第10話 災い

 ギルドの入口近くのテーブルで、ターリアと向かい合う形で腰を下ろした。

 魔導書を抱えた彼女は、昨日よりも少しだけ自信に満ちた顔をしている。スキルを習得したばかりのせいだろう。


「ユウマさん、今日は……またダンジョン、行きますか?」


「そうだな。昨日の感触も悪くなかったし、もう一段階レベルを上げておけば――」


 そこまで言って、俺はピタリと口を止めた。


 空気が、震えた。


 いや、空気というより――大地そのものが低く唸ったかのような、鈍い振動。

 ギルドにいた冒険者たちが、一斉に顔を上げる。


「……っ、嫌な揺れだな」


 胸の奥がざわりと波立つ。


 知っている。この揺れ、この空気の変化――これは前世のゲームで何度も見た、「イベント発生」の予兆だ。


(来たか……! まさか、今日だとは……!!)


 ガタンッ!


 ギルドの扉が勢いよく開き、血相を変えた斥候の男が飛び込んできた。


「ぎ、ギルド長ォッ!! 西門っ! 西門方面から、魔王軍の奴らが……っ!!」


 一瞬、ギルドが凍りつく。

 が、その沈黙を断ち切るように、外から爆音が響きわたった。


 ――ドォォォォン!!


 衝撃で窓ガラスがビリビリと震える。

 ギルド内の冒険者たちが一斉にざわめき、武器を掴んで走り出す者、呆然と立ち尽くす者が入り乱れる。


「ま、魔王軍……? ここに、ですか……?」


 ターリアの声がかすれた。震える手が魔導書を強く握りしめる。


 俺は彼女の肩に手を置いた。予定より早いが、想定内だ。


「ユウマさん……どうすれば……?」


 外では、すでに冒険者ギルドの号令が響き始めている。


「全員、西門へ! 避難誘導班は南通りを確保しろ!」


「魔法職は後衛に! 盾役は子どもと老人を優先的に守れ!」


 混乱は始まっているが、まだ完全に崩れてはいない。


 ――今動かなきゃ、街は本当にやられる。


「ターリア。戦うぞ」


「……っ!」


小さく震えつつも、彼女は頷こうとした――が、その直後、視線を揺らした。


「で、でも……! ユウマさん、ギルドの人たちと合流してからの方が……!その……みんなで一緒に戦った方が、絶対に安全です……!」


 不安と理性、その両方がにじむ声。

 ターリアなりの正論だ。

 普通の冒険者なら、仲間と隊形を組んでから前線に向かう。それが当たり前で、間違ってはいない。


 だが――。


(それじゃ、遅いんだよ……!)


 胸の奥で、焦燥が激しく燃え上がる。

 前世のゲームで、何度も何度も見た失敗パターン。


 ――「合流を待っている間に、前衛が突破され、街に魔獣が流れ込み被害が拡大する」


 この最初の波を、どれだけ速く食い止められるかで街の被害は天と地ほど変わる。

 ギルドの冒険者が陣形を整えるまでの数分――それが最も危険なのだ。


(俺たちだけでも走って迎撃に行けば、押し込みは確実に防げる……!)


 ターリアの不安はわかる。

 でも、ここは絶対に譲れないところだ。


 俺はターリアの前に一歩踏み出し、真剣な眼で彼女を見る。


「ターリア。みんなを待ってたら……街がやられる」


「……え」


「最初の突撃は速い。隊形を作る前に前線が押される。

 だから――最初の一撃だけは、俺たちで止めるしかない」


 外から再び、獣の咆哮と爆音。

 黒煙が空へと上がり、人々の悲鳴が近づいてくる。


 ターリアの体がびくりと震えた。


「で、でも……わ、私……足を引っ張ってしまうかも……」


「そんなこと、させるかよ」


 俺は彼女の肩を軽く叩く。


「マナバリア強化、覚えたんだろ?あれがあるだけで俺の生存率は跳ね上がる。お前が居ないとできない戦い方だ」


 ターリアが目を見開く。

 俺は少し笑って続けた。


「大丈夫だ。俺が前に出る。お前は後ろから支えてくれ。……二人なら、行ける」


 彼女の震えは、ゆっくりと、覚悟に変わった。

 不安を飲み込みながらも、瞳が力を帯びはじめる。


「……ユウマさんが……そう言うなら……」


「言うさ。言わなきゃ困る」


 ターリアは魔導書を抱きしめ、ぎゅっと胸の上で拳を握る。


「……わ、わかりました! ユウマさんと一緒に……戦います!」


「よし、行くぞ!」


 ギルドの扉へ二人で駆け出す。

 外から吹き込む焦げた匂い、迫る魔獣たちの影――。


(間に合え……! この最初の波だけは、絶対に俺が止める!)


 俺たちは街の西門へ向け、全力で走り出した。

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