第2話 タロケルとヒミコの出会い

 芦沢夫妻と辻夫妻が世間話しに興じている時、同じ場所でもう1つの会話が交わされようとしていた。


 [第1話から続く]




 キャサリンの子宮壁に着床して2日目の胎芽たいがは、芦沢夫人美和子のお腹の中をじっと眺めていた。


 偶然にも美和子の子宮壁にも同じ受精卵状態の胎芽が宿っていたのである。


 《やあ、ボクの名前はタロケル》


 と、キャサリンのお腹の中の胎芽が、美和子のお腹の中の胎芽に話しかけた。


 胎芽というのは胎児の原型なのだが、まだ受胎して2日目の受精卵状態でヒトの形をしていないので、医学的にそう呼ぶのである。


《タロケル?変なお名前ね》


  美和子のお腹の中の胎芽が、キョトンとした。


 《パパが日本人でママがアメリカ人だから、太郎とマイケルの名前を戴いたのさ》


 《じゃあ私は両親とも日本人だからヒミコにしようっと》


  美和子のお腹の中の胎芽が機転を利かせて自己紹介をした。


 《ヒミコか。いい名前だな。大きくなったら美人になるぜ》


 《タロケルだってブルーの瞳が素敵よ。ママ似ね》


 《ママ似?そりゃあ良かった。パパに似なくて助かったよ》


 《あら、男性の魅力は顔だけじゃないわ。行動力とか勇気だとか、思いやりだとか親切心だとか、容姿以外にいろいろあるわ》


 タロケルはヒミコがすでに褒め言葉の裏表を知っていることに内心驚きながら、


 《そうは言っても容姿は大事だよね。第一、見栄えが良くなければ恋人も出来にくいだろうしね。その点君は文句なしだ。それに君のお父さん、結構年齢としを食っているから、君をメチャ可愛いがるぜ》


 《そうね。いつも父はオレには子種がないんだと言っているようだけれど、母が妊娠したことを知ったら大喜びするわよね。って、言いたいところだけれど・・・》


 ヒミコはとたんに顔を曇らせて、


 《これは秘密なんだけどさ。私のお父さん、芦沢さんじゃないのよね》


 《へっ!?》


 タロケルは声を裏返した。《芦沢さんじゃないって、どういうこと?》


 《うん。私のお父さん、俳優のヤナカンさんなの》


 《ヤナカンさん?それ、誰?》


 《時代劇スターの柳本寛二。人呼んでヤナカン》


 《ヒャー。だって君んもまだ新婚だったよね。それでもう浮気?いつ?》


 《浮気ってことはないんだけどさぁ。一昨日、撮影のお仕事が入っていてさ。出番待ちの時。思いのほか撮影が押しちゃったんだよね。それでヤナカンさんと大道具の裏で》


 《ヤッちゃったの?》


 《と言うか、どうやらヤラれちゃったらしいのよ。母の弁護をするわけじゃないけれど、ある程度仕方ないのよね。共演とは言っても、大物俳優の添え物として出演させてもらっている立場だから》


