惑星にて


 S・ギル・レッドフォード。その名前を知るのはもういない。



 銀髪に美しい紫の瞳を持つ赤ん坊は教会で産まれた。シスターの一人が誰ともわからぬ子供を身ごもって、神父はそれを当たり前のように受け入れたのだ。シスターたちもそれが当たり前のように。

 赤ん坊は数ヶ月もしないうちに大きくなり、二年経つ頃には普通の人間で言う十代くらいになっていた。遺伝子を弄くられた結果だと神父は言っていたが、少年はその意味すら分からなかった。でも自分が人とは違うことはよく知っていた。


 ある日の午後、少年がシスターに言いつけられて門付近を掃き掃除していると神父が彼の名前を呼んだ。

「ギル。こっちにおいで」

 何かいいつけだろうと少年・ギルは箒を置いて神父の元へと向かう。部屋に通されたギルが見たのは神父の背中だった。

 シスターの鳴き声と神父の背中が揺れている。嫌な匂いが鼻についてギルは顔を背けるとドアに張り付いた。嫌な汗がギルの頬を伝う。シスターの鳴き声が嫌で両手で耳を塞ぎ目を閉じていると、ふと誰かの手が触れてドアの向こうへと消えて行った。

 熱い指が顔に触れてギルは目を開けた。目の前に居る神父は嬉しそうに笑っていた。


 神父の言いつけは何一つ楽しくなかった。ギルは神父の言いつけどおりに部屋へ行き、事を済ませて部屋を出る。体が痛いばかりで嫌な気持ちになる。だからシスターにこっそりお願いしたら彼女は首を横に振るだけだった。

 そんな生活が三年ほど続いてギルの背丈が180センチを超える頃、教会に来ていたカメラマンがギルを見て写真を撮りたいと言った。神父の許可が必要だと告げるとカメラマンは神父に相談し、ギルは写真を撮ることになった。

 何十枚の写真を撮り、初めての経験にギルは興奮した。カメラマンから幾つか写真を貰って、こんな楽しいことがあるのだと知った。


 それからまた二年経ち、ギルの背丈はぐんと伸び2メートルを超えた。神父はギルに言いつけをしなくなったが、どこか好奇の目で見ているのがわかった。その年の冬、以前写真を撮ってくれたカメラマンが教会を訪れギルに話しかけた。

「ギル……よければモデルにならないか?」

 知識としてモデルはわかっていたが自分に勤まるかはわからない、ギルは考えたがカメラマンは「教会の外へ一緒に行こう」と言った。その言葉は魅惑的でギルの足を動かした。



 教会の外は見たことのない世界だった。人が多く溢れ世界が輝いて見えた。モデルとして事務所に所属し、カメラマンの専属として仕事をすることになった。シティの中心、公園の近くにあるアパートが与えられ、小さなテーブルと椅子、ベットにギルは嬉しくて仕方なかった。

 教会でも部屋はあった。でも自由ではない。ギルはその夜嬉しくて寝つけなくてベットの上で一人幸せを噛み締めていた。

 初めての仕事はスタジオで、控え室で着替えをしている時にスタッフの一人がギルの体を見て、小さな悲鳴を上げた。ギルは気にしなかったけれど、そのスタッフの様子を見ていた他のスタッフにも話が広がり、カメラマンに伝わると何もなかったように撮影が開始された。

 フィルムが終わるとカメラマンはスタッフを外し、ギルと二人だけで撮り始めた。ギルは椅子に腰かけていたがカメラ越しの視線に気付いた。

「ギル、服を脱いでくれないか?」

「どうして?」

「君が珍しい体をしていると聞いたんだ」

 ギルは首を横に振ると眉をひそめる。

「モデルは服を着てする仕事だとあなたが言ったんだ」

「ああ、そうだ。でも確認したい」

 カメラマンはカメラを下げると腕を組む。

「もし断ったら……モデルはできないの?」

「そんなことはない……でも、少し考える。ヌードに近い服もあるから」

 ギルは瞼を閉じて深く溜息をつくと頷いた。

「わかった」

 ギルは立ち上がりシャツを脱ぐ。カメラマンの指示に従い全ての服を放り投げるとシャッターはまた下ろされた。



 次の日、ギルの部屋にカメラマンが多くの写真を持ってきた。美しく撮られたギルの写真がテーブルに広げられる。その中でギルがどうしても耐えられずに体を隠すようにポーズをした写真を指差してカメラマンが頷いた。

