第10話 火の加減

「ごめん、邪魔しちゃったかな?」

「してない」


 ロロが〝迷い子〟だと知ってから、どうにも距離が掴めずにいた。

 前と同じように接すればいい。頭ではそうわかっているのに、どこまで踏み込んでいいのかがわからない。


 言葉を探すほど、かえって口が重くなる。

 その気まずい沈黙を破ったのは、ロロのほうだった。


「……まだ掛かる」

「僕は、ロロを急かしにきたわけじゃないんだ」

「じゃあ何しに?」

「あたしが連れてきたんだよ。路地裏で迷子みたいに突っ立ってたからねぇ」


 そう言って、道具屋の店主――ミラ婆が面白そうに笑う。

 からかわれたようで、マルスは思わず口ごもった。


「……暇なの?」

「え、いや、そんなことないんだけど……」


 否定しかけて、言葉が止まる。


 本当に忙しいのかと問われれば、そうとも言い切れなかった。

 考えなければならないことは山ほどある。ヴァーゼル卿のこと。火祭りまでの残り時間。捕食菌の王キングバクターへの道筋。


 村を救うという最終目標はあっても、そこへ至る道はどれほど先になるのか。まるで見当もつかない。


「考えることばかりで……何から始めればいいのか、わからなくて」


 口にしてみると、ひどく情けない言葉だった。

 当てがあるわけでもない。正解が見えているわけでもない。ただ立ち尽くしていただけだと、自分で認めたような気がした。


「じゃ、手伝って」

「えっ?」


 思わず、間の抜けた声が漏れた。


 ロロは一人でいることを好む。

 少なくとも、マルスにはそう見えていた。作業もひとりで淡々とこなし、誰かを頼るより先に、自分で終わらせてしまうタイプだと。


 だからこそ、その言葉は意外だった。


 ロロは手元から視線を外さないまま、小さく肩をすくめる。


「ぼーっと悩んでるより、手を動かしたほうがマシ」

「……それは、そうかも」

「邪魔しないなら、だけど」


 ぶっきらぼうな言い方だった。

 けれど、それは追い返す声ではなかった。


 もちろん、断る理由なんてない。

 暇ではない。けれど、頭の中を整理する時間は必要だったし、何より――今ここでロロが差し出してくれたものを、無駄にしたくなかった。


「うん、やる。なんでも言って」


 そう答えると、ロロはほんの少しだけ目を上げた。

 気のせいでなければ、わずかに口元が和らいだようにも見えた。


   ◇ ◇ ◇


 作業は、思っていた以上に地道だった。


 乾燥させた薬草を種類ごとに分け、傷んだ葉を取り除く。

 葉脈の太いものは指で裂き、硬い根は小刀で薄く削る。マルスがすり鉢に入れて潰すと、青臭さと苦みの混じった匂いがふわりと立ちのぼった。そこへロロが別の粉を加え、ミラ婆が火にかけた小鍋をかき混ぜる。煎じた液は少しずつ色を変え、濁った緑から深い褐色へ沈んでいった。


 店の奥は、薬草の匂いと湿った熱気で満ちていた。

 ごり、ごり、とすり潰す音。小鍋のふちが小さく鳴る音。ロロが時折つぶやく成分名。ミラ婆の喉の奥で転がるような相づち。それらが重なって、不思議と心が落ち着いていく。


「腹下し薬にしては、随分と大袈裟なもの使うのねぇ」

「……腹下し薬?」

「そうさねぇ。昔は今ほど新鮮なもんが手に入らなかったからね。悪くなりかけた肉やら、水やら、いろんなもんで腹をやられたもんさ」

「汚染って聞いて、ピンときた」


 ロロが少しだけ得意げに胸を張る。

 その顔が年相応に見えて、マルスは少しだけ肩の力が抜けた。


 汚染された鉄。

 腹下し薬。まるで別々の話のはずなのに、どこかで一本の線に繋がっているような気がした。


「捕食菌の王って、わかりますか?」


 すり鉢を押さえたまま、マルスは思い切って尋ねた。


「大層な名だねぇ」


 ミラ婆は鍋をかき混ぜながら、しわくちゃの眉を持ち上げる。

 聞き覚えはなさそうだった。けれど、マルスはそこで引き下がらなかった。


「場所なら、少しわかるんです。山の裂け目みたいに暗い穴があって、その先に丸い泉が――」

「……んん?」


 鍋を混ぜていた手が、ぴたりと止まる。


 ミラ婆はしばらく黙ったまま、店の奥でも、マルスでもなく、もっと遠いどこかを見るように目を細めた。

 皺の奥に沈んだ眼差しが、今この場ではなく、ずっと昔の景色を追っているようだった。


「そりゃあ……昔の火祭りの場所さね」


「火祭りの?」

「今みたいに広場で火を囲って終わり、じゃなかったんだよ。昔は山の奥まで行ってね、捕食菌を討ったのさ。それが祭りの役目であり、土地を守るための儀式でもあった」


 ミラ婆は懐かしむように目を細める。

 遠くを見るその横顔は、さっきまでの飄々とした道具屋の婆さんではなく、長い年月をくぐってきた土地の語り部みたいだった。


「決まり文句もあってねぇ。――『火で炙れ、焦げつく前が食べごろだ』。若い衆はそれを唱えながら火を持って入ったもんさ」

「それって……」

「焼きが足りなきゃ溢れちまう。やりすぎりゃ水が濁る。捕食菌退治は、ただ減らせばいいってもんじゃなかったのさ」


 マルスの手から、すり鉢を回す音が止まった。


「その場所、わかる?!」

「そう慌てるんじゃないよ。こっちはもう記憶頼りな年なんだからねぇ」


 ミラ婆は小さく笑い、それからゆっくりと続けた。


「捕食菌討伐に向かう山道の途中、脇へ逸れる旧道があるはずさ。今じゃ使われちゃいない。獣道みたいになってるかもしれないねぇ」


 洞窟そのものの在処はまだわからない。それでも、夢で見た場所へ向かうための手がかりが、初めて現実の言葉として掴めた気がした。


「私は間に合わせるから」


 ロロが、手を止めずに言った。


 その声は小さい。けれど、不思議なくらい迷いがなかった。


 煎じた薬液を小瓶へ移し替える横顔は真剣で、いつもの無愛想さよりも、ずっと頼もしく見えた。


 ――マルスは、やるべきことをやって。


 そう言われた気がした。

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