第9話 血の匂いを追う男

「学者文字が読めるんだね。なら話は早い」


 ヴァーゼル卿の解説は簡潔で、しかも驚くほどわかりやすかった。


 屍鬼シキ――それは、生物が魔物へと変じたものの総称。

 白骨鬼ワイト腐食鬼ゾンビ食人鬼グール。魔物としての性質は、その順に色濃く、強くなっていくという。


 ただし、どの段階から始まるかは一様ではない。

 死に方や環境、浴びた魔素マナの量、生前の力。そうした条件で変質のしかたは変わり、元が強い存在ほど、魔物になったあとの力にも大きな差が出るらしい。


(……だからか)


 夢で見た、あの監督官。

 人の形を保ちながら、明らかに常軌を逸した強さを持っていた理由が、ようやく腑に落ちた。


 ただの悪い夢だと思いたかった。

 そう思っていたはずなのに、話を聞けば聞くほど、夢の中の光景と現実が不気味に噛み合っていく。


(やっぱ想像なんかじゃない……)


 背筋に冷たいものが走る。


「驚くべきは感染力だよ」


 ヴァーゼル卿が淡々と続ける。


「噛まれただけでも、抵抗力のない者なら魔物化が進む。初期なら理性が残る例もあるけれど、進行すればするほど元には戻りにくい」

「増え始めてからじゃ遅いじゃん」

「そうだね。都市がひとつ、シキの巣窟になった――そんな記録もある」


 ぞくり、とした。

 それは一匹の魔物が厄介、という話ではない。見つけた時には手遅れかもしれない類の脅威だ。


「なんだよ、おもしれぇ話してんじゃねーか!」


 不意に響いた大声に、マルスの肩がびくりと跳ねた。


 振り向かなくてもわかる。

 朝になると高い確率でギルドへ顔を出す大男だ。大きな体も、威圧するような目つきも、遠慮のない物言いも、何もかもが苦手だった。


 案の定、ずしんと床を鳴らすような足取りで近づいてくる。


「バルデナード。君は少し空気を読む癖をつけたほうがいい。少年が怯えてしまっているじゃないか」

「あぁ? こんなんでビビってたら冒険者なんざ務まらねぇだろ」

「な、なんの用ですか?」


 思わず声が上ずる。

 それが余計に情けなくて、マルスは心の中で顔をしかめた。


「ここじゃ最近、バクターだのゴブリンだの、ちっせぇ話しか聞こえてこねぇからな。少しは血の匂いがする話を聞かせろや」


 口調は乱暴だった。

 だが、その目は思っていたより真剣だった。


 マルスはヴァーゼル卿と顔を見合わせる。

 彼女は小さく肩をすくめただけだった。止める気はないらしい。


 仕方なく、マルスは不意に出くわした魔物の討伐と、剣を駄目にした黒い血、汚染された鉄のことをかいつまんで話した。


 最初こそ腕を組んで聞いていたバルデナードだったが、話が進むにつれて、その表情からわずかに粗暴さが消えていく。

 軽口も茶々も入らない。神妙――とまでは言わずとも、少なくとも真面目に聞いていた。


 そして、最後まで聞き終える前に口を挟んだ。


「どこで遭った?」

「山だよ。ゴブリンを倒してたら、変なのがいて」

「詳しい場所は」

「深くまでは行ってないから、正確には……」


 舌打ちがひとつ、低く落ちた。


「チッ……」

 

