第7話 最大の成果
山道には、初夏の匂いが満ちていた。
若葉を揺らす風はまだやわらかいのに、陽射しだけはじわじわと強さを増し、額に汗をにじませる。踏みしめるたび、乾いた土と小石が靴裏で鳴った。
先頭を行くマルスの後ろに、ダイ、アイカ、シシドの三人が続く。
四人分の足音はおおむね揃っていた。
ダイは落ち着きなく辺りを見回し、アイカは口数こそ多いものの声が少し上ずっている。シシドだけが黙ったまま、木々の隙間や足場の悪い場所へ視線を走らせていた。
ロロはいない。汚染された鉄から解毒剤を作るため、町に残った。
「……無理、しないで」
その声が背中に貼りついたまま、マルスは山道へ足を向ける。視界から切れるまで、ロロはその場で立っていた。
たった一人、されど一人。
いつもなら、愚痴や知っていることをぽつりと口にして、みなの肩の力を抜いてくれる。そんな役回りがいないだけで、それぞれの雰囲気はどこか硬かった。
不意に、前方の茂みが揺れた。
――来る。
気配を捉えた瞬間、マルスは地を蹴った。
枝葉を揺らして飛び出してきた小鬼が、醜く口を開く。だが、その喉が鳴るより早く、マルスの小剣は横薙ぎに閃いていた。
刃が肉を裂く、たしかな手応え。
小鬼は悲鳴を上げる暇もなく崩れ落ち、土の上に血を散らした。
討伐は文字通り一瞬で終わる。
「……もう、大丈夫だ」
誰にも聞こえないように呟く。
剣を握ったまま、ほんのわずかに息を吐いた。
あのときのような違和感はなかった。
刃が効いていないような気味の悪い感触。焦りの果てに石ころを投げて倒した情けなさと恐怖。思い出せば今でも指先の奥が冷える。
(今はもう違う)
きちんと手応えがある。倒せる。
安心しきれないのは記憶のせいだろう。
マルスは小剣を握る手に残るわずかな震えに気づき、すぐに握り直した。汗で滑りそうになったからだとでもいうように。
「うわ……速っ」
「いまの見た? 一発じゃん」
「すげえな」
遅れて三人の声が後ろから飛んできた。
振り返ると、ダイが肩をすくめて笑った。
「はは、これじゃ俺ら、ついてきてるだけだぜ」
「強いな……」
「カッコいい! ベテランみたい!」
まっすぐ向けられる称賛にマルスは一瞬だけ目を丸くした。
「そ、そうかな?」
曖昧に答えながらも胸の奥が少しだけくすぐったくなる。
褒められるのは嬉しい。怖さを押し込めて前に出たぶん、その言葉がなおさら染みた。照れ隠しのように頬をかき、視線を逸らす。
けれど、それで終わるわけにはいかなかった。
この先もずっと自分だけが倒し続けるつもりなら、それはパーティーではなく護衛だ。
しかも目指しているのは小鬼退治そのものではない。捕食菌の王へ繋がる道を探すため、もっと山の奥まで進む必要がある。今のうちに三人の動きを見ておかなければ、いざという時に困るのは全員だった。
「ごめん。ちょっと気張っちゃってたかも」
「まあ、そういうことなら許す。……でも俺らにも戦わせてくれよ」
ダイが小剣をくるりと回してみせる。見栄の混じった仕草だったが、怖じ気づいていないだけでも立派だとマルスは思った。
「うん。次は後ろで見る」
マルスは速度を落とし、三人の背中を見る位置へ回った。
次に現れた小鬼は二体だった。
枝を鳴らしながら飛び出した瞬間、マルスは左の一体へ意識を定める。まず一体。早く減らす。そうすれば、三人の動きも見やすくなる。
「来た!」
ダイが声を上げて前へ出る。
マルスもほぼ同時に踏み込み、自分が受け持った小鬼の懐へ潜り込んだ。小剣を逆袈裟に振り抜く。腹を裂かれた小鬼がたたらを踏み、追撃の一閃で喉を断たれて崩れ落ちた。
視線はすぐもう一体へ向ける。
「う、うりゃ……!」
ダイの小剣は勢いのわりに狙いが甘い。肩口を裂きはしたが浅く、体勢まで前に流れている。すぐ次へ繋がらない。
(浅い……!)
マルスが息を詰めた、そのときだった。
「ボサっとすんな」
低い声とともに、シシドが横から踏み込む。
拳が小鬼の脇腹を打ち、体をぶらした。振り上げられた爪が軌道を逸れ、ダイの顔先で空を切る。
「わかってるわよ! え、えいっ!」
今度はアイカが飛び出した。
だがその突きは腰が引けている。貫く覚悟も、足を止める狙いも曖昧なまま、切っ先だけが中途半端に伸びる。
動物と違って、魔物は脅しじゃ止まらない。
しかも踏み込みすぎたせいで、アイカの体は前に残る。腕が伸びきり、戻りが遅い。いま小鬼に振り向かれれば、それだけで危ない。
(駄目だ――!)
