの時点で松明を出すべきだったのかもしれない。

 そんな後悔が胸をよぎる。けれど、まだ確信はない。


 それでも、このままでは遅かれ早かれ全滅だ。

 縋れるものがあるなら、試さない理由はない。繰り返し地獄を見てきたマルスだからこそ、わずかな可能性にも食らいつかずにはいられなかった。


 灼けていく片腕の先で――松明に、火が灯る。


 次の瞬間、後ろから抱き剥がすような力がかかった。

 マルスの体は熱波の前から強引に引き戻される。振り返ると、シシドと目だけが合った。


 言葉はない。

 けれど、マルスの取った行動に意味があると信じてくれていることだけは、それで十分に伝わった。


「こ、これでどうすりゃいいんだよ!」


 マルスの手から松明が離れる。

 ダイが、奪うようにそれを掴み取ったのだ。


 怖くないはずがない。

 それでも、歯を食いしばった横顔には逃げる色より焦りが濃かった。この場でいちばん自分の不甲斐なさを思い知っていたのは、きっとダイだ。


「ここまでだ……すまない」


 ヴァーゼル卿が膝をつき、熱波が消える。

 熱の壁が消えた途端、ぬるりと触手が前へ滑り出した。


「ダイ! 炙れ!!」


 マルスは叫ぶ。


 ダイは震える手で松明を構え、迫ってきた一本の触手へ火の先を押し当てた。

 さっきまで熱波の陰に隠れていた、ほんの小さな火だ。なのに――捕食菌の王キングバクターの動きが、ぴたりと止まった。


「どうなってやがる……」


 バルデナードが、大剣を振りかぶったまま動きを止める。


 松明の火、その一点へ向かって、無数の触手がじわじわと集まり始めていた。

 ダイの腕は震えている。そこへシシドが横から手を添え、さらにアイカも反対側から支える。


「オレにもやらせろよ」

「私も……!」


 三人の手で支えられた松明の火が、触手の先端をじりじりと炙っていく。


 やがて先端から黒い煙が立ちのぼった。

 狼煙のように細く伸びる煙の下で、触手の先がゆっくりと膨らみ、重たげに垂れ下がっていく。


 次の瞬間、それは吐き出されるようにぼとりと落ちた。


 ――赤色の、色付きの魔石だった。

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