 《添え物女優になると、本当に仏様のお供え物みたいにそうなっちゃうの?まるで主役に出されるお昼の豪華弁当と同じか、人身御供ひとみごくうじゃないか》


 《う~~ん。芸能界の仕来りみたいなものかも。そうやって共演した女優のことを幕の内弁当って言うらしいし》


 《ホントかよ。デタラメな世界だな》


 タロケルは人ごとながら憤慨した。


 《まあ、お互いが承知の上だからねぇ。しかも大人なのだし》


 《でもそれって、どうなるの?》


 《どうなるって?》


 《芦沢さんが知ったら、だよ》


 《わかんないよ。お母さんだって自分が妊娠したこと、まだ知らないんだもの》


 《ボクたちのママが妊娠を知るのは1、2ヶ月後になるのかなぁ》


《多分、そのくらいね。悪阻つわりが始まるのは通常受胎後5、6週。早い人で4週目くらいって聞いたもの》


 《大変だぁ。ボクら、どうなっちゃうの?》


 《ボクらって、アンタには関係ないことでしょ》


 《いやね、ボクはさ、ボクのパパとママも芦沢さん夫妻とは親しいようだから、ボクらも長い付き合いになると思ったのだけれど》


 《それはどうかしらね》


 ヒミコはそれには否定的に首を傾げて、


 《だって私の戸籍上の父、芦沢さんのことだけれど、タロケルのパパのこと、あまり評価していないんだもの。親同士の付き合いが続くかどうかもわかんないしね》


 《う~~ん、そっかぁ~。芦沢さんがボクのパパを評価していないというのは、わかんなくもないなぁ》


 《あら、どうして?》


 《どうしてって、ボクが身びいきを加えてパパを見ても、あのピカソやゴッホのように後世に名を残す大画家になれるとは思えないからだよ》


 《だから、どうしてよ。タロケルに芸術のことがわかるの?》


 《技術的なことは措くとしてさ。まず第1にパパの、あのボサボサ頭にしてもひげ面にしてもワンテンポ遅れた言動にしても、どこから見てもマヌケが専売特許の芸術家らしく見えるという点が面白くないんだよね。ゲイジュツカに必要な繊細さがいかにも抜け落ちたように見える肥った外見を除いてね。だからボクにはパパが芸術家を演じているようにしか見えないんだよ》


 《それがいけないの?》


 《大失格さ。許せないほどね。何者かになろうと演じたり、その職業の定型に自分を填め込もうとする人間は、何の界で活動してもせいぜい二流止まりさ》


 《それって、どういうこと?》


 ヒミコにはタロケルが何を言おうとしているのかさっぱりわからなかった。《だって、絵描きさんが絵描きさんらしく見えるのは自然なことでしょ》


 《ボクが面白くないと思っているのは、まさにそこなんだ》


 タロケルは考えをまとめるように目を閉じて、それからゆっくり続けた。


 《だからさ、もしも、どこから見てもヤクザにしか見えない男が名だたる大学の名誉教授だったとしたら?

 あるいはどこかの公園のホームレスそのままの風体の男が大企業の社長だったとしたら?

 パラドックスとしてボクは彼らの能力を決して疑いはしないという意味さ。そして第2にパパの、美しいものを好み過ぎるという点も減点の対象だね》


 《そうなの?》


 《そうさ。美しいものを好み、そのまま美しく描くのは素人画家のやることさ。


 むしろ本物の芸術家は、本物の役者さんがヒーローを演じるより悪役を好むように、醜悪なものにこそ惹かれるのではないだろうかね。


 例えば美しいものの中から1点醜い部分を抽出してえがき出すとか、

 また逆に醜いものの中に隠された目に見えない美しい部分に光りを当ててカンバスに叩きつけるとか、


 それが本物の芸術家だと定義すれば、


 パパはママの美しい顔とほとんど芸術的とも言えるスーパーボディにのぼせ上がって結婚したこと自体が、間違いのもとなんだ。


 パパはどうしようもない醜女しこめと結婚するべきだった。


 そしてパパがその女の醜い顔の中から美を感じ取り、潮垂れたオッパイから美を抜き出して愛撫する男なら、ボクはパパを無条件で一流の芸術家だと認めるだろうけれどね》


 《やだ、タロケル。アンタって、まるで評論家さんね》


 ヒミコはヒミコでタロケルの早熟度にビックリしていた。


 タロケルとヒミコの会話が途切れた時、2組の夫婦はまだ世間話を続けていた。



 ・・・「辻さんはまだ朝のミサへの参列が続いているのですね」


 と美和子が芦沢の書いた台本のト書きにそって、辻の顔を潤んだ目で見つめながら話しかけていた。


 「嫌々なんですがね。キャシーに起こされるんですよ」


 辻が美和子の涙目にも見える潤んだ視線にドギマギしながら頭を掻いた。


 宗教などには縁もゆかりもなかった辻だったが、


 結婚当初物珍しさも手伝って、

 日曜の朝の礼拝を辻家の主要行事とする旨を宣言したのが運の尽きで、


 すっかり熱が冷めてしまった今もその言質を盾に取られ、

 前夜どんなに飲んで帰って二日酔いであろうがなかろうが、

 例え仕事で徹夜した後であろうがなかろうが、

 また一晩中キャサリンに奉仕をさせられた後であろうがなかろうが、


 朝になると叩き起こされて車に乗せられ連れて来られるのである。


 その時、


 どこからともなく1羽の白い鳩が舞い降りてきて、ホバリングしながらバラ園の鉄製アーチの上で羽根を休めた。


 「昨日、結婚式でもあったのかしら」


 キャサリンが微笑した。来日2年とは思えない美しい日本語である。


 「そうかもね。最近はクリスチャンでもない奴が平然と教会で結婚式を挙げて喜んでいるご時世だからな。鳩も忙しくてねぐらへ帰れないんだろうよ」


 自分も急造キリスト信徒でありながら、他人事のように棚に上げたこういう辻の不用意な一言一句が、場面に応じて台詞を大切に使い分けてきた芦沢にとってはまたカチンとくる。