アイカへ敵意が向いた瞬間、それはマルスにとって十分な隙だった。
地を蹴り、脇から滑り込む。視界の端でアイカの肩がこわばるのが見えた。小剣を伸ばす。首元へ吸い込まれるように刃が走り、するりと肉を断った。
「"GYUAaa……!"」
悲鳴を上げた小鬼を、シシドが押さえ込む。
その間にダイとアイカが体勢を立て直し、半ば競うように止めを刺した。
「よしっ!」
「さっすがー!」
「うっす!」
三人はぱっと顔を明るくし、勝利の余韻に声を弾ませる。
その輪の少し外で、マルスだけが詰めていた息をそっと吐く。
(危なかった……)
けれど駄目というほどではない。ダイは勢いがある。アイカは怖がりながらも前へ出られる。シシドはちゃんと周りが見えている。噛み合いさえすれば、戦えないわけじゃない。
――ララーナ冒険隊の初陣は、そういう手探りのまま始まった。
そこから先は短い遭遇戦の繰り返しだった。
小鬼が一体なら、まずダイが前へ出た。
勢いのある一撃で体勢を崩し、そこへシシドが間合いを詰めて反撃の芽を潰す。アイカは横から声を張って注意を引き、隙を見ては切っ先を差し込む。ひとりひとりの動きは危なっかしくても、噛み合えば小鬼を押し切れるだけの形にはなっていた。
もっとも、毎回きれいに回るわけではない。
「わりぃ、入りが甘い!」
ダイの踏み込みが深すぎたり、アイカが出る間を早まったり、そのたびに崩れかけた隊列へ割って入るのがマルスの役目だった。致命的に乱れる前に一手を添え、危ないところだけを切り取る。
――そうしてようやく、四人の連携は形になっていく。
(これならいけるかもしれない)
それを見て、マルスは内心で少しだけ感心した。
未熟でも、場数は嘘をつかない。
「なんか思ってたより楽勝だな!」
ダイが息を弾ませながら笑う。
汗だくのくせに、声だけはやけに明るい。
「私の攻撃が効いてるのよ」
「いや絶対ちがうだろ」
「なによ、その言い方!」
山登りでも楽しんでいるみたいに二人が言い合う。
少し前まであった怯えが薄れ、成功体験が先に立ち始めていた。
「違うだろ、マルスがすげーんだ」
シシドがぼそりと言う。
冷やかしでもお世辞でもなく、ただ事実を置くような口調だった。
「そんなの、わかってるわよ」
アイカがむっとしたように返す。
けれど言い方ほど険はなく、そこには素直な認め方が含まれていた。
マルスは苦笑するしかない。
実際、守りながら戦うのは思っていた以上に神経を削る。敵だけを見ればいいわけではない。仲間の立ち位置、足の運び、剣の届く範囲、誰に敵意が向いたか――それらを追い続けるたび、頭の奥がじわじわ熱を持っていく。
疲れが見え始めたのは、むしろマルスのほうだった。自分ひとりで戦っていた頃とは違う疲れだ。
「マルスがいれば、あっという間だわ……」
アイカが半分感心し、半分甘えるようにこぼす。
返事の代わりに、マルスは腰の袋を軽く叩いた。
中には討伐の証である魔石が、もう十分すぎるほど入っている。依頼の必要数はとっくに満たしていた。山道を引き返しても、討伐の成果だけ見ればもう十分だ。
それでも四人が山を登り続けるのは、
陽は少しずつ傾き始めていた。
初夏の気配を帯びた風が吹き抜け、汗ばんだ肌をなでていく。心地よさより、時間が削られていく感覚のほうが強い。マルスは唇を引き結ぶ。
(ここまでかな……)
小鬼には勝てた。
魔石も十分に集まった。
山の裂け目のように口を開けた暗い穴。夢の中では、導かれるように辿り着いた場所。あの洞窟だけは見つからなかった。
「まっ、今日で終わりじゃねんだ」
ダイにそう諭されながら町へ戻った四人は、その足でギルドへ向かった。
受付に魔石を差し出した途端、職員の目の色が変わる。数を確かめる指が途中で止まり、もう一度、袋の中身を見直した。
「……これ、全部ですか?」
思わずといった声音に、ダイが「え、そんなに?」と身を乗り出す。
並べられていく魔石の数に、アイカも目を丸くした。シシドでさえ片眉を上げる。
気づけば、想定を大きく上回る成果になっていたらしい。
提示された報酬額を見た瞬間、今度は四人そろって言葉を失う。
「……多くない?」
「いや、ちょっと待て。マジかこれ」
「すご……」
ララーナ冒険隊の初陣は、確かな成果を残して終わったのだった。
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