第9話 電脳の歌姫は私の膝に引きこもる

 旧校舎の地下深くに、その魔窟はあった。

 空調の低い唸り声と、無数の冷却ファンが回転する音だけが支配する空間。

 私と、背後を警備する凛子様の前に立ちはだかるのは、分厚い鋼鉄の扉だ。

 そこには『立入禁止』のプレートと、禍々しいバイオハザードマーク(手書き)が貼られている。


「……ここが、天王寺の城(巣)か」


 凛子様が油断なく身構える。

 その時、扉の電子ロックが「ピロリン♪」と間の抜けた音を立てて解除された。

 重い扉が、音もなくスライドする。


「……どーぞ。マシュマロちゃんだけ、入って」


 中から聞こえてきたのは、やる気のない、でもどこか甘ったるい少女の声。


「断る。護衛任務中だ」

「ちっ。……ま、いいや。どうせ凛子ちゃんには、ここ(聖域)の空気は合わないし」


 私たちが足を踏み入れると、そこは別世界だった。

 暗い。

 目が痛くなるほどの暗闇の中に、無数のモニターだけが青白く発光している。

 壁を埋め尽くすサーバーラック。床を這う極太のケーブルの森。

 その中心に、要塞のような多画面デスクと、それに埋もれるようにして座る小さな影があった。


 天王寺める《てんのうじめる》。

 世界的なIT企業のご令嬢にして、裏ではあらゆる情報を握る伝説のハッカー。そして、ネット上では数百万人のファンを持つ歌い手「電脳の歌姫」。

 そんな彼女の実態は、サイズの大きすぎるパーカーを着込み、猫背でキーボードを叩く、生粋の引きこもりだった。


「……よく来たね、レアアイテムちゃん」


 める様が、ゲーミングチェアをくるりと回転させてこちらを向いた。

 色素の薄い茶髪に、少し気怠げな瞳。膝にはポテトチップスの袋。

 彼女は私を見ると、興味深そうに目を細めた。


「……ふーん。モニター越しに見るより、解像度高いじゃん。ポリゴン数、無限大って感じ」

「あ、あの……私の検索履歴、消してくれますか?」

「条件次第かなー」


 める様は、椅子のリクライニングを倒し、ふらふらと立ち上がった。

 足元がおぼつかない。ずっと座りっぱなしで足が痺れているのか、それとも現実世界(リアル)の重力が苦手なのか。

 彼女は幽霊のように音もなく私に近づくと、私の目の前で立ち止まった。

 近い。

 ブルーライトに照らされた顔は青白く、お人形のようにキレイで無機質だ。


「私さー、3D(現実)って嫌いなんだよね」


 める様が、独り言のように呟く。


「臭いし、汚いし、ノイズ多いし。人間ってバグだらけじゃん? 話通じないし、すぐ怒るし、触るとベタベタするし」

「は、はぁ……」

「だから私、ここから出ないの。モニターの中が一番綺麗で、一番優しいから」


 彼女はそう言うと、恐る恐る手を伸ばしてきた。

 その指先が、私の頬に触れる。


「……!」


 める様の目が、大きく見開かれた。


「……なに、これ」


 彼女の指が、私の頬のお肉に沈み込む。

 ひんやりとした指先。対して、私の頬は緊張で火照っている。

 温度差が、接触面で溶け合う。


「……バグってる」


 める様は、信じられないものを見る目で自分の指を見た。


「ベタつかない。……サラサラなのに、しっとりしてる。シルク? いや、最高級のシリコンゲル?」

「ひ、人の肌ですぅ……」

「嘘だ。こんな高スペックなテクスチャ、3Dに存在するわけない」


 彼女はもう一方の手も伸ばし、今度は私の二の腕をむにゅりと掴んだ。


「……っ、うわ」


 彼女の口から、感嘆の声が漏れる。


入力遅延ラグ……ゼロ」

「はい?」

「触った瞬間に、気持ちいいって信号が脳に届く。……光回線より速い。……神回線だ」


 める様は、私の二の腕に顔を近づけた。