「ギル、写真集を出そう。きっと売れる。これからこういう写真を沢山撮ろう」

 キラキラした瞳でカメラマンが言うのでギルは眉をひそめた。

「自分が考えていたモデルとは違う……」

「分かっている。ギル、だから君の名前を変えよう。モデルとして」

「名前を?」

「ああ、誰も知らない君へ変わろう。どうかな?」

 ギルは小さく唸るとカメラマンの瞳を覗き込み、そして頷いた。

「分かった」

 カメラマンは大きく頷き笑う。

「絶対に君が傷つくようなことはない。ギル、私を信じてくれるかい?」

「うん」

 二人の約束が動き出したのはこれから二年後。誰も知らない魅惑のモデル・シンフォニックが誕生した。ギルは名前をシンフォニックに変えて、カメラマン以外とはあまり言葉を交わさず、まるで神秘的な人間のように振舞った。それが功を奏してシンフォニックの写真集はヒットした。

 多くの人がシンフォニックの写真集を求め、重版となると店頭から姿を消した。

 それから月日が経ち、新しい写真集の企画が上がっていたがカメラマンの体調が優れず、終いにはカメラを持つことが出来なくなった。仕方なくカメラマンの指示で新しいカメラマンが登場し、シンフォニックを撮ることになったが、新しいカメラマンは執拗にシンフォニックの体を撮りたがり、嫌がるシンフォニックの写真が複数撮られた。

 病床のカメラマンの抗議もむなしく写真集は作られ、出版となった頃にカメラマンはこの世を去った。シンフォニックの今までと違う写真集は店頭に並び、シンフォニックが人とは違う体である事が話題になり、シンフォニックはシティから姿を消した。




 惑星754WPR66行きのロケットの中、シンフォニックは変装用のラバーマスクをつけて席についていた。空港に着き、シンフォニックを知らないであろう惑星に降り立つと小さな鞄を背中に歩き出した。

 この惑星はシティでは未開の地と言われていたが、美しい都市でシティとは違い多くの植物が見られる。人はちらほらいるものの、本当に数える程度だ。行き先も決めずにやってきた場所で、シンフォニックはとりあえず宿を求めてホテルへと向かった。

 小さなホテルは若い女性がフロントに一人でおり、シンフォニックの顔を見ても何も気にする様子がなく、シンフォニックは宿帳にギルとサインした。

 ホテルの部屋に荷物を置いて、フロントのスタッフに声をかけた。

「あの……僕はここに来るのは初めてで、どこかお勧めはありますか?」

 スタッフはにこりと笑うと西のほうを指差した。

「あちらのほうに行けば美しい庭園があります。ゆっくりされたいのならどうぞ。その先に行かれると面白いドクターが居ます」

「ドクター?」

「はい、どんな傷でもすぐに治してくれますが人嫌いで。でも優しい人で……フフ、もしよかったら会いに行ってあげてください」

 面白いことを言うと思い、スタッフと別れてそこへ行くことにした。

 美しい庭園を抜けて、その先へ向かう。植物に囲まれた以前は白かったであろう壁の向こうに大きなドームが見える。

 ギルは頭を下げて門をくぐりドームの入り口の前に立った。シティで見るような新しいものではない、昔からずっと使われてきたガラス戸が素早く開くと通路にも植物が多く茂っている。

 ギルは微笑を浮かべて中に進んでいく。中はドーム型で沢山の機械が置かれ動いている。その一つの前に白衣をきた男が立っている。

「こんにちは」

 ギルが声をかけると男は素早く振り返り体をびくっと揺らした。どうやら人嫌いは本当のことらしい。

「ホテルで教えてもらって」

 男はツカツカと近づくとギルを見上げて頭を下げた。

「こんにちは」

 ぶっきらぼうな挨拶。ギルはなんだか嬉しくなって噴出した。

「すいません、ごめんなさい。……こんにちは」

 嬉しそうに笑うギルを見て男はホッとしたのか肩を下ろす。

「すいません、僕は緊張してしまうと……こうなってしまって」

「いいえ、そんな」

 ドクターとギル、二人が仲良くなるのに時間はかからなかった。




 惑星滞在から数ヶ月。ギルはホテルからドクターの家へと移っていた。

 一人暮らしのドクターはずぼらな性格で、殆どのことをギルが行っていた。料理や掃除は教会でもシティに居た時にもやっていたし、ドクターの世話をするのはたやすいことだった。