 眉間に深い皺が刻まれる。

 さっきまでの〝おもしれぇ話〟を楽しんでいたような男の顔ではない。


「今度、討伐に出るのはいつだ?」

「多分、二日後くらいかな」

「俺も連れていけ。その場所まで案内しろ」

「はっ? なんで?」

「その魔物に用がある」

「僕じゃ決められないよ。リーダーでもなんでもないし」

「そいつはどこにいる?」

「ラブランタンだけど……」


 言った瞬間、しまった、と思った。

 つい口が滑った。よりによって、宿まで教えるなんて。


 慌てて言い直そうとしたが、一度出た言葉は戻らない。

 このまま押しかけられたらたまらない、と身構える。


 けれど、バルデナードの足先はラブランタンへ向かなかった。

 大男はギルドの出口でもなく、宿の方角でもなく、その場でわずかに視線を落とした。


「あそこか……ならいい。二日後の朝、ここにいる」

「一緒に行くなんて言ってないからね!」

「ハッ。それを決めるのは、お前じゃなくてリーダーだろ」


 鼻で笑うように言われ、ぐっと言葉に詰まる。

 悔しいが、反論できない。


「彼を連れて行ったほうが安全ではあるかもね」


 ヴァーゼル卿が静かに口を挟んだ。


「えっ」

「少なくとも、この手の話にまるで心当たりがない反応ではなかった。力量もある。危険な場所へ踏み込むなら、頼れる剣は多いほうがいい」

「おい学者、ずいぶん素直に持ち上げるじゃねぇか」

「事実を述べただけさ。勘違いしないでくれ」


 軽口を返しながらも、ヴァーゼル卿の目は笑っていなかった。

 彼女もまた、この件を軽く見ていないのだ。


 マルスは大男を見上げる。

 乱暴で、横柄で、できれば関わりたくない。けれど、その圧の奥にあるものが、単なる好奇心ではないこともなんとなく伝わっていた。


 嫌な予感がする。

 だが同時に、この男がいれば生き残れる確率は上がる――そんな感覚も、拭えなかった。


   ◇ ◇ ◇


 マルスは釈然としない思いを抱えたまま、ギルドを出た。


 表通りには昼のざわめきが広がっている。

 行き交う人々の声、荷車の軋み、どこかの店先から漂う焼けた匂い。町はいつも通りに動いているはずなのに、さっきまで聞いていた話のせいか、その賑わいさえどこか薄っぺらく感じられた。


 息苦しさを振り払うように歩いているうち、いつの間にか人気の少ない細道へ足が向いていた。

 裏通りへ繋がるその路地は、人の声が濁って沈む場所みたいに、暗く口を開けている。


 マルスは何かから逃げるように、その中へ踏み込んだ。


 途端に、騒がしさが遠のく。

 山の陰に隠れた街並みは全体に黒ずみ、昼間だというのに薄暗い。深い森の中と光の量だけは似ていたが、こちらは風が抜けないぶん、よほど息が詰まる。湿気がまとわりつき、生臭さが喉の奥に絡みついて、自然と呼吸が浅くなった。


「そんなところで突っ立ってたら、あんたまで腐っちまうよ。お入り」


 不意にかけられた声に、マルスは肩を跳ねさせた。


 細い路地の脇。

 軒先の影に、背を丸めた老婆が座っている。顔はほとんど皺に埋もれ、首だけをこちらへ向けて笑っていた。その笑みが愛想のいいものなのか、不気味なものなのか、一目では判別できない。


「だ、誰ですか?」

「なんだい、客じゃないのかい。目の前のちんこい店が見えんのかね」


 言われて初めて、マルスは老婆の背後を見た。


 細長い木造の建屋が肩を寄せ合うように並ぶなか、その一軒だけが申し訳程度に看板を掲げていた。だが、板はすっかり色褪せ、文字はほとんど読めない。


 それでも、見覚えがあった。

 たしかミルキーが教えてくれた、『道具屋』のある路地だ。


「道具屋の方ですか?」

「そうさね。ほら、ちゃんと『デイリー』って書いてあるじゃろ」


 老婆は当たり前のように言う。

 けれどマルスの目には、看板の文字を判別できなかった。見えていないものを、昔の記憶で彼女だけが見ている。


 促されるまま、マルスは戸口をくぐった。


 店の中は、外から見た以上に物であふれていた。

 乾燥させた薬草の束、ケロピーの皮で作られた手袋、見たこともない小瓶や金具、用途のわからない道具まで、壁にも棚にも隙間なく吊るされ、積み上げられている。すり鉢のような器には何色ともつかない液体が溜まり、とろりとした表面が鈍く光っていた。


 鼻をつくのは、薬品めいたつんとした匂い。

 けれどその奥に、乾いた草や土のような、妙に落ち着く香りも混じっている。怪しい。怪しいのに、どこか安心できる。そんな不思議な空間だった。


 老婆は番台らしき机の奥へ腰を下ろすと、さっきの器を持ち上げ、慣れた手つきで別の小瓶へ中身を移し替えた。


「でも見ない顔だね。ここは初めてかい?」

「はい」

「見たところ、新米の冒険者だろ。バクター退治なら手袋がいるよ」

「最近はいつもロロ……いや、仲間が使い捨てのやつを持ってきてくれて」

「あら、お嬢ちゃんの仲間かい」

「ロロを知ってるんですか?」

「知ってるともさ。今も奥で必死に作ってるよ。熱心ないい子だよ」


 奥で――?


 そう思った瞬間、店の奥から聞き慣れた声が飛んできた。


「ミラ婆、この成分わからな――」


 そこで言葉が止まる。


 マルスは、ロロと目が合った。

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