 ブルーライトで青白く光る彼女の顔が、私の体温を感じて、ほんのりと赤みを帯びていく。


「それに……あったかい」


 彼女は私の腕に頬を押し当てた。

 冷え切っていた彼女の頬が、私の脂肪の熱で温められていく。


「サーバーの廃熱とは違う……。有機的な熱……。ノイズがない……。これなら……」


 める様は、とろんとした目で私を見上げた。

 そこにはもう、先ほどまでの「現実嫌い」の冷めた光はない。

 あるのは、新しいおもちゃ……いや、最高級のデバイスを見つけたゲーマーの執着心だ。


「……ねえ、マシュマロちゃん。名前なんだっけ」

「わ、綿貫ふわりです」

「ふわり……。うん、いいハンドルネームだ」


 める様は、いきなり私の腰に腕を回し、全体重を預けてきた。


「める、決めた。……ここを新しいにする」

「へっ? ここって、私のお腹ですか?」

「そ。……この柔らかさ、人間工学を超越してる。どんな高級チェアより、腰への負担がない」


 彼女は私のパーカーの裾を少し捲り上げ、直接お腹の素肌に顔を埋めた。

 ひゃうっ!

 冷たい鼻先が、私のおへその横あたりに突き刺さる。


「……あー……。脳みそが……溶ける……」


 める様の力が抜けていく。

 私の身体にしがみついたまま、ずるずると崩れ落ちそうになる彼女を、私は慌てて支えた。


「ちょ、ちょっと! しっかりしてください!」

「……無理。……もう、ログインしちゃった……」

「どこに!?」

「……幸せホルモンの、沼に……」


 める様は、私の匂いを「すー、はー」と深呼吸しながら、うわごとのように呟く。


「リアルはクソゲーだと思ってたけど……。こんな隠しアイテム(SSR)があったなんて……。運営かみさま、見直した……」

「私はアイテムじゃありません!」


 その時、ずっと黙って見ていた凛子様が、低い声で介入してきた。


「……おい、天王寺。貴様、そこで何をしている」

「んー? ……あ、凛子ちゃん。まだいたの?」


 める様は私のお腹から顔を上げず、面倒くさそうに答えた。


「邪魔しないでよ。今、この子とペアリング中なんだから」

「ペアリングだと? その位置は私のテリトリーだ」

「は? ここ(お腹)は空いてたじゃん。早い者勝ちだし」


 める様は私の腰肉をむにっと摘み、勝ち誇ったように笑った。


「それに……凛子ちゃんこそ、背中に張り付いて離れないじゃん。……独り占めは良くないよ? 共有(シェア)設定、オンにして」

「断る。これはセキュリティ上の措置だ」

「はいはい、ツンデレ乙」


 火花が散る。

 物理最強の風紀委員長と、電脳最強のハッカー。

 二人の天才が、私という一人のドジっ子を巡って、リアル空間で対峙している。

 

 める様は、私の服をぎゅっと握りしめて言った。


「……とにかく、この子は返さないよ。私のドライアイと腱鞘炎を癒やすには、この子のが必須なの」

「何をする気だ」

「決まってるじゃん」


 める様は、悪戯っぽく、でも切実な瞳で私を見上げた。


「……ねえ、ふわり。ちょっと、座って」

「え、どこに?」

「あそこの椅子」


 彼女が指差したのは、要塞の中心にある、最高級のゲーミングチェアだった。


「えっと、私が座るんですか?」

「そ。……で、めるがその上に乗るの」


 はい?

 私の思考がフリーズする。

 

「いわゆる、膝上(オン・ザ・ニー)。……究極のゲーミング環境を構築するんだよ」


 める様の瞳が、怪しく輝いた。

 それは、夜通しレイドボスに挑む廃ゲーマーの目だった。

 こうして、私の膝は、学園一の引きこもりの「専用座席」として認定されてしまったのだった。

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