 簡単な料理を作ってコーヒーを入れるとドクターは頭をかきながらキッチンへと入ってきた。

「また、ベットで寝なきゃだめだよ?」

 ギルが笑うとドクターは目をしょぼしょぼさせて椅子に座る。

「うん、そうなんだけどね。新しいアンドロイドの製作が乗ってしまって」

「新しいアンドロイド?」

「そうなんだ」

 ドクターはマグカップで指を暖めつつ口に運ぶ。

「シティから新しいアンドロイドの開発の連絡があってね。僕は人と寄り添いあえる、そんな優しいものを作りたくてね」

「ふうん」

 ギルはカップを持つと椅子に座った。

「そういえばシティに居た時に動物型は見たかな。人型はロボットって感じだったけど」

「そう……人の形をしていると情が湧いてしまうからね、でも一人で暮らしている人なんかに寄り添うアンドロイドがいたっていいだろうと思って」

「そう、でもリアルに人にするの?」

「うん……出来れば君をモデルに」

「僕を?」

 ドクターは小さく頷く。

「ギル、君が嫌じゃなければね。勿論一つ一つの個体は顔も違ってくるだろうし……僕はね、君が好きなんだ」

「そっか、それって……恋愛ってこと?」

 ギルの問いにドクターは顔を真っ赤にして両手を振った。

「イヤイヤイヤイヤ、僕なんかとんでもない。以前君が話してくれただろう?いつか恋をしてみたいって。僕も同じように考えている。けど人と出会うのは難しい……だからアンドロイド」

「……そっか。わかった、協力する……って言いたいんだけどね」

「うん?」

「ドクターは多分知らないだろうから話しておく」

 ギルは自分がシティでモデルをやっていたことを説明した。ギルがシンフォニックというモデルであったということを知り、ドクターは端末で検索をするとモニターに現れたシンフォニックの美しさに顔を赤くした。

「なんてことだ!なんて……美しい!」

「僕をモデルにするってことは、シンフォニックが付きまとうよ」

 ギルが眉をひそめるとドクターは首を振った。

「悪いことなんてないさ。それにシンフォニックのように愛されるように、アンドロイドたちには特別を与えようと思う」

「特別?」

「そう、特別……でもそれには君の協力が沢山必要になる。組織を少し分けてもらう必要もある……君の美しい体に傷をつけることになる、それでも協力してくれるだろうか?」

 ドクターのまっすぐな瞳にギルは小さく頷いた。



 アンドロイドの製作のために必要なもの。ギルはベットの上で何度か目を覚ます。麻酔が切れるとやはり痛みが伴うもので、その度にドクターの優しさに縋ってしまい傷が痛むとその反動でドクターを突き飛ばして怪我をさせてしまっていた。

「おあいこだよ」とドクターは笑っていたが、ギルのほうが体格が大きいせいでドクターの痣は酷く増えていった。

 アンドロイドの製作は順調に進んだが、ドクターの体調が優れずそれでも協力しているギルのためにも必死で進めていた。いくつか試作を重ねてアンドロイドが起動する。そのたびにギルは喜び、その笑顔がドクターにとってかけがえのないものになっていた。

「ギル、見て。素敵だね」

 アンドロイドが微笑むのを見てドクターはアンドロイドの手に触れた。

「うん、不思議だ。自分の顔に似ているっていうのは」

「そうかい?この子は女性だから少しだけ違うよ。ギルに似てはいるけどやっぱり違うね」

「そっか。この子はシティに?」

「そうだ。シティに送ってこの子には幸せになってもらう」

 ギルはアンドロイドの頬に触れると頷いた。

「うん、幸せにおなり」

 それからシティ行きのアンドロイドを幾つか作り、たった一つを残してシティに送り出すとドクターは役目をやり遂げたように手を止めた。

「ドクター、よく頑張ったね」

「うん、君の写真なんかも沢山撮ったねえ。シンフォニックの写真集なんかと比べ物にならないけど、カメラを構えるのは楽しかった」

「僕はドクターの写真好きだよ」

「そうかい?良かった……あのね?一体だけアンドロイドを残してある。覚えているかい?恋をしたいという話」

「うん、覚えているよ。僕はシティに居る頃はそんな余裕はなかった……それにきっともう恋をするなんて難しいだろうから。でも僕にはドクターがいるよ」

 ギルが笑うとドクターが頷いた。

「嬉しいな。ごめんね、僕は君が誇れるような恋人にはなれないけれど……君に残してあげられることがある。君の細胞や組織では子供はなせなかったけど、あの子、あのアンドロイドに君を繋ぐ」