 触れられたくない心の奥の部分を素手で引っ掻き回されたような不快な感情を芦沢はおぼえて、顔を顰めた。


 彼も辻と同じように妻に倣って俄信者になり、教会で結婚式を挙げたのだが、それを皮肉られた、と気を回したのである。


 いや、俺は違う、と芦沢は心の中でうそぶいた。


 妻に倣ったのではなく、キャサリンを自分のものにするために俄信者の振りをしているだけだ。


 俺は信者ではなく、演者なのだと。


 「それがたとえ1つの流行であれ何であれ――」


 と、キャサリンがおだやかに夫に反論した。「教会で式を挙げたことで少しでもキリスト教を身近に感じ、信仰心を持つ糸口になればいいことだわ」


 「問題はそこだよ」


 と、待っていましたとばかりに辻が人差し指を立てて応じて、


 「トンチキ女どものロマンチックな夢を10万円ぽっちで叶えてやり、少しでも多くの信者を得て国を乗っ取ってやろうという教会側、キリスト国家の仏教国侵略の遠大な計画がその裏にあるのさ。ところがどっこい神仏習合しんぶつしゅうごうヤオヨロズの神がいらっしゃる日本は、そう一筋縄ではゆかないんだよな。いい例がクリスマスさ」


 辻はいつも年末になると日本でクリスマスとキリスト教の関係が面白可笑しく報じられる例を挙げ、


 その日が救世主降誕の厳粛な日であるにもかかわらず、

 大人たちは酒場へ繰り出し紙のトンガリ帽子を被ってクラッカーを打ち鳴らし、

 子供たちは子供たちで家でアニメを見ながらケーキを食べる日に成り下がっている現実を、


 懇切丁寧に説明した。


 「ヨシローったら、皮肉屋さんね」


 「君はぼくのそんなところに惚れた」


 キャサリンがいたずらっぽく辻を睨み、辻は似合う似合わないを通り越して、聞いている者が恥ずかしくなるほどのキザな台詞を吐く。しかも尻をポリポリと掻きながら。


 まるで芦沢夫妻を圏外に置いたような内輪話に、芦沢は呆れた。


 それにキリストの1番弟子にでもなったつもりか、指を立ててあたかも伝道師が信者に説教をぶつような話しぶり。


 こんな男にキャサリンを横取りされたかと思うと、またぞろ芦沢の心に怒りがぶり返してくる。


 2組の夫婦の会話もまた一瞬途切れた時、ミサの始まりを告げるやわらかな鐘の音が辺りに響いた。


 芦沢夫妻と辻夫妻は揃ってミサの行われる礼拝堂へ向かった。


 「そうそう、辻クン」


 と芦沢が不意に、まるでいま思い出したかのような口調で言って、立ち止まって辻に目配せした。


 「明日の月曜日なんだけどさ、夜は空いているかい?」


 「明日の夜、ですか?何もなかったよね」


 辻はニヤニヤしながらキャサリンに確認を取った。


 ええ。


 と、キャサリンが夫のニヤけ顔を怪訝に思いながら頷いた。


 「そりゃあちょうど良かった。9時にウチで面白いことをやるのだが、キャサリン君共々覗いてみないかね?」


 「面白いことって、何ですか?」


 「催眠術の大家たいかを呼んであるんだ。それで各々の前世を辿る旅に出てみるのも一興だと思ってさ」


 ほぅ~。


 辻がいきなり甲高い声をあげて、


 「催眠、術、でそんな、ことが出来るのですか」


 シロウトが初めて舞台に立って緊張しながら台詞を喋った時のように、その口調が一本調子になった。


 「肉体は滅びても、魂は永遠に続くのだよ」


 芦沢が台詞の内容を噛みしめながら重々しく繋いだ。


 「そりゃあ面白そうだぜひ伺いますよ」


 なおも辻は棒読みで、しかも句読点もへったくれもない。


 「時間厳守で、頼むよ」


 芦沢はそれでも厳かな口調で残りの台詞を続けたが、2人の会話のベテラン対シロウトの滑稽さにとうとうやりきれなくなって、言った後からこんな大根役者を相手にしている自分がなお情けなくなった。


 [第3話へ続く]

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