 ドクターは体を起こすとギルの手に触れる。

「ギル、次に目を覚ました時から人生が始まるよ。あの子が恋をした時、君もまたそれを経験する。君によく似た優しい子だよ」

「うん……ありがとう」



 ドクターは鎮静剤を打ちギルの手術を終わらせるとギルを眠らせた。アンドロイドの起動装置をセットして、フラフラとベットに横たわる。痛み止めも切れて体中が痛み始めた。眉をひそめると手術台のギルに視線を移した。

「ギル……君を大切に思っていた。ギル、君を愛している。僕はずっと幸せだった。世界で一番だ。この世界に生まれてきて本当に良かった」

 ドクターは涙を流してゆっくりと目を閉じる。荒くなる息に胸が大きく動いた。指先が震え何度も何度も咳き込むと体を丸めた。

 この時代にこんな病気で死ぬなんてことはありえない。幾らでも治せるし命を永らえることはできる。ドクターはそんなことを考えて咳き込んだ。

 当たり前のように薬を使ってしまったから効きが悪い。ゆっくりと瞼が降りるとそのまま眠りについた。

 ドクターが眠った頃、アンドロイドは目を覚ましプログラムされたように動き出す。必要なものが入った鞄を持ちドームを後にした。




 ギルは数日後に目を覚ました。体の痛みと戦いながら頭の包帯に手を触れた。視界などの感覚には問題がないようだ。さすがドクター。

 ギルは体を起こしベットを降りると手術室を出る。その先のベットルームに入るとそこに横たわるドクターを見つけた。

 少しふらつきながらドクターのベットにたどり着くと、横たわるドクターの体に触れる。体は暖かく胸が上下しているから生きている。

「ドクター」

 白いシーツの上に赤い染みがついている。黒くなっている部分もあるから吐血したんだろう。少し前からドクターは具合が悪いと言っていた。頬に触れるとドクターはうっすら瞼を開いた。

「ギ、ギル?」

 ギルはドクターの上にかぶさるとそっと口付けた。

「まだ……したことなかったから」

「そうだね?でも上手にするね」

「うん……好きな人とは初めてするからね」

 ギルが情けなく笑うとドクターは震える指で顔に触れた。

「……そうか。僕はね、初めてしたんだよ?キスは素敵だね」

「うん、素敵だ」

 もう一度二人の唇が重なる。ただ触れさせるだけの優しい口付け。

「ねえ、ギル?もう最後だから……言っておく。君を愛している」

 ドクターは優しく笑い大きく胸を動かして息をした。

 ギルの手を自分の胸に当てさせてドクターは何度か咳き込んだ。

 手の中でとくとくと感じる心臓の音が弱っていくのが分かる。ギルは涙が零れそうで我慢していたけれど、溢れる涙に頬を濡らした。

「ドクター……僕は」

 手の中の心音が消えていく。ドクターは優しく微笑み、くたりと顔が揺れた。

「愛している。君を、愛している」

 静かになった心臓を手の中で感じながら、まだ暖かいドクターの体をギルは抱きしめる。優しく頭を撫でて、もっと早くこうすれば良かったのだと思い知った。

 ドクターの葬式は惑星中から参列者が来て、ドクターは優しい言葉と色とりどりの花に囲まれていった。皆が泣き、悲しみに暮れる中でギルは一人ドームの中でぼんやりと椅子に座っていた。

 そこかしこにドクターの気配がある。入り口に見えるドクターは寝ぼけ眼で、機械の前では少し真剣な顔、全て鮮明に思い出せる。

 ギルは椅子にもたれると目を閉じた。

「さあ、僕の愛するドクター。次は君が見せる魔法を僕は見るよ」



 数年後、ギルはシンフォニックに戻り、恋を知る。その後、暴漢に襲われてシンフォニックは死を迎える。今際の際、シンフォニックは夢を見た。愛するドクターが目の前で微笑み手を差し伸べる優しい夢